自殺した父を想う2 うつの人に言ってほしくない言葉
私が小学校の低学年の頃は世の中はバブルと言われる時期。
子どもの自分でも、景気の良さを実感した。
田舎で小さな商売をしていた父も、それなりに稼ぎが増えたんでしょう。
小学校2-3年生くらいの頃は、欲しいものも結構買ってくれるようになったと感じていた時期があった。
父は相変わらず、早朝から仕事に出かけ、帰宅は19時〜22時くらいだったと思う。
日曜日は休まず。
本当に時々だけど、父が家にいる日は特別な感じがして嬉しかったのを覚えている。
父の仕事について行った日も楽しかった記憶。
そんな良い記憶の時期はほんの数年で。
バブルが崩壊したと言われるようになったのは、いつからか分からないけど。
小学5年生になる頃には、もう崩壊していたんだろうと思う。
父の様子がおかしいと私でも認識できたのは5年生になってからだと思う。
山には柵もしていないし、池に蓋もしていないしっていう、自殺願望を口にしていたと母が言ってたのは、様子がおかしくなる結構前だった気がする。
いつ頃からだったのか、両親の喧嘩というか、今考えると母が一方的に怒っていて父は言い返さない人だったから、喧嘩とも言わないか。
母は、本当は誰よりも気が小さいんだけど、深く知らないとそうは感じられないタイプ。
キツイおばちゃんって言う言葉が多くの人の母への第一印象だと思う。
怖いものなんて無いような顔をして歩いてる。
本当は怖がりなんだけどね。
そして、無知。
無知が故に素直でもあるんだけど。
無知で考えが浅はか。
だから、どんどんウツが進行していく父にむかって
「自分で自分の病気を作ってるんやん!」ってよく言ってた。
絶対に言ってほしくない言葉。
ウツが何なのかも分からない母は、そう感じたんでしょうよ。
つらいよね。
仕事は思うようにいかなくなった。
家にいても、理解なんてされなくて、ヒステリックな嫁。
母に対して
「もっと賢く在ってくれていら…」
どうしても思ってしまう。
うつ病のパ-トナ-を持つ苦しみも計り知れない。
ただ、もう少しだけ、父を理解しょうとしてほしかった。
自分の苦しみを父にぶつけ返すのではなく。
今は何事も無かったように、こんな話も母としないけれど。
母に対しては、諦めが先に立つから。
父が生きていたら、やっぱり私と父は気が合っただろうなって。
大人の自分が父と接したことがないから?
妄想尽きない。
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