バリ島在住の甥、朝3時から働いてるんだってよ
領事館に用があってバリ島へ行くことになった。
領事館のあるデンパサール市内には、義理の甥が住んでいる。
甥はロンボク島出身、30才。
地元の高校を卒業後、しばらくロンボク島のホテルで働き、隣の島・バリ島のヴィラへ転職。通算10年以上、宿泊業界で働いた。
だがコロナ禍の去年2月に会ったときは、甥は宿泊業の仕事に見切りをつけて複数の単発仕事をかけもちしていた。ウェブサイト作成やらCMの英語ナレーションやら、なんでもYoutubeで勉強しながらやったらしい。
バリ島へいく数日前、ほぼ1年ぶりに連絡をとると、「バリに着いたら連絡してよ。迎えにいくから」と気持ちのいい返事があった。「仕事は?」「大丈夫、仕事は午前中に終わるんだ」
午前中に終わる仕事?夜、働いているんだろうか。それとも私が到着する日だけたまたま午前中に終わるんだろうか。会ったら訊いてみよう。
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早速、甥から仕事の話を聞いて、私はたまげた。
夜明け前の3時からオンラインで仕事をしているという。
「なんだって3時なの?」
「だって、アメリカの企業と仕事してるもん」
「アメリカぁぁぁ?」
甥の仕事は、ニューヨーク州の配車サービスのカスタマーサポート。ニューヨークでは州政府と企業が協働して、身体障がい者向けに配車サービスを提供している。身体障がい者は公共バスを利用するよりも安く、配車サービスを受けることができるらしい。
甥は、その配車サービスのお客様からの質問やクレームにオンラインで対応していた。テキストメッセージではなく、電話でのやりとりだ。当然だけど、やりとりは全部英語。でも10年以上外国からの観光客相手に英語で仕事をしてきた甥には、難しいことではない。
「どんな質問やクレームがくるの?」
「『ふざけんな、てめー。いつまで待たせてんだよ』って」
「冗談でしょ」
「ほんとだってば。毎日Fワードばっかりだよ」
えー。そういう人もいるっていうならわかるけど、こんなのばかりなの? たしかにサービスを受ける権利はあるけど、もうちょっと別の伝え方があるんじゃ…。
「んー、これがアメリカなんでしょ」
甥は涼しい顔をしていた。顔も見えないし、たぶん会うこともない相手の言うことだから、全然聞き入れてないよと笑う。
つ、つおい…。鋼のメンタルかよ。
お客様からの罵倒に近い質問やクレームに対して、モニターを見て車の位置や到着予定時刻などを知らせる。これが甥の業務だった。1日8時間労働+休憩1時間で正午に終わる。午後からはフリー。夜は21時に寝る。完全在宅。慣れてしまえば、いい仕事かもしれない。
でも、そんなすぐに慣れるものなのかね。モニター操作もあるし、ニューヨークの地名だってわからないだろうに。
「研修は?」
「あったよ」
「何ヶ月?」
「1時間」
「たった1時間?」
モニター購入費用は支給。自分で適当なモニターを探して設置し、会社から送られたリンクに従い、研修ビデオを1時間視聴。内容を理解しているかどうかを確認する面談が数十分あっただけで、そのあとすぐに「go!!」と現場へ放り出されたらしい。
ひぇぇぇ。みどりおばちゃんは無理ぃぃぃ。
甥の机の前の壁には付箋がたくさん貼ってあった。地名を覚えるために貼っているそうだ。たくましいなぁ。
肝心のお給料は、1ヶ月500万ルピア(約4.3万円、2023年3月15日為替レート)。ちなみに、バリ州の最低賃金は270万ルピア(約2.4万円、同上)を少し上回るくらい。うん、十分生活できる金額だ。何より甥は田舎の母親と弟に仕送りもしている。立派だよ。
*
甥の仕事は、私にはうんと今どきの働き方に見えた。自分が磨いてきた英語でフルリモートで海外企業と働いているんだもの。新時代だ。甥は、新時代のうねりにドボンと飛び込んで、うねりをうねりとも思わずに泳いでいる。
私はもうすぐインドネシア国籍を取得する見込みだけど、それを見越してインドネシアでコーチングの認定を受けた。それでも、言語の不安がつきまとい、インドネシア人相手のコーチングには踏み出せないでいる。
甥はわずか1時間で現場に出たんだよなぁ。
私も飛び出してみようか。いやいや、初級に毛が生えた程度のインドネシア語で? でも高校で日本語だってなんとか教えられてるやん、行くべきやで。
さんざん頭の中で綱引きをやってきた。でももう、頭の中はいいかな。私も新時代を肌で感じたいよ。
えーい、甥よ、ありがとう。私もそっちに行くわ。
みどり
サポートはとってもありがたいです(ㅅ⁎ᵕᴗᵕ⁎) 2023年年末に家族で一時帰国をしようと考えています。2018年のロンボク地震以来、実に5年ぶり。日本の家族と再会するための旅の費用に充てさせていただきます。