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子供と部活にまつわるエトセトラ

朝日新聞でこういう記事がありました。

つまり、中高の学生がほぼ通る道(学校によっては、ほぼ強制加入が促される所もありますので)と言われている「部活」にまつわる記事です。
学校・教師の負担が云々、運用がアレコレとか世間では色々ありますが、今回のココでの話はアウトソーシングをどうするみたいな話ではなく、ソレ以外で以前からちょっと思うトコあったことを書き留めておこうかなという、そういう趣向であり、またまた突貫工事です。気まぐれです。

同じフィールドに立つ、違うプライオリティを持つ子供たち

かねてから私は、「1つの部活を二極化をすればいいのにな」と思っていました。何を何に二極化するのかというと、ザックリ言うと「大会に出る部活、出ない部活」にです。その辺を上手く分けている学校も実際にあるかもしれませんが、そういう選択肢がない所もあるのが実情かと思います。

小学校の頃に私はとある競技(球技)をやっていました。幸いにも住んでいた所にその施設があったという事と、父が中学の時にソレの選手だったという幸運が重なり、自然とソレを覚えていくようになりました。腕(技)も、その年頃の子と比較したら、まぁまぁデキるレベルだったと自負はできました(今はもうダメw)。小学校までは部活的なものはない(任意加入のクラブみたいのはあった)ので、競技としての運動はほぼソレだけ。父も星一徹みたいなスパルタというわけではなく、自分と対等にできる程度にしようみたいな感覚だったのでしょう。時間があれば相手してくれて、ヘマしたら「ココはこうする」みたいなアドバイスをくれる程度で、特にやるのが苦しいとかイヤとか言う感覚は皆無でした。

そして中学に上がると、そこには従来の授業に加えて「部活」という新たな科目ができていました(部活は学科じゃないけど強制加入だったので実質ソレと感じた)。
当初は単純に「ああ、学校でも楽しめるのか」とノホホンと思っていたんですが、待っていたのはゼロからの基礎運動と基礎動作(野球やテニスなら素振り的なアレ)の繰り返し。「あれ~?」と私の歯車はココから狂っていきました。
幸いなことに、上級生からの理不尽で深刻な事件になりそうなイジメ・シゴキはなかったのですが、今までソレを面白く感じ、プレイしていたその競技が日々できる場だと思っていたソレは、大会に出るための準備機関でした。

自身、最終的には部長になるまでにはなったのですが、最後まで大会というものにそんなに執着が持てなくて、受験引退するまでの間はなんとなく、ダラ~んとした期間を過ごしてました。自分的には、ただ相手とラリー的なことして、その競技を楽しみたかっただけなんですよね。そういうプレイヤーは私だけではないと思うんですが、大会に出るのを目的として、あわよくば全国に!と野心を抱く子もいたでしょう。
ソレはソレでいいと思うんですけど、学校における部活という存在の現在の一番の問題は、そういう様々な思考の子たちを、同じ競技だからといって一つの枠に入れて、同一に廻していこうという考え方があることなんじゃないかな、と思うんです。

「部活」と「同好会」という「環境」

学校によっては部活ではない「同好会」と呼ばれるカテゴリがある所にはあります。私が知る限りでは、ソコで扱う主題が「世間的にマイナーかメジャーか」「所属人数が多いか少ないか」で分けられている感がありますが、ソコで考えたのは、この仕組みを使って「部活=目指せ全国大会」「同好会=単純にソレを楽しもうぜ」というポリシーで双方を運用すればイイんじゃないかなと言うこと。野球だったら「野球部」と「野球同好会」が混在するみたいな。実際にそういう学校もあるとは思いますが、その仕組みとマインドをデフォルトにという、そういう提案です。

部活と同好会の間もシームレスに移動できる仕組みも必要。ノホホンとしていたけど、段々大会にも出たい気がおきてきて自分を試したくなったとか、部活の上下関係に絶望してもうヤダ!となった子たちが、気軽に双方に移籍できるみたいな仕組みってのも必要なんじゃないかと。
今もそういうマインドがあるかどうかわかりませんが、同じ校内で部活を移籍するってなると、「アイツは俺らを裏切った」とか、ミョーにベタッとしたウエットさに責められることってありませんでしたか?
「うるせー、ばーか」で一言言い放って済ませられる人なら簡潔に完結できますが、それができない子も気軽に「好きなもの・好きな場」に「ログイン・ログアウト」できるって事は、学生としての心身の健全さにおいて、結構重要だと思うんですよ。そういう環境ではいろいろな可能性が試せますし、世の大半の生徒にとって部活って、いい意味でも悪い意味でも「人生の添え物」の一つにすぎないのですから、ソレくらいの気軽さで実現できる環境が欲しいところです。

「伝統」と「勝利」という名の美酒を呑みたいオトナ達

もう一つの問題として、学校や指導者側が生徒に部活というモノの伝統や歴史という看板を、過度に背負わせすぎているんじゃないか問題というのがあります。俗に言う「甲◯園大会常連校」や「その部活をウリにしてる学校」に特有のアレですね。
最近の報道でも、学校・顧問の暴走した例があったりしました。

