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マンガ家アシスタントのおしごと!-2- (「薔薇はシュラバで生まれる-70年代少女漫画アシスタント奮闘記-(笹生那実・著)」読了に寄せて)【後編・最終章】

だいぶ間が空きました。ご無沙汰しております。私です。(雑挨拶)

ちょっと雑事にかかずらっていた期間が、コトのほか長くなってしまい、執筆に取りかかれませんでした。さぞ筆も鈍っていることでしょう。ダメダメなワタクシです。笑ってくれて構わん(©ギジェ・ザラル)。

さて、このシリーズ(?)も、めでたく最終回です。最後は「仕事場とBGM」、「漫画アシスタントはドコへ向かうのか」的な無駄に重いことw、「アシやってて個人的に出くわした特筆トピック」。そして「アシスタント業からの発展的撤退に至るまでのアレコレ」などなど含めながら、「シュラバに薔薇~咲く頃~」みたいな感じでお開きフィナーレに~…というふうにしようかなと思っています(予定)。

あ、最後も釘を差しておきますが、あくまで私が現役だった頃の個人的お話ですので、今もこういう事があるかどうかの保証は、一切いたしませんにょ。(体験には個人差があります)

シュラバと音楽

シュラバ…いや、漫画の仕事場には音楽は欠かせません。ある時は精神の鼓舞に、ある時は仕事場の人間関係の円滑を助ける話題の糸口に、ある時は眠み退散に、そして静かな間に耐えられない人には安心を…と様々な効能を持つものです。
「薔薇はシュラバで生まれる」の作中では、萩尾望都先生が出されたオリジナルアルバムの話題が出ています。まずはコレについて、いくつかの情報と補足を。(↓ネットで拾ったんですが、どっちの色味が正解なんだろう?)

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萩尾望都

A面
1. リフレイン‥萩尾望都作詞・作曲/木田高介編曲
2. ユニコーン‥萩尾望都作詞・作曲/木田高介編曲
3. ホワイト・ムーン‥木田高介作曲・編曲
4. カフェテラス通りで‥萩尾望都作詞・作曲/木田高介編曲
5. アシスト・ネコ‥萩尾望都作詞・作曲/木田高介編曲
B面
1. 美しい魔物‥萩尾望都作詞・作曲/木田高介編曲
2. ピエロ‥萩尾望都作詞・作曲/木田高介編曲
3. エトランゼ‥萩尾望都作詞/木田高介編曲
4. ターコイズ・スフインクス‥萩尾望都作詞・作曲/木田高介編曲
(ビクターレコード 1979年 盤番号:SJX-20114)

書中では「作詞・作曲・唄、ナレーションすべてが萩尾先生」とあります。コレは間違ってはいませんが、上記でも分かるように、編曲者は別にいらっしゃいます。木田高介さんという方で、とても著名なミュージシャン・編曲家の方です。代表作には「出発の歌(上條恒彦)」、「神田川(かぐや姫)」、「私は泣いています(りりィ)」、「結婚するって本当ですか(ダ・カーポ)」など、とてもメジャーな曲を手掛けられた方。すでに故人で、不慮の交通事故により31歳の若さで早逝されたそうです。(ちなみに、五輪真弓の名曲「恋人よ」は、氏の葬儀に参列した五輪真弓さんが見た、氏の奥様が悲嘆する様子が元になっているとされています (出典:Wikipedia))

「薔薇はシュラバで生まれる」を読んで、このアルバムに興味を持った人もいらっしゃるのではないでしょうか。そんな人のために、ちょいとリサーチをしてみました。まず流通はどうでしょう。
…残念ながらCD化にはなっていないようですね。ですので、手に入れるならLPレコードを中古で、という手段しかなさそうです。(もちろん、盤を聴くにはレコードプレーヤーが必要です)

