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ユレニワ 革命前夜、あるいはその続き(2023.09.28 ユレニワ定期公演エロス vol.24)

ユレニワ 革命前夜、あるいはその続き
(2023.09.28 ユレニワ定期公演エロス vol.24 ユレニワ解散前最後のライブを観て)


※自分だけしか分からなくても良いと思って書き綴った「感想」。レポートではないです。
呼び名がバラバラしていたり文章がとっ散らかっているけど、今の気持ちそのままを書き残しておきたい、と思ったので許して欲しい。
誰が読んでも特に得にはならない。ので、これ読むよりユレニワラストワンマンライブ「定期公演 エロスvol.24」のライブ映像を観た方が良いです!みんなで観よう。とても素敵な映像です。

LAST ONE-MAN LIVE「エロス vol.24」at 新宿Marble 2023.09.28
https://m.youtube.com/watch?v=ICuYVaDcbEY


もしそれでも読もうという奇特なお方がいたら要注意。文章を整えるのを諦めたので激烈に長い。です。

自分が書くのは烏滸がましいな、と今でも思っている。7年ちょっとの活動のうち、たったの1年半しか観ていないから。だから、1年半ユレニワを観続けた人として感想を書きます。わたしの記録であり記憶。なので、これを読むあなたにはなんの意味もない文章かもしれない。

本当はもっともっと好きだった人の感想を読みたいし聞きたい。わたしの記録と記憶は偏っているし、この文章がポンと放たれてしまうことにちょっと怯えてる。けど、心の中に留めておくだけではキャパシティが限界なので。
ユレニワへのありったけの愛を込めて、ここに記録を残しておきます。

※シロMCは書き起こしました。勝手なバイアスをかけた要約にしてはいけないと思ったから。





■■■■■

2023年9月8日、金曜日。17時。携帯が鳴る。はっと画面を見ると、ダイレクトに目に飛び込んでくる文字「ユレニワ 解散のお知らせ」。一瞬で血の気が引いた。何が起こったのか分からなかったし、手も足も冷たくなって、まだ残暑厳しい蒸した空気の中で、ひとりだけ氷の世界を呼び寄せてしまったみたいだった。
混乱して何も手につかない。けれどもひどく冷静を装って解散のお知らせの長い文章を読む。頭が回っていない。涙が滲んできて文章が飲み込めない。一体なんて書いてあるんだろう。この文字列の意味するところは??何も分からなかった。
何も分からなかった、というと嘘になる。予兆は、あった。不穏で不確かで胸がざわつくやつ。それでも、こんな結末を予想出来ていなかったし(出来ていたとしても、したくはなかった)、もう少し…もう少し軽めの(HOPE、軽め)、あるいは、何事もなかったかのようにいつも通りの時間が流れ始めるんだと、自分に思い込ませていた。

それにしても、予兆から解散のお知らせまでの期間が短すぎるし、解散前の最後のライブまでもう1ヶ月もない。9月28日、毎月開催しているワンマン定期公演が最後のライブだという。10月に発表されていたライブは悉くキャンセル。とても楽しみにしていたライブが決まった直後だったのに。。気持ちの整理はつけようもないが、時間は残酷に過ぎていく。翌日に予定されていた野外フェスは台風で中止となってしまったし、ユレニワを観られる機会があと3回しかない。その後は、無い。今後ユレニワの新たなライブが告知されることはもう無い。という絶望的な事実。

解散発表直後のライブではSEが始まった途端に感情制御が効かなくなって涙腺崩壊してしまい嗚咽が止まらなくなるし、悲しいというよりも悔しい、やりきれない悔しさでステージを睨みつけていた。目も鼻も真っ赤にして泣き腫らしながら睨みつけていたので格好なんてこれっぽっちもつかないけど、それでも嘘のない心で真正面からユレニワと対峙した。音楽を誠心誠意届ける。いつも死んでも良いようなステージを演る。その気持ちがひしと伝わってきて。争いの花、だらしないね、遺書、Bianca、恋人たちのヒム、知りたい。6曲を丁寧に演奏する、音楽に全振りしたステージだった。

