昼下がりの訪問者
娘と遊びながらごろりと昼寝をしはじめたころ、「アッサラームアライクム(こんにちは)」と庭から声がした。
知らない声だったので、誰だろ?と窓からチラ見。
一目でイスラム教の何かだという格好をしている男性が二人ともう一人ヒジャブをかぶった女性がみえた。
(あ、これはダメ)
咄嗟にそう判断して、昼寝のふりをして返事をしなかった。
彼らはイスラーム系の学校や福祉施設などからコーランなどを販売しに来た人々なのだ。
イスラーム系の団体は、施設を建てるにしても組織を運営するにしても基本的には喜捨(寄付)で成り立っている。また、こうして何かを販売してまわることもある。
喜捨は多いに賛成だが、厄介なのは、今日のように一軒ずつ訪問してくるものだ。
もちろん「いらないよ」と追い返すこともできるが、良心の呵責により、購入か喜捨かの二択になるのが常。
全然知らないところから突然、何かを買うか寄付をしてほしいとやってこられても正直困る。
え、心が狭い? 信心がない?
ーうん、そうなのだろう。
イスラム教としても、これは本来なら困ることではない。
喜捨をする巡りあわせをいただいた、善行を積む機会をいただいたと喜ぶべきシーンなのだ。
でも、私は喜べない。
知らない団体に寄付するくらいなら、市場でよく会う物乞いの人や私たちがいつもお世話になっているモスクに寄付するわ…と思ってしまう。
彼らが本当にそのような組織から来たのかどうかがわからないのも、彼らを敬遠する理由の一つ。寄付を募っているとみせかけて詐欺だって働ける(事実、詐欺もあるらしい)。
*
今日は黙って昼寝(のフリ)をとおそうと思ったのに、娘が窓から大きな声で「はーーーい!」と返事をした。わー、あかん!という暇もなく、庭の門を開けに行っているではないか。
あーあ。
娘が門を開けに行ったのを見て、姑までもが「みどりー、お客様よー」と呼ぶ。「みどりったらーーー」 ああ、もう呼ぶなよぅぅ。
渋々外に出ると、高校生くらいの子どもたちが立っていた。イスラム教系の学校から来たようだ。ありゃー、大人でもイヤなのに子どもとは…ますます断れない。
この時点で姑は「あ、ごめん」という顔をしていた。
姑は真面目なイスラム教徒だが、それでも「困ったなぁ」と思うのは同じみたいだ。
でももう、仕方がない。
今日の販売物は来年のカレンダーだった。
12か月分が1枚で見られるポスター仕立てになっている。
「見せてね」
姑が一つ手に取った。
私と娘が覗き込む。
そうそう、こういうのよく作るんだよねぇ。
定番デザインだけど…絶対いらん…。
選挙の立候補者のように、学校の理事長がバーンッと大写しになっていて、学校のビジョンがのってるカレンダーやで? いらんやろ。
どんなにいらなくても、買うしかない。
私は腰を上げてお財布をとりにいった。
背中で姑と学生たちが話す声が聞こえる。
「いくら?」
「20000ルピアです」
日頃市場でバンバン値引き交渉をする私たちも、こうしたイスラム教関連物は交渉をしないのが暗黙の了解だ。
私は黙って20000ルピアを差し出した。
遠くで雷がゴロゴロしている。
「気を付けて帰ってね。もうすぐ雨が降るよ」
*
彼らが門から出るのを見送って、姑と顔を見合わせた。
めずらしく姑と同じことを考えているようだ。言葉に出さなくてもわかる。
特に交わしたい話もないので、私たちはわざとカレンダーを再度見直した。
「どこの学校?」
「わ、中部ロンボクだって。遠くから来たんだね」
彼らの学校は、私たちの家から車で2時間ほどはかかるにあった。
はぁ、ま、遠くから来たんならいいか。
私たちは落としどころをつくって、半ば無理やり自分たちを納得させた。
喜捨をする巡りあわせをいただいたと感じるまでは、まだ時間がかかりそうだ。
サポートはとってもありがたいです(ㅅ⁎ᵕᴗᵕ⁎) 2023年年末に家族で一時帰国をしようと考えています。2018年のロンボク地震以来、実に5年ぶり。日本の家族と再会するための旅の費用に充てさせていただきます。