Screenshot_2020-10-27 ヤフオク -「萩尾望都 エトランゼ」の落札相場・落札価格

コレは今日(2020年10月27日)現在のヤフオク状況。現在形の出品はなく、この日より過去120日間内の取引状況は3件。いずれもお安い感じで手に入るようですが、メルカリでは4500円の高値がついて取引があったようです。欲しいと思われた方は、根気よく中古市場を見張る必要があるようですね。欲しい方、ファイトっ!w

流れる歌は世(仕事場)につれ、世は歌につれ…

仕事場に音楽は付きモノ。でも仕事場によって曲の傾向は違ってきます。当たり前ですね、違う仕事場はいる人も違うのだから。だから決まったレギュラーの仕事場での選曲に慣れていると、イレギュラーで舞い込んだゲストアシスト先で、その選曲に面食らう…なんてコトもままありました(ドコとは言わないw)。

また、あまりレコード・カセット・CDの曲をかけないところもあります。その場合は1日中AM・FMラジオ、TVを流しっぱなしや、ホントに無音でやるところも(所によって有音は気が散る人、無音がダメな人、色々います)。私は無音の所にあまり当たったことがないので、不自由しませんでしたが、生来何かしらのノイズがなきゃダメな人(私)は、無音仕事場は辛いでしょうねぇ。

曲をかけるところでも、先生のマイ・フェイバリットしかダメな所や、アシスタントが順番に好きな曲をかけていい所などもあって、コレによって仕事場の色が色濃く出るって感じもありました。
知らなかった・興味なかった曲や歌手でも、先生の好みで多くかかるモノ、同僚が持ってきたインパクトある曲、それらを聞いているうちに…アレ?好きになっちゃった…なんて、そんな音楽との出会いもあったりしました。(私の場合は浜田省吾がソレでした。ありがとう、近藤厚子先生)

そんなに多くないですが、仕事場によっては「有線放送(現USEN)」を引いている所もありました。その場合は超有名なポップスから超コアなマニアック曲、演歌。浪曲。童謡まで全網羅。果ては自然音、環境音、そして開店・閉店時音楽(ex.蛍の光)までもが24時間エブリデイ聴き放題ですw。仕事期間前半は持ち寄り曲、ネタが切れたりシュラバになると有線を流しっぱなし…とかありましたね。

わりと長期でお世話になった近藤厚子先生の所は、アシスタントの持ってきた曲もOKな仕事場で、いろいろな曲がかかっていました。そんな中、私は生来の凝り性が祟って、ある時から「仕事場でウケるだろう(予想)曲」の選曲をしたオリジナルカセットを作るようになり、それに喜びを見出すようになってしまいました(ナニしとんねん)。主にコメディソングとアニソン、アイドルソングがメインでした。
多分中には(他のメンツ的に)ハズレだろう曲もあったでしょうけど、みんな、よく我慢して聴いてくれたと思う。今更だがありがとう(今言うな)。嘉門達夫、スネークマン・ショウ、爆風スランプ(初期はコメディ色多めだったんよ)、清水ミチコ、山本正之などなどが主なラインナップ。

中でも異質だったモノとしては、当時不謹慎ネタでごくごく限られた一部のみで有名だった「○○○○社」の不謹慎カセット(多分口コミダビングで広まったものが、コチラに回ってきたと思われる)。コレは…内容は絶対書けません。今だったら炎上必須のギリギリネタばかりなので、当時の一般人にも多分猛毒だったでしょう。一応はウケたけど…まぁ、うーん、どうだったろうなぁ実際…(今更遠い目)。

もう一つは、当時の文化放送の早朝枠で放送され、ビデオ(VHS)にもなっていた「松尾貴史の朝までナメてれば」という、いわゆるシモネタ、時事ネタがメインのコント・パロディ劇(ビデオ発売されたものとは違うビデオ販促のためのラジオ用バージョン)。うまく隠してはいるけど「皇○ネタ」があったりして、コレもかなりギリギリを攻め飛ばしてる一品。ラジオで早朝だから良いと思ったのか?誰も聴いてないと思ったのか?そうなのか?な怪作でした。

ともあれ、自己満足もあったろうけど、我慢して聴いてくれた先生、まさどん、うしさん(固定メン)にはホント感謝しかない。一応謝っとく。スマンかった(今更ゆーな(;´Д`))。

でも正直、音楽のある仕事場は楽しかったです。やっぱり漫画の仕事場において音楽は程よいスパイスであり、ユ○ケルでエスタロ○モカでもあり、テンション下がった先生・アシを上手く波に乗っけてくれる、上昇気流の風でもあったような気がします。

徹夜!引きこもり!絶食!