それから2週間ほど間が空いてしまう、ラスト2回のライブまで。何かをしていなくては気持ちが持たないし、ふとした瞬間に涙が溢れそうになっておかしくなってしまっている。
なに期待しちゃってたんだろう。期待はエゴだって何回も何回も思ってたはずなのにな。

こんなことをいちリスナーが考えてしまうのは無粋だけど、考えてしまう。いつどこで、どんな分岐点を選んでいたら、この現実にならずに済んだのだろうって。考えたってどうにもならないのに、想像したって何も正解はないのに、それでも考えてしまう。答えのない考を巡らせるのは苦しい。だけれど、真剣に向き合いたかった。(一体全体、単なるいちリスナーが向き合ったって何も生まれないことは知ってる、それでも)今までのライブを全部振り返る。たった1年半だったけれど、楽しい激熱ライブばっかり思い出されて、だからこそ胸を抉り取られるくらいには苦しかった。けど、何度も思い出して、思い出すたびに胸が震えて涙が滲んだ。
ライブのことを思い出すたびに、ライブハウスで、そしてSNSで流れてくる、ユレニワを好きな人たちの姿も思い浮かぶ。誰しも、ユレニワがいないと死んじゃいそうな人たちなのに。
そうだユレニワは、好きな人の数というよりも、好きな人たちの愛の深さがダントツで、ユレニワがいなくなると生きていけないくらいに愛している人ばかりだったよ。愛の深さが生活の奥にまで入り込んでいる。浅く広く知られているよりも、愛の深さが深い方が、なんかいいな。って思う。

これまでのライブを全部思い返して、そしてこれまでのユレニワの曲を全部聴き返して、好きな気持ちが重すぎて死にたくなるくらい苦しい気持ちを抱えてなお、9月27日に思ったことは「ユレニワのライブを早く観たいんだ」だった。ユレニワのライブにどうしても惹かれる。唯一無二のライブ。いつでも生きていて、希望も絶望も、人の感情全てを混ぜ込んだような轟音に包まれて、ここにいていい、この気持ちを持ったまま生きてていい、そう思わせてくれるライブ。観ている時だけ生き返る。



ユレニワ解散前の最後のライブは、奇しくもワンマン公演。「ユレニワ」というバンドよりも、「定期公演エロス」というものが先に羽ばたいて広まっていってもいい、そうフロントマンのシロナカムラが話すくらいには、ユレニワが力を入れていた、そして毎月ほぼ欠かすことなく2年半続いた企画。

わたしがユレニワのライブに行くようになってからは、ライブのチケットが売り切れるということはなかったんだけど、ラストのエロス、新宿Marbleは解散発表早々にソールドアウトした。正直びっくりした。こんな、こんな…こんな数日で売り切れるくらい…、ユレニワを好きな人たちがいっぱいいたんだ、、みんなどこにいたの??
今までの定期公演とは全然違う雰囲気。人がどんどん入ってくるし、これまでユレニワのライブで経験したことがないくらいにぎゅうぎゅうのフロア。静かな熱気。始まってほしくない、終わってしまうから。それでも皆一様にステージを見つめながら開演を待っている。

いつもの登場SE。これを聴くのももう最後か、っていう実感が湧かないくらい、普通にいつも通り出てくるメンバーたち。ニコニコ楽しそうに一番手で出てくるRENJU。両手をあげてにこにこと狂気の笑みで入場する種谷佳輝。グラサン姿のシロナカムラ。そして壁の端の方にそっと立つサポートの是永さん。
SEからそのまま生演奏が始まる爆裂の「ジャーン!」が大好きで、毎回ユレニワのライブのイントロ聴くだけでその日はもう優勝だ!って思わせてくれる。

1曲目、イントロで何の曲が来るのかが分かる。
『宣誓、これから旅に出ても泣かないと誓おう』この時を想像して作ったんじゃないかと思えるくらいの歌い出し。あばよ、ビューティー、この曲を1曲目に持ってくるという心意気。ひとつひとつの歌詞を、ひとつひとつ音を、ひとつひとつのリズムを、歌う奏でる刻む丁寧さがきちんと伝わる。グラサン姿で歌い上げる、この気持ち悪い和音、変調転調、アウトロからが本番と言わんばかりの激エモバカ長アレンジ、これこそユレニワのユレニワたる、とうとう始まってしまったラストエロス、、

余韻と暗転のち、Cherie。イントロのドラムですぐ分かる、かっこいいやつだ!って。いちばん好きなドラムの出だし、気合いの入りまくった、スティック叩き割るんか?くらいに気合いの入った漢ドラムから始まるCherie。世界一楽しそうな笑顔、てか下向いて弾きながらも笑顔になってるよしきギターがいるし、馬の嘶きのごとくシロの雄叫び、ユレニワのユレニワらしさが1番詰まってるなと思う、疾走感。疾走していて振り飛ばされそうなのに、ちゃんと手を掴んで引き上げてくれる。シロナカムラがグラサン姿で歌うCherieがいちばんかっこいいよ。間奏(バンド・デシネの〜の前のやつ)のドラムのリズムが好きすぎていつもガン見してしまう。ここのベースラインもかっこいいんだよなあ。で「ステレオから流れ出すギター!」って歌ってるのに、ここのドラムも好きすぎる。にこにこと破顔しながら超楽しそうにドラムを叩く姿で胸を焦がす。その後の間奏ギターも疾走してて完璧ににかっこいいんだ、もう。
この時は「もう観られなくなる」なんて気持ちは吹っ飛んでいて、ただただひたすらにかっこよくて楽しいユレニワのライブだった。愛はここにあり!生きる!ずっと観ていたい、観ていられるはず!くらいの熱い気持ち。

シロナカムラが話し出す。
「えーと。発表があった通り、今日のライブを最後に、解散します。」

急に込み上げてくる実感する「今日が最後」。。

「いろんな気持ちが、ひとことでどうって言い表せないほどいろんな気持ちがあるんだけど、今日のライブを通して、全て出し切って、いく、ことが、するべきことだなと思ってるし。というか、今日のライブを通して、俺はその、言い残したことがないように、しなくてはならない、ぐらいに思ってる。それが、ここに立っている以上、みんなと顔を合わせている以上、絶対必要だと思っている。お前ちょっとぬるいぞ、と思ったら言ってな。
もちろん湿っぽくなるよ。だってお別れなんだもん。お別れって、悲しいし、寂しいし、苦しいし、人によっては冷たいかもしれないね。冷たい温度を感じるかもしれない。でも、その温度を感じさせないようなライブをするつもりでいる。希望に満ちたような、それくらい感じてしまうようなライブにしたいと思ってる。悲しいね、っていう感じで終わりにするのは、俺は望んでなくて。だからしっかりと、目の輝きをみんなに見せて、最後までやりきりたいなと思ってます。
だから………楽しんでね、か。いや、悲しまないでねは絶対違うよ。無理な話だ。だけど俺は死ぬほどやり切るし、キラッキラした目でみんなを見てるから。キラッキラした目で、楽しんでもらえたら嬉しいです。よろしく!」


最初の2曲、フロア中が「これが最後なんだ」という、覚悟というか、「見逃してはいけない」という緊張感にも似た固い空気が纏われていたけど、この言葉でフロアが少しあたたかくなったように思う。シロナカムラの作る空気はいつでもあたたかい。そっか、希望、持っててもいいんだ、って。最後の日に、そんなことを言ってくれる人なかなかいないし、できないな。シロナカムラのすごいところだなと思う。