個の成功体験は必ずしも他の成功体験にはならない

その他の事例の指導者の言も見た上で、結構共通してあるように感じたのが「昔(昭和)の手法・マインドをそのまま持ち続けてた(ソレしか知らない・ソレだけを信じてる)指導者」に多いのかなという事。教員兼任の顧問にもそういう人はいるのでしょうが、雇われて外部から就任した「コーチ」の類の顧問は「勝つこと」が至上命題。そりゃ指導も確実に結構厳し目になる…ってのは、あるあるなんだろうなとは思います。
教員顧問も外部顧問も、多分自分の選手時代や過去の指導例での成功体験に基づいて指導してると思うんですが、それが時代に合っているかを随時確認しない指導者も多いのかな。自分の成功体験を自己で容易く否定できる、切り替えられる胆力があればいいのですけど、人間性はそうカンタンに変わらない…んでしょうなぁ。そういう人たちの一角がやらかした時、ポコっと世間に出てくる。前述の事件はその類かと思うんですよね。
前述の学校はいわゆる「その部活をウリにしてる学校」ですから、所属してる生徒も「ただ楽しみたい生徒」カテゴリは、多分ほぼいないんでしょうけど、だからといって今を生きる生徒(子供)全てがその手法を甘んじて受け入れるかというと、ソレは話が違うと思うんです。指導者としての個のポリシーの1パターンとしては、世にそういうのもあっていいものなんだろうけど、「未熟な子供を指導する大人」としてはどうなのかと。個人的感想を言えば、人(子供)を見ない指導者は単純に未熟な鍛冶師であり、未熟なオトナの自慰行為なんですよね。

「昔の手法しか知らない」といえば、高◯連にもソレは感じられます。結構前から「酷暑の夏休みに大会を開くのは是か非か」という議論があるのは皆さんもご存知でしょう。

教育上云々とか、いろいろ理屈は付けてますけど、個人的には「夏休みに美しい汗と涙を流す高校球児尊いと唱える、エエ歳こいた青春美化ヲタク」にしか見えません。私自身がそういう場面を見てもあまり感動を覚えない人ですから、そういう偏見もあるかもしれませんが、昔の気候と比べて明らかに環境が違うという事実からは逃れられません。サウナの中でフルで野球やれというのが、子供にとってどれほど過酷か、あのオトナ様たちにも一回体験させてあげたらどうでしょう、とか毎年夏近くになると思います。

学校として「ウチはプロ養成校です」と宣言する事や、ソレを売りに生徒募集をすると言うのは別にいいんです。それも生徒の選択肢の一つとしては有効なものですからね。目標が全国大会でも学区地域の大会止まりでも、ソコがそういう場だったら部のポリシーは堂々と事前に宣言してほしいですね。「全国を目指さないのなら帰れ(CV:立木文彦)」くらいの事は言っていいと思います。
ソレを目指さない子達が迷い込むことを防ぐのにも注力するのも大事です。もし入ってしまっても部活を辞めることのハードルもウエットな感じで高くしない。そういう所はドライに徹して欲しい。

昭和には一回入部したら出られないみたいな圧をかけてくる先輩や顧問も一部にはいました。そんなトコに引っかかったらもう、大事な思春期の時間が無駄に奪われてしまいます。ソレは許されない。許したくない。
今が「もうそんなトコないよ(笑)」と笑える時代ならいいんですけどね。私の取越苦労だと。でも多分極一部ではまだあるんだと推測してます。なんせ、人間のするコトですから…ねぇ。

「部活」は上昇志向達成の場…だけではないという提示

学生が全国を目指すための「部活」。プロにスカウトされたい、頂点に行きたい、オリンピックに出たい、などの願望達成としての装置はあってもいいと思います。ただ、ソレだけというのは歪だというのが私の見解です。ただ楽しむモノ、カラダを鍛えるモノ、友達を作るモノとしての装置でもないと、人生としてのバランスが取れません。
結局のトコ、この記事は部活に間違った幻想を持っているオトナに対しての個人的な文句ですね(笑)。

理想を挙げるとすれば、

例えば「野球部」。全国目指します!プロ輩出します!コレで生徒集めます!ソレも良し。一方で「野球同好会」は他校との試合が終わったら、草野球のおっちゃん達みたいにファミレスあたりで(顧問込みの)両チームが打ち上げという、ほぼ交流会をやるとかそういうヤツ。

例えば「吹奏楽部」。全国目指します!ダメ金じゃないやつ!コレで生徒も集めます!ソレも良し。一方で、「吹奏楽同好会」はお互いの学校でセッションして、同じ楽器奏者同士交流ができるみたいなそういう場。普段も好きな楽器が演れて、演りたい楽器が覚えられる。賞や大会というプレッシャーも無い、ただただ演奏するだけの場。

「君は僕を夢想家だと言うかもしれない」

今回のコレは、朝日新聞の記事を見た私が、自己体験のフィルタを通してひねり出した感想です。実は無料会員なので、記事全部を見ているというわけでは無いんですよ(笑)。なので、記事全体に関してのインプレッションではありません。正確には「部活のあり方」というヘッドラインを見て、体内から出たモノ…というのが正しいでしょう。

子どもたちには、私の感じた違和感を感じない部活生活を送って欲しいなと思います。子供にとって学生時代は楽しい時間であってほしいなと。そんな感じです。

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