まんが家は三日徹夜
座りきり一ヶ月
一日半の絶食ぐらい
覚悟しなければ
(美内すずえ談・「少女まんが入門」(鈴木光明著)より)
※「薔薇はシュラバで生まれる」127Pより

たしかにそうなります。(そして127ページでの美内先生の寝方は、同じものを近藤(厚子)先生の所で目の前で見ましたw)

他の職業でも、徹夜や納期直前の泊まり込み作業時など、こうなる事はあるので、まんが家の仕事場特有の…というわけではありません。しかしそういう仕事のやり方に縁のない人たちからすれば、とてつもなく不思議な生態に見えるようです。だいたい「徹夜なんかしないほうが効率いいし、少しくらい外に出た方が気分転換にもなる。計画をちゃんと立てればそんな事にはならない。絶食なんかしなくても、食事なんて5分もあれば摂れるやろ」というのが向こう側の人の言い分です。

でもね、違うんです。いや、御説ごもっともなんです。とは思いますが、ソレができる人と、そうでない人がいるんです。それに「間に合わない」「スケジュールが押している」というのもありますが、徹夜したり引きこもったり、絶食状態になるのは、ひとえに「いいテンションを切りたくない」というのも一因にあるのです。多分、ソレが一番大きな理由なんだと思います。

作業していると、「ペンが異様にノッてくる」時があります(同義:「ネームの神が降りてきた」)。いわゆる波に乗れてる状態。「乗るしか無い、このビッグウエーブに」というアレです。ペンで描くキャラの輪郭は一発で決まるし、下描き線と同様の生きてる描線がガッシガシ描ける。粋なセリフが湯水のように湧いてくる…などなど。そんな「オレサマ天才!」「ゾーン突入」「確変発生」みたいな状態です。しかし、このビッグウエーブ、実にカンタンなことで潰えます。

それは好調に気を抜き、間違った目測で一寝入りをやってみたり、日用品・食事を買いに出かけたり、台所用事をしたり…と、「キリ良いから別の(やらなきゃならん&やらんくていい)ことを…」という油断をした時。まさに逢魔ヶ時です。作業中になにか別のことを挟むと、そのテンションが下がったり消えてしまうことは、ままあるのです。人によってはそんな事無く、なにしようがフルスロットルで進められるという方もいらっしゃいますが、こういう人も結構いるのですよ。

なるべくなら徹夜はしないほうが良いです。なぜなら、意識が朦朧とすると描線が意図しない、アサッテどころか数カ月先の方向へ行ったりしますし、下書きにない物体にまでペン入れしちゃったりすることがあります(シリアスなシーンなのに、ナニ?この立方体…みたいな)。外に出ないと、意味なく世界が自分の敵に思える時があります。寝不足時に精力剤や、今で言うエナジードリンクみたいなものを併用すると、体力が底を打ってる時など、たまに幻覚を見たりします。(漫画の作業中ではないですが、当時道路工事警備員のバイトを寝不足状態でしていた時、道路の遥か向こうからドラゴンボールばりの龍がこっちに向かってくるという幻覚を見たことがありました)。
しかし、時間がないのはもちろんのこと、ベストなクオリティを出せるときに、その勢いは失いたくない!という一心で、作家は「ひきこもり・徹夜・絶食」の苦行をしてしまいます。多分コレは、当事者でないと理解できないのかもしれません。

もちろん、朝起きて夜寝て締切はしっかり守る、という超健全生活の完璧超人作家さんも実在します。漫画家がすべて、徹夜や不摂生をしながら作品を作っているというわけではありません。

ちゃんとした会社勤めしてる人たちには、なかなか理解は得られないとは思いますが、人間もいろいろいるように、作家もいろいろ、働き方の生態もいろいろあったりするのです…(島倉千代子み)。

装備:作業着

あ~!
マヤちゃんの服
思いつかない!

今あなたたちの
着てる服
見せてっ!

…使えない…(白目)
※「薔薇はシュラバで生まれる」131Pより

まぁ、ジャージ・スゥエット・パーカーですよねぇ(即オチ)。

勝手な印象としては、通いアシさんはあまり着替えないという印象がありますが、泊まり込みアシさんになると、100%仕事着に着替えますよね。
墨(インク)は付くし、利き腕の袖口から肘にかけては間違いなく汚れる。事務員さんがよくする「腕カバー」する人もいました。髪も長い人は十中八九、ポニーテールかサイドで縛るか首元くらいでまとめるかだと思います(私も一時期、腰のあたりまで髪が届いていた時があったので、その時の作業時はポニーテールでした)。

おしゃれである必要のないシチュエーションというのは、逆にセンスが出るところでもあります。普段着のセンスがモノを言ってる人は、シュラバの仕事着もモダンに見えたから不思議です(そういう御方を何人か見ました)。
ともかく、仕事着は「楽」さ加減がいちばん重要。だって、どうせ寝る時はそのジャージのままで、布団にバタン!と倒れ込むのだし(笑)。

民間伝承とか伝聞とか(美○家)

叩き起こしの霊
出なかった?
※「薔薇はシュラバで生まれる」164Pより

…うーん、伏せ字になってませんがな(笑)。

私の通っていた仕事場は、ほぼレギュラーメンバーでしたが、時々稀人的に臨時お助けアシの人が来たりする時がありました。私は専属ではないのでソコだけではなく、他の所にもアシに行ったりもしていましたが、ゲストアシの方からや他所などで仕入れる情報には、面白い事や興味深いモノ、驚愕物件などが、実にたくさんありました。
その1エピソードで、「美○家の引っ越し」というお話があるのですが(だから伏せ字にする気ないんかい)、先生、アシさんともに霊感が強い人が揃っている(と言われてた)その仕事場が引っ越しをすることになって、候補物件の内見巡りをしている時のお話だそうで…

(不動産屋に連れられ、物件を内見をしている時の会話)
アシA「ねえ、いた?」
アシB「ううん、ココはいない」
アシC「あ、二階にはいたよ!」
アシA「どんな感じ?危なそう?」
アシC「うーん、微妙」

…えーと、ナニがいたんでしょう?(とぼけ)
あと、不動産屋の心境はいかに…。

「こんな感じで選んでたんだって!」「えー、すごーい」ってな感じの会話をしたのを覚えています。他の先生のとこなら「えー?ホント?なんで?」と多少の疑いも入るんですが、「この先生、ソコのアシさん」というだけで説得力がありすぎて、そのせいで以降、今までずっと覚えてる噂話です。
あ、コレはあくまで伝聞で噂で、真偽の程は確かじゃないです。盛られてるかもしれない。脚色もあるかもしれない。でもホントっぽい…。そんな感じでキャーキャー言ってましたよね(笑)。
このお話、他の複数の仕事場でも話題に出ることがあったので、かなりいろんな所で話され、アシ業界の中ではなかなかに広まってるものだと思われます。(あ、どこの仕事場でも悪意はゼロな感じでしたね)

霊関係では実はもう一個、超メジャーどころな先生の話もあるのですが、霊関係でもさすがにコレは…というか少し次元が違う話になってしまう感じなので、コレはあえて書かずに置きます。無邪気にキャーキャー言える話でもありませんし、多分「別の意味で」生々しくかつ怖い話ですので…あはは…(乾いた笑いでお茶濁し)。