そして始まる祈りのような教会のパイプオルガンみたいな音。祈りの音が響く中での「ワン、ツー、スリー」カウント。ああ、今日は、全部受け止める気持ちで、ある意味あかるい気持ちですっきりとした気持ちでライブに臨んだんだけと。シンプルにありのままで楽しんで、ライブを観ようと思っていたのになあ。シロMCの「希望に満ちた」とリンクするように、希望の祈り、海底から差し込む光。シロよしきのほんとうにきれいなコーラスの歌い出し、そして丁寧な気持ちを込めた「ギュイーーーーン」。「ひかりにひかれて」は無理だったわ。勝手に涙が出てくるんだもんなあ。去年のエロスで初披露された時のこと、武者修行ツアーのこと、MASHツアーのこと、そしてLANDツアーのこと。全部一気に思い出して、ユレニワ現在地の愛のうただ…全部全部。全部の感情が溢れ出して涙腺が崩壊してしまう。僕らはきっとサブマリン、、なんかずっと悔しくて、なんかずっと祈ってて、なんかずっと心が燃え続けていて、なんかずっと共鳴してて、なんかずっと、救われていたよ。ずっとこの1年間、戦い続けてきた曲だなあって思う。ユレニワ戦線の最前線で。地下の暗い秘密基地で、綺麗でもきれいごとでもない、隠れたり逃げたりながら、それでも生身の人間の剥き出しの感情、「汚れるよりここにおいでよ」がゼロ距離で心に入ってくる、情熱のロック、毎日の生活の中で、負の感情になることだってたくさんあるけれど、それは持っててもいい感情、だってみんな持ってるんだもん。目の前で歌ってるロックスターだってそうだよ、苦しくて悩んでぐちゃぐちゃでも、こんなにかっこいい、太陽から遠ざかっていても、こんなに胸を熱くさせる空間がここにある、そこで起こるドラマをずっと観ていられる、いや。バンドドラマを観る、なんて生半可なものじゃない。参加させられている、共謀者、、傍観者ではいさせてくれないこの感じ。
間奏のメタルドラムからのグリッチでギャリギャリ音を足していくアウトローなアウトロ。ここが戦いの最前線、最後は急に抜けて美しいギターのユニゾン。ここのよしきくんとシロくんが背中合わせで、青と赤で、隣り合わせで弾きあう姿は何回見ても美しかったし、シンプルな白い光の中ででも、七色の照明の中ででも、広いところでも小さいところでも、どこで見てたって、ずっと美しい景色だった。戦いと祈りのうた。

祈りの音が反響して静かに消えていく、そして。すっと息を吸い込んで、始まるシンバルの音とバスドラムのキック。Hello Glow。風景がさぁっと切り替わる。わたし見たことないのに、7年間の4人が見えたり、あの時の追体験のような景色が見える(知らないんだよ、知らないのに)。なんでこんなに「懐かしい」って思うんだろう。ライブでは何回かしか観てないのに。サブスクでは配信されていない名曲を、YouTubeで上がっている過去のライブ映像を何度も観て胸を焦がしていた。Hello Glowのよしきギターが1番好きな音だよ、今までなんとなく遠慮しちゃって言ったことなかったけど。弦の響く音が最高なんだよなあ。Hello Glow、いつでも自信に満ちていて、挑戦的で、何かを壊そうとして、作り上げようとして、強靭なようでいて、それなのに極端に繊細で。間奏のギターも大好き。前に向かっていくような、ずっとずっとはやる気持ちで、身体よりも気持ちがどんどん前にいってしまうような高揚感、あの映像と、目の前で歌っている姿を重ねる。確かな歳月が流れていて、今でも名曲は生き生きと演奏されていて。左右に揺れながら歌うシロナカムラ、ああ、姿も声も成長して色味や深みや力強さを蓄えて、ちゃんと「今」のHello Glowだなあ、この曲とともにもっと年月を重ねたかったなあ、となぜか懐かしさと郷愁でずっと胸が痛い。

最後のライブで、7年間の軌跡を見せたくなった、っていう。あの頃のライブの流れ。Hello Glowからの缶詰。
私がユレニワに一目惚れした頃、ユレニワのライブを観に来ている人たちは多くはなかった(どのくらいを多い少ないと思うかは明確な基準はないと思うけど)。ライブが、バンドが、コロナ禍から少しずつ立ち上がってきた頃、小さなライブハウスで、声を振り絞るように歌い上げられていた缶詰。ひとりひとりに音が届くように、ありったけの感情を込めた爆音の中、ただそこに居ただけで、身体の奥から込み上げる熱さで胸がいっぱいになった。缶詰の中のような息苦しい外出規制、何をしても何かに怯えていなければならない窮屈感、ライブハウスには静かに行かなければならない、マスクで表情も見えない声も出せない。生の感情が伝わるかも分からない沈んだ2年と少し、だけどちゃんと届いていた、ちゃんと響いていたよ、ユレニワというバンドが鳴らした音楽は。
シロナカムラの弾けるほどの隠も陽もひっくるめた生命力、種谷佳輝の滲むように感情が現れるギター、RENJUの力強く華麗で美しいドラム、宮下レジナルドのただただ努力を重ねた上に鳴らされるかっこいいベース。4人ががっちりとバンドのグルーヴを作っていて、いいバンドだなと、音を聴けば分かるその心地よさに、救われた。音楽を身体中で浴びる幸せに、生きていく力を分けてもらっていた。
もっと早くユレニワに出会っていたかったな、という思いと、コロナ禍だからこそ出会えた(そしてこんなに好きになった)んだなという思いが重なる。
シロナカムラの歌声は、いつ聴いてもいつでも生身で、そのまま包み隠さず等身大で立っていて。その日のその瞬間の今を歌っている。それを7年間も続けてきた歌なんだなと。とうめいで、質量のある、掴みどころがないように思えて、しっかりと食らう。ちゃんと正面から受け止めなければならない、とすら思わせる歌声。

マレットで叩くシンバルの音。物語が始まるギターの音色、静かに情熱を込めるBianca。MASH公式に上がっているMV再生数は100万を超えていた(今見たら151万だった!)。海外で火がついたらしい。Biancaに対しては、未だに上手く言葉に出来ない。歌に全て込めてあると感じるから、余計な感想要らないなって思って聴いてる。個人的な話をすると、しっとりと歌い上げるラブソングには一聴で素直になれない気持ちがあり、Biancaに対しても気恥ずかしさと(わたし自身の)居心地の悪さで素直になれないでいた。でも聴くたびに何回も何回も聴くたびに、その気恥ずかしささえ吹き飛んでしまうような、魂を込めた、いや魂を削りながら優しく歌い上げる歌に、だんだん心が溶けていった、いろんな世間体いらないなあっていう。だからこそ普遍に昇華されて、たくさんの人の心を掴んだんだろう。この曲をこの歌を「しっとり」と表現するには感情が出過ぎていて、ストレートというには入り組んでいて、やっぱりなんて表現すればいいか未だに分からないけれど、アウトロのシンバルの音が鳴り終わるまではずっと、目を逸らさずに聴いていたい。

Biancaに続いてチョコレート。チョコレートまで含めて、昔演ってたライブの流れ、なんだろうな。MVの若々しい姿と目の前で歌って演奏している3人の姿が重なる。渋谷の路上ライブで途中で止められたシーンも思い出したりして苦くて甘い思い出。ユレニワの初期衝動、シンプルでくすぐったい(かわいい)バラードにこそ、「ユレニワがなんでこんなに好きなんだろ」の理由が隠れていたのかもしれない。

あのギターの音色、柔らかくて歪んでいて不安と希望と暖かさに満ちていて、小さい灯りがぽっ、と、灯されているようなイントロの、焦熱。是永ベースが美しくてグッとくるし、花束に弾丸込めて、の歌詞が良いし、「隕石よりも早く落っこちて恋」ってなに??天才すぎない?間奏の跳ねるように刻むギターが可愛いし、ドラム技巧派リズムで音を追うだけで楽しいし、アウトロで一瞬グリッチが「ガガガガ」鳴るところも心にドキッと刻まれて良い。

長い長いイントロで気持ちが盛り上がって感極まっていく「まぼろしの夜に」、このギターの音が鳴っている瞬間に感じることが100もあるけど、うまく言葉にできないんだ。ステージ上で全ての魂を込めるギターの音、力強いドラム、魂が震えるうた。そういえば千葉駅前での路上でマイクがなくて生声で響き渡るまぼろしの夜に、最高に震えたなあとか思い出しながら、間奏のギターがいつもよりも力強く聴こえて、「きっと きっと まぼろし」、でそのままユレニワが幻になっちゃうみたいだった、そこにいるのにね圧倒的な「生」で。アウトロで一層盛り上がっていく響き渡るギターの轟音に身を焦がし宙(そら)に浮いていく感覚。この音をずっと浴びていたい。

ライブ当日、目の前で観ている時には全然気づかなかったけど、後からアーカイブ配信で観てみると、シロくんの歌声が少しうわずっている。…いや、こういう解説っぽいやつ要らないよね。観た人はその目に耳に焼き付いたものが全てだもんね。
それでも、いつもよりもずっと、目を潤ませたまま全身全霊を賭けて歌っていたシロナカムラの姿をずっと忘れないでいたいと思う。

尖っているくせに誰も傷つけたくない。アウトローで奇天烈に見えるようにしているのに優しくて誰も傷つけないように愛を纏わせている。だから内に内に暴力性が入っていく。ともすれば自分自身を傷つけながらも愛をうたう。誰かを想って歌っているのに、誰にでも愛を届けたい。誰にでも愛を届けることは、自分の身体以上に大きな精神力を使うから。常に自分たちはボロボロの状態なのに、周囲には愛で溢れている。隠すことなく、でもあえて誇張するでもなく。その相反する二面性の矛盾を感じながら共鳴しながらユレニワを受け取っている。
ずっとアンバランスで、欠けてたり満ちすぎてたり、不器用で遠回りで、どこか危なっかしくて、それでも目が離せない。
どんなひとでも受け入れる。そのナチュラルでシンプルな心地良さ。だからこそ、世間と自分とのズレに敏感な人たちが、声なき声に気づいてしまう繊細な人たちが、このバンドに惹かれていくんだろう。


ゆっくりとシロナカムラが話し出す。
一字一句全部必要で、大事で、取りこぼしたくない言葉たち。

「俺はね、昨日もライブでさ。ライブ終わって考えたんだ、この7年間、活動してきて、この活動の本質、ずっと根底にあったものっててなんだったんだろうなっていうのをずっと考えてて。何が歌いたかったんだろういちばん。おれ、ユレニワ、そのボーカル、シロナカムラという人間。俺、何を歌いたかったんだろういちばん。面と向かって、面と向かって面と向かって何かを伝えたい。そのスタンスで何を歌いたかったんだろう、何をやってきたんだろう。いろいろ考えたんです。そして、まあ色々あるんだけど、その中の一個の答えというか、まぁこれだなっていうのが見つかったんだ。

革命ってなんだと思う?何かを、何かに対して反逆したりとか、いろんな気持ちが、複合的な気持ちがあって、まあ使われすぎて安っぽいけど、パンクスっていうかさ。そういうのが大元だったんだなって、やっぱり、7年経った今でも思うよ。そういう衝動が忘れられないから、ずっと縋ってたんだな。音楽に依存してたんだなって、今でも思ったよ。じゃあ、革命を起こせたのだろうか、ユレニワは、シロナカムラは。革命を起こせたのだろうか。ある人は言うだろうね。「革命は起こせてない。起こす前にお前らは解散という逃げに走ってしまった」…ごもっともだよ。ごもっとも。ある人は言うだろうね。「君たちはもう各ライブごとに革命を起こしていた、伝説だった」いろんな意見があるかもしれない。その両者を納得させることは出来ないかもしれないが、でも俺はさせたいと思って、昨日一晩考えた。

ただ、今日も今日とて革命を起こそうとする。それに尽きるんじゃないかと思います。

俺は革命を起こしたくて、革命を起こしたくて革命を起こしたくてバンドを続けてきたから…最後の最後まで足掻いても良いですか!!

…革命児」


そして始まる、大好きで愛おしい革命児のギターイントロ。ユレニワを好きになってすぐに長文のブログを書いた、そのタイトルにつけるくらいには大好きで大事な、革命児。そうか、この曲を革命児を何で好きなんだろう、なんて理由を考えるまでもなかったんだ。革命を起こしたくてユレニワをやっていた。それが全ての答えだったんだな、だからこそずっとこの曲が刺さって刺さって仕方なかったんだ。ずっと革命児を好きな感覚を言葉で表せないなと思っていたけど、そういうことだった、最初から答えは合ってたんだな。
なんであんなに力んだり飛び跳ねたり感情に身を任せてる感じなのに、こんなに演奏が良いんだろう。って、感極まって涙ボロボロの顔でステージを見つめていた。酔っ払ってても心底参っててもずっと革命児。ヒーローだな。支払ったこれまでの全ての何億倍だって愛したいよ!つーか(通貨)、お金では計れないむしろお金以外の別の何かですらも換算できない、ユレニワのライブでしか得られない何かが絶対にあった。ねえこれからそれをどうやってもらっていけばいいの、
間奏の「ラーララララー」、スイッチの入ったれんじゅドラムが勢いよくステージ前に出てきて力任せに叫ぶ「聞こえねーーよ!!オラァ!!!!」でフロア全員が叫び出す。ここは新宿の地下で、外で街ゆく人たちは、こんな世界があるなんてことも知らないかもしれないが、それでも良い「今ここ」で一緒に歌っていることが全てで、この時間が永遠に終わらないで欲しかった。サヨナラの匂いで死んじゃいそうだから、今後の人生でもう「ラ」を言えなくなってもいいくらいの気持ちで歌った。けれどもまだ「ラ」は言えていて、わたしは生きていて、人生はまだまだ続いている。

「まだまだいけるっしょ?」と煽るれんじゅドラム、「そういえば、最近言ってなかったことがあって。それ、久しぶりに言わせて頂きます……何を言うかっていうと」……

「おい!!おまえら!!!!

かかってこい!!!!!」

爆裂なドラムとベースのリフ。PLAYだ!!最高潮に達したフロアに喰いかかるようによしきギターが天井を頭で支えながら行けるギリギリまで前に出る。最前の拳に応えるように拳を返すシロ。長い髪を振り乱しながら叩きまくるれんじゅ。静かにそして熱く彩りの是永ベース。

「あー君を愛してー!!!!」

この流れ、この流れはコロナ禍前のいつもみんなで叫ぶあの流れ、体験できちゃったやつで。嬉しいね。

「怒りの感情は大切にしたほうがいい(ニュアンス)」ってどこかで言ってたのを思い出す。その、無理に押さえることなくナチュラルに感じる怒りの感情は、人間の感情に必要なものだから。持ってていいよ、出していいんだよ、っていう。それをとても良いなと思ってからPLAYの聴き方が変わったんだよな。

そしてPLAYの長尺間奏のアレンジバトル祭り、LANDツアーで突然バチバチにかましてくれたバカ長アレンジが本当に本当に大好きで、あれを最後のライブで、最後のエロスでブチかましてくれたことが最高にパンクだったな!無形文化財だから本気で永久保護して欲しい。あれが9/28で終わりだっていうのだけは、絶許。Marbleの爆音で、ほぼゼロ距離であれ浴びたら正気じゃなくなる。。頭の血管ブチ切れて沸騰しておかしくなる。。4人の息がピタッと合ってないと出来ないし、1人1人の演奏力が高くないと出来ないし、レジベース脱退後に是永さんが3人に寄り添ってビッタビタに決めてくるところもカッコ良すぎたし、急に転調して心持ってかれるところがカッコ良いし、「ビィーンビィーン」って弦を震わせる音も最高だし、高音速弾きでゾクゾクさせるところとか、ジャキジャキ掻き鳴らすギターの音も大好きだし、「セイッ」とか「ハッ」とか、自然に出てくる掛け声でボルテージ上げてくるのもズルいし、拳あげっぱなしで汗だくになりながら涙目をぎゅっとして手を下ろすのも忘れて目の前で繰り広げられる豊かな音の感情の発露に身を委ねる気持ちよさ。。

跳ねドラムの楽しいリズムが鳴ると、涙は引っ込んで笑顔になる、purple。PLAYからpurpleの流れは、LANDツアーじゃないか。。最高感動の渋谷クラブクアトロでのライブを重ねてしまう。てかシロナカムラ泣いてるじゃん。そんなんこっちも泣いちゃうよ。そうだ9月8日、解散発表のあった日は雨が降っていたから、最初に聴いた曲はpurpleだったよ。生きていかなくちゃ、ユレニワが降りてった船で…とその時は悲壮感に溢れていたけど、Marbleでライブを観ながら思う、誰も船なんか降りてない。取り残されたりしてない(この書き方でニュアンスが伝わるか分からない!)だって、なんか、希望、見えるから。
お別れの曲なのに、なんでかな笑顔になっちゃう泣き笑い。去年の夏にリリックビデオが出た時、渋谷のライブハウスで学校の先生よろしくお知らせチラシのプリント配りしてたのも楽しい思い出だったな。。

ユレニワのライブを観ていて、いつも凄いなと思うのはシロナカムラの喉の強さ。っていうか本番の強さ。ステージ上での無敵感。日によって調子の良し悪しはあるんだろうけど、ライブを観ていて「声の調子良くないな?」とか「調子悪そうだな?」とか一度も思ったことがない。こんなに活動量が多くて日々ライブで歌っていて、それなのに毎回のライブでいつも100点以上を叩き出してくる、喉の強さ、なのか、気持ちの強さ、なのか、存在感の強さ、なのか。声の調子云々を抜けた先での絶対的生命力の強さっていうか。ただただ歌うたいとして天性の強さで、そして人を惹きつけ離さない主役感があるなって思う。

静まり返った間があって、れんじゅシステムから繰り出される「恋人たちのヒム」イントロの電子音。この日新しく発売された赤いタオルをヒーローのマントみたいに羽織ってマイク一本で歌う。恋人たちのヒムは序盤に演奏される事も多いけれど、後半にこの曲を持ってくる時は、最後に向かうための大事な曲、のイメージが強くて、「いつの間にかもう半分以上ライブが過ぎてしまっている」ことに気付かされて胸がキュッと辛くなる。ユレニワの中のユレニワ、いつでも最高に連れてってくれるヒム、最前の拳に支えられながら天井からサビを歌うシロナカムラが本物のヒーローに見える。いつもは手拍子が起こるところを、叩き割るくらいのドラムのリズムも一緒に盛り上げて、今日このライブが、ではなく、今この曲が、終わったら力尽きてしまうんじゃないか、くらいの全身全霊で歌い、弾き、叩く姿にただただ圧倒されて感極まってしまう。

照明が落ちて宇宙空間に投げ出されたようなキラキラピコピコ電子音と大量のファズ。

あ、、来る…
「帝國」が、きっと来る…

この日一番と言って良いほどの期待とどきどきで暗闇で待つ間。グリッチが脳を揺らし、心拍数と同じリズムで明滅する白黒のステージ、心が爆発しそうになるほどの期待。ステージ上の立ち位置が変わる。是永ベースが真ん中に、そしてれんじゅドラムがギターを背負い、4人が横並びになる。心拍数が高まりきって心臓の爆発を抑えつけるように固唾を飲んではじまりの合図を待っている、
そしてその時が来た。


セイッ


「ジャーーーーーーンンンンンン………」

……………………

???

「おいーーーーーーーぅええ?」

同期音が終息してしまい、何が何だかわからない顔のシロナカムラが訳も分からず「いえーい!!」と拍手する。
いや、ステージ上の4人も、フロア全員も、何が何だか誰も何も状況が分からないながらも、その拍手に釣られて拍手してしまう。
???何が起こった???

よしき「全然リハと違うなあ…え、俺だけ、、ドッキリ…??」
シロ「え、フリ…?前振り、すごくなかった…?ドン、ツー、ドン、ツーて」

れんじゅ「めっちゃカッコつけたのに……いや聞いて違うの!」

よしき「…解散しろばかやろうっ」
れんじゅ「…え、誰も、笑って…るしー!誰も笑えないって、、いや、えー!」

と、こんな時でもお笑い魂を忘れないよしき発言。すごい。目の前で繰り広げられるアドリブコントでフロアの緊迫が少しほぐれて、こんな最後のステージでのトラブルでもドンと構えてピンチを笑いに変えられるユレニワチームの経験値に裏付けられたチームワークと現場力がすごい。

「…あの、電池が切れました…なんと」
「電池を交換するしかない…」

「パットで叩けば?」
「ちょっとカッコ悪いかもしれないけど…」
「や、もうカッコ悪いって!」
「どうしよう、電池ないよね、いやパットだとね、止めらんないのよ」
「あ、音楽が流れっぱなしにね。音楽がずっと止まらねえーってぇ?」

思ってもみないところでのトラブルでアドリブコントが続く。電池がないと同期音が再生できないし、電池を交換するしかない。慌てふためくれんじゅの元に電池が届く!ラストライブ中に公開生電池交換するバンド、ユレニワしかいないんじゃないだろうか。
電池交換を実況風のシロナカムラ、「いつもリハで時間短縮のためにヒムの最後のほうから演ります〜ってやってて、そこからやってもