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歯医者と漬物石

2週間前、歯医者でお腹の上に漬物石を置かれた。

発端はこうだ。

朝5時ごろ、早朝から書き物の仕事をしていた私は、小腹が空いたのでゴソゴソと台所のお菓子ボックスをあさった。前日に夫が買ってくれたらしいピーナッツ・チョコバーが家族の人数分ある。ラッキー。これ食べよう。

チョコバーを片手にああでもないこうでもないと仕事を続けていると、脳天が突き抜けるような痛みが走った。
「いっつーーーー」
稲妻のような一瞬の出来事で、何がどうなっているのかがわからなかった。

痛みと驚きとで半ば固まっていると、痛みの第二弾がきた。痛い痛い。どうしたらいいんだ。たまらず台所へもう一度行った。水を飲みたい。冷水は飲まない主義なので、コップに魔法瓶の熱湯を注ぎ少しだけ常温の水を加えて、ぬるめのお風呂程度の温度にした。

水を口に含ませるとズキキキキと鼻腔から脳にかけて痺れるような電気痛。ワサビを大量に鼻の穴の中に塗りたくったらこうなるんだろうか。ここでやっと私はこの痛みが歯痛であることを理解した。

よれよれになりながらスマホを鏡がわりにして自分の口の中を見てみた。痛みの元は左のほう…と覗き見ると、親知らずの一本手前の歯が縦に欠けていた。「これや」

痛みは波のようにズキズキと痛んでは引いた。「もうずっと引いててくれよ~~」と思うのにまたやってくる。そのたびにキター、グォォと般若のように口を歪めた。

起きてきた夫に歯痛の話をしたが、そのときは痛みがひいていて夫には「大丈夫そう」と思われた。が、午後3時ごろから再びズッキンズッキン。バイキンマンがやりたい放題に暴れ始めた。「助けてーアンパンマーン」

たまらず夫に訴えると、若干嫌そうに民間療法をあれこれ教えてくれた。悪気がないのはわかってる。民間療法が効くときは効くのも知っている。若干嫌そうなのは私の話を聴くのが嫌なのではなくて、私が痛そうにしているのを見るのが嫌だからなのも知っている。そうだ、夫よお前はいい奴だ。だけど今それどころじゃないねん。即刻歯医者だ。歯医者一択、歯医者以外は考えられない。連れてってーーー!!!

半年ほど前、親知らずを公立病院の歯科で診てもらったときに、そこの歯科医が夕方から自宅でクリニックを開けていると聞いていた。彼女の腕がよかったので夫のバイクに乗ってそのクリニックへ行った。

受付で名前と住所、症状を説明。ほどなくして名前を呼ばれた。小さな部屋の中に机が1つと診察治療台が2台並んでおり、病院で出会った女性歯科医と男性の助手が1人ずついた。部屋の内装はコンクリートがむき出しのままで決してきれいなクリニックとは言えないが、治療台そのものは日本でよくみるもので(もちろん旧式なのだが)、これは大丈夫かもと期待させてくれる。

診察台の上にて(娘撮影)

歯科医は私の顔をみて「あなた…会ったことあるよね?」と言った。たくさんの患者に会うだろうに、覚えてくれていたなんて。日本人だから目立つのかもしれないけど、やはり顔を覚えてもらえているのは嬉しいもんだ。彼女は私の口の中を軽く診察をしながらザッとここまでの経緯を聞き出した。
「あぁ、ここだねぇ。こりゃ響くでしょ。詰め物をするのでいいよね?」
「はい、そうしてください」

もしかして半分に欠けた歯を抜くことになるかもと思ったが、そうならずにすんで一安心した。口を濯いで診療台に横になるように指示される。
「はい、じゃあ口を開けて」
「ぁい」
さあ、いよいよだ。痛くありませんように!

口を開け目を閉じて完全受け身状態になった瞬間、

ドゥス

とお腹の上に重みを感じた。
え、何、石?

ちょうどおヘソのあたりに丸い何かが置かれている。猫か赤ちゃんほどの重さだ。昔ながらの漬物石のような丸みと重みだが、何かはわからないし説明もない。なんなんだ、これ…。しかし、さも自然な様子で漬物石が置かれたまま治療が始まった。

ヴィーーーーンという歯医者のあの音とともに治療が進んでいくのがわかる。あまり痛みもない。やはりここにして正解だった。

緊張がゆるんだのか、漬物石が気になって気になってウズウズしてきた。なんのためにあるのか。ロンボク島のおまじないか風習か何かなのか。そもそも石なのか。なんだかときどきフッと軽くなるような気もするが霊力でも宿っているのか。

なんなんだろう…。私は診療台で口を開けたままそっと薄目を開けて、自分のおなかのほうを見た。

…歯科医がいた。

日本の歯医者では、患者の頭のほうか肩あたりに歯医者の座るイスがある。でもここにはイスがなかった。歯医者は立ったまま手の位置を安定させるために、私に覆いかぶさるようにして私の歯の治療をしていた。私のおなかの上の丸い漬物石は歯科医の腕と肘だったのだ。密着度たかっ。

ロンボク島の人達は、自分が立ち上がるときに「よっこらしょ」と隣に座っている人の膝や肩に手をつくことがある。同性の場合のみではあるが、日本でそのような経験をしてこなかった私はギョッとしたものだ。しかし慣れると安心する。他人が何の他意も悪意もなく、ただ自分の体を支えるためだけに断りもなく誰かの体に触れ、体重をかける。これが人間に対する信頼でなくてなんだろうか。

自分で開業したクリニックに患者が途切れることなく訪れるくらいなのだから、歯科医は相当勉強をして技術も熱心に磨いてきたはずだ。ロンボク島の田舎では間違いなくエリート層だろう。そんな歯科医も、これほどにまで患者との間に垣根がないとはなぁ。

ああ、この歯医者さんにしてよかった。もうずっと歯医者はここにするわ。

歯科クリニックの前の見事な風景


(みどり)

サポートはとってもありがたいです(ㅅ⁎ᵕᴗᵕ⁎) 2023年年末に家族で一時帰国をしようと考えています。2018年のロンボク地震以来、実に5年ぶり。日本の家族と再会するための旅の費用に充てさせていただきます。