漫画家アシスタントは自分の投稿作品が完成した夢を見るか

…少しは真面目な話もしましょう(6000文字目にしてやっと)。
コレを言うと、大抵の一般の方々は驚かれるのですが、「漫画家アシスタントは、漫画家になりたい人だけがやる職業ではない」というのがあります。

この世界は、漫画家になりたい人はもちろんのこと、最初(または途中)からプロアシでいこうと思った人。個人的な縁故でなんとなくやってたら、いつの間にか続いてた人。「漫画のお仕事」に憧れてるけど、本職は別にあって別にデビューはしなくても良いと思ってる人。同人誌やっていて、素養あるゆえ単純に引き込まれてズルズル続いてる人…エトセトラ・エトセトラ。動機も入口も終着点も違ういろんなパターンな方々がいらっしゃいます。
そして、この中で「漫画家になりたくて、その一環としてアシスタントになった人」たちは、恐らく一番悩み多く、人生も波乱万丈だろう人たちです。(当社比)

アシ先の先生の「売れっ子レベル」や週刊か月刊かにもよりますが、アシスタント(専属・レギュラー)は、先生の頭脳作業終了以降から完成までの間、一定期間(実質)拘束されることになります(無論、交渉次第で途中から参加したり、途中で抜ける事もできます)。

当たり前ですが、プロになるには自分の作品を描かなければいけません。大前提です。環境的に実家ぐらしの人や資産的に裕福な人は、アシスタント稼業をしなくても…いや、してても自作に専念できる環境・状態があります。が、そうでない人は「生活のためにも」アシを専業的にすることになります(アシをやらずに、普通のコンビニバイトなどしてプロを目指す人もいます)。つまり、おのずと自分の時間を削って行くことを強いられます。
しかし、いくら忙しく拘束期間がある…とはいえ、一年365日・24時間フルに拘束されているわけではありません。アシ仕事とアシ仕事の間には、自分の自由になる時間ができます。そこでナンボでも自分の作品は描けるのです。

…そう、理屈上では。

そして漫画家としてのプロデビューを目指し、修行的な一環と加えて日々の糧を得るべくアシスタントを専業にした人たちの中には、ある時期から「自作を描かなくなった人」たちが一定数発生します。物理的・実質的に時間がない、描けない理由にちゃんと説得力がある人もいるにはいます。が、なんとなく、または自発的に描かなくなった人もまた多くいます。…なぜでしょうか。

要因は様々ありますが、(自分が見てきた中での話ですが)大げさに例えれば大体は「毒されてしまった」という人が多いかなという感じはあります。
ナニに毒されたかといえば、それは「日常」だったり「怠惰」だったり、「限界を知ってしまった」「すり替えられた満たされの感覚」等が原因でしょうか。…ちょっと抽象的な例えで、逆にわかりにくかったかもしれませんね。うーん、どう言えばいいかな。

アシスタント業をやり始めて少し経つと、日々のそれが当たり前の「日常」のヒトコマとなります。そして続けているとアシスタント料を原資にして、自然とその人の生活や日々の営みが回っていくのです。人によって、裕福貧困の度合いに差はあれど、下の方でもまぁ死なない程度に、まあまあ支障なくなんとか生きてけるかな…みたいな感じで。

要はそんな日々を続けていると、徐々に徐々に現状に不満を感じなくなっていくのです。豪勢な暮らしでなくても、好きなことができて低空飛行でも日々の生活が滞りなく過ごせてしまう。たとえ現状に満足していないとしても、その今の状態の維持に全カロリーを使ってしまい、ハシゴの次の段へ足をかけられない。
好きな漫画の仕事ができて、それなりにスキルも上がって、何でも上手く描けるようになり、各作家さんからも重宝されるような存在になると、気分も収入もソコソコ良い感じになっていきます。実際、頑張って掛け持ちとかすれば、結構お金も貯まります。
すると「プロデビュー(漫画家)を目指してる」という自意識を持ちながら、いつからか「別にこのままでもイイんじゃね?」という意識も並列して芽生えてしまうことがあります。

そして仕事と仕事の間には「休みたい」と思うのは誰もが思うこと。それ自体は罪ではありません。疲れてますからね。合間に休むのも重要なことです。自分のためにも、アシ先のためにも。
最初のうちは「少し(1日~2日)休んだら自分のネームやらなきゃ」となり、実際やるんですが「別のアレをやろう、コレをやろう、洗濯しよう、買い物行こう、TVでやってた楽しそうな話題のスポットに行こう、アシ友達と約束したアレをやろう、頼まれた同人誌の原稿をやろう(ぉぃ)」…みたいなものが、だんだんだんだん増えていきます。イコール、時間が無くなっていき、そしてほどなく次のアシ仕事が始まるのです。

もう一つ、周りにいる人がホイホイとデビューしていくという、すごい生産的な環境ならば話は別ですが、自分と似た境遇の人間がいつも周りにいると、なんとなく安心してしまう、っていうのもあります。「自分は大丈夫、まだ大丈夫…」と。
これは、アニメや漫画の学科がある専門学校に通う、一部の学生さんにも言えるかもしれません。最初は大志を抱いていたものの、学内・学外で新しい友だちができて、楽しい日々が続いて、周りは自分と同じ趣味の人も多く、学校でも高校・大学の延長のように楽しい。その教室で仲良くなった人たちで遊びに出かけちゃったり、結構ライフがエンジョイできてしまう毎日に。そんなトコに、仲間内で自分にもチョイと浮いた話なんざあった日には…。

そんなモラトリアムな日々は、ちょっとした錯覚(バグ)を生み出します。そこから当初あった目標が、少しずつ少しずつズレていく感じ…と言ったらいいでしょうか。

懸命な人はソレに気づき、ハッ!と我に返って軌道修正するわけですが、ことのほか強いその引力に引かれまくってしまった人、苦言を言ってくれる環境の無い人、苦言を受け入れない性格の人はもう…。
いつまで経ってもデビューはできなくて、でもアシとしてのスキルだけは上がっていって、先生方たちからは重宝され「アナタがいないと(仕事場が)回らないワ」なんて言われた日にゃ、気分はもう我が世の春(コレが錯覚というやつw)…。
ここで思い悩む人、逆に開き直る人、あとが無くなる人、まだ無自覚な人、これもまた様々います。そしてこの拗らせが頂点に達すると、そこからさらに人生の選択肢を再び選ぶことを迫られます。なんという諸行無常感。
もちろん、そんな悪魔(メフィスト)の誘惑にも負けず、初志貫徹でサッサとデビューしていった方々も多くいますが…。

漫画のアシスタント業とは、苦労もあるけど楽しくもあり、やり甲斐のある仕事です。漫画家志望の人なら、そこから得られるお宝は計り知れないくらいの素晴らしいものがある。
ソレゆえ、人一倍の強固な自我と、ブレない将来のヴィジョンを持って掛からないと、程なく足元が地盤崩壊して落下、もしくは液状化現象起こして地中に引きずり込まれる事となります。このバグを回避しながら日々のテンションとモチベーションを維持するのはホント大変で、それができる人だけが、アシスタントからプロへと羽ばたけるのでしょう。(天然で惑わされないスペック備えてる人もいるんですけどね。人はソレを天才と呼びます)

作品内で笹生さんは、樹村みのり先生から「完璧主義」な面を指摘されます。いわゆる「漕ぎ出すまでに時間がかかってしまう」パターン。それもまた滞る一大要因です(まさに私もそうだった)。こちらは「とりあえず」でも漕ぎ出しちゃえる柔軟性が必要なんでしょうね。

ちなみに、私には未だにその強固な自我も、柔軟性も備わっていません。困ったものです。

真面目を書いたので、なんか賑やかしを挟みたくなりました。(はさむな

ともあれ、プロ志望のアシスタントは、いろいろ抱えがちな人が多いと感じています。アシスタントのシュラバに勝った後は、自分にも勝たなければなりませんからね。結構、修行僧的な側面があるかもしれません。まぁ、何者かになる前の過程ですから、自然とそうなります。そして修行僧で終わるか僧兵や住職になるか、はたまた生臭坊主に堕ちるか。それはすべて自分次第なのです。

プロ漫画家を目指しているアシスタントのみなさん、日常から発生するバグにはくれぐれも気をつけて、日々おきばりやす(京感)。

さらば漫画アシスタント業 ━シュラバの戦士たち━

(宇宙背景)「皆さん…さようなら、もう二度と姿を表すことは…」(違

79年頃からは
自分の作品も描かねば
ならないので
アシスト仕事をお断り
することも増えました

そうして徐々に
アシスト稼業から
足を洗って
いきました
※「薔薇はシュラバで生まれる」146Pより

そんなこんなで、漫画家になるため、そして生活を維持するためにアシスタント業をこなしてきた私ですが、やがてソレも終焉の時がきます。そう、アシスタント業に別れを告げ、ついに漫画家としての華々しいデビューがっ…!

という風になれば、人生の計画として理想的だし、自伝を書く際にもイ~感じになると思ったのですが…あいにく私の場合、運命はそう上々に進行してくれませんでした。くそう(^o^;)
とはいえ、ホントに私にもプロデビューの時がやってきます。
時は1990年1月。その作業自体は89年末からですが、遂に私もトーハンや日販の流通に乗る雑誌に掲載され、書店に…!

いやしかし、運命の神様は、またもそう上手いコト手筈してくれませんでした。正確にいうと私の商業デビュー作は、書店の店頭に並ぶ「漫画雑誌」ではありません。大手芸能プロダクション「渡辺プロダクション(通称ナベプロ)」所属タレント(当時)、吉田栄作氏のファンクラブ会報。つまり、問屋経由でなく郵送によってファンの皆様のお手元に届く、ファンクラブ会報の企画ページなのです。書店に並ぶような雑誌に掲載されるのは、同年8月まで待つことになります(しかもソレ漫画作品じゃないんですけどね)。

ココでアシスタント業に別れを告げられれば良かったのですが、ソレもそうが問屋が卸しません。なんせ駆け出し漫画家・イラストレーターです。少ない仕事で日々の生活が成り立つわけもなく、しばらくはアシスタント業と二足のわらじでやっていくことになります。アシスタント業から本格的にフェードアウトしたのは…正確な年月日は覚えていませんが、とある雑誌(区分は書籍)でレギュラー的な掲載が叶った頃でしょうか。
でも、こういう境遇の方、結構多いのではないでしょうか。ある程度は仕事の本数が軌道に乗らないと、それ一本にするの怖いですよねえ。(苦笑)

ということで、私の漫画アシスタント人生は終わりを告げたのでした。スッパリ!ではなくフェードアウトでしたが。
でも、この後も波乱万丈です。人生変わる級の事もありました。でも!ココでとりあえず一幕目終了。時期もあやふやだったけど、やはり「ナニかが変わった」という感じはしました。一幕目と言おうか…一課程を終えたと言おうか…。うん、なんとも不思議な気分でした。

要は、この稼業における「中期決算&議事録公開」

正直な所、プロとして漫画やイラスト(ライター業もやってましたが…)を制作していた時は、アシスタントをしていた時の事などは、あまり振り返りませんでした。状態として「それどころではなかった」からです。自分でも「アシスタントを雇う」ということをやっていれば、多少は思い出したのかもしれませんがソレもなかった。零細企業みたいなモンですからね、全部一人でやるしか無いという、一人きりの家内制手工業でしたから。
(そこから漫画家だけで今まで、ずっとやり抜けたかというと…まぁそれは、ちょっと違う事になる運命なのですが、それはココでは割愛します)

そして時は令和。笹生那実さんの「薔薇はシュラバで生まれる【70年代少女漫画アシスタント奮戦記】」と出会い、読ませていただいた事をキッカケに昔のことをいろいろ思い出す事となりました。そして思いました。

「自己の第2四半期中期決算報告的なコト、やっとこうかな」と…

この書を読んだことによって得た、「自分が歩んできた漫画アシスタント期とは…」という回想回顧の機会。いろいろなことが走馬灯でした(注:まだ死なんよ)。

いわゆる「大御所」先生の所にも行かせてもらいました。駆け出し新人作家さんのヘルプにかり出されたこともあります。一箇所に長居もあった、単発もたくさんあった。アシに呼ばれ、遠征行軍(最遠方記録:長野県)もしました。小学生の頃ファンだった憧れの先生の所にも行きました。とんでもない性悪な性格の先生に所にも行きました。件数は少ないけど男性作家さんの仕事場にもお邪魔した事があります。
で!もっとマクロ視点で言うと、

「イイ事もたくさんあった!ひじょーに良くない事もたくさんあった!どこのシュラバも、めっさ大変だった、でも正直、イージーモードな所もあった(ぉぃw)!…とまぁ、いろいろあったけどさ、オマエ(私)!よくやったな!褒めてやるぞ!

今もまだまだ道半ば。その時点での自分への第2四半期決算報告書。締めの文句は、自分に甘めなコレにさせていただきました。

「アシスタントも経験したし、漫画家にもなった…ねぇ、この後は?」

私はどこの仕事場でも
あくまで
ヘルプアシでした

それでも
記憶に残ることが
たくさんあったのは
なぜか?

そしてシュラバとは
大変なものだと
思いながらも
アシに行っていたのは
なぜか?

その理由は
やっぱり
面白かったから
だなぁ…
と思うのです
※「薔薇はシュラバで生まれる」175Pより

実は私、元来飽きっぽい性格だし、なかなか物事続かない性分なんですよ。でもアシスタント業(と漫画家・イラストレーター稼業)だけは永く続いた。なぜか?
私も笹生さんと同じですね。やっぱり「面白かった」んですよ、このお仕事が。
「面白かった」なんて、当時締切シュラバに大変な思いをした先生たちや、アシメンバーたちには悪いとは思うんですが、今思うと結局この稼業、自分的に「面白かった」から、「性に合ってた」から、「やりがいがあった」から続いたんだと思います。でなきゃ…ねぇ…続いていませんよ、うん。

自分でコレらを「青春」と呼べる境地にはまだ達してませんが、必死だったけど、かつ楽しく駆け抜けてきたことも事実。トータルで言えば一応は「花丸」を付けられると思います。

今後の私が、商業誌のフィールドに返り咲くか否か。フィールドを変えて立ち回るか否か、それは当の私にも正直まだ見えてません。でも今後、何をやるにしてもあの時の体験…皆で一つの締切をやっつけ続けたあの体験は、今後もずっと自分の肥やしになっていくでしょう。アノ時期があったからイマがある。しっかりと血肉になったであろうコレがあれば、今以降、ドコで何しようが、何を踊ろうが、なんとかなるんじゃないかな?…と能天気に考えてしまっています。自分、甘いですかね?(笑)

最後に、「薔薇はシュラバで生まれる 【70年代少女漫画アシスタント奮戦記】」の著者・笹生那実様にはお礼申し上げます。ありがとうございました。タイトルに書名を含めながらも、結局まともな書評・レビューにはなりませんでした。不甲斐ない自分をお許しください。

私の記憶の扉の暗証番号(パスワード)になってくれた、この本に乾杯!

不意にこの記事に迷い込んだ、この書をまだ読んでない方々も、この機会に是非ご一読ください!70年代に少女漫画の洗礼を受けた人なら、面白さは更に倍!(巨泉感

電子書籍もあるよ~!

そして、シュラバを共に戦った戦友(ツール)たちにも乾杯。

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Fin...(2020年11月19日:12584)


…あ、すいません。一つ訂正させてください!

実は…もうちょっとだけ続くんじゃよ(えー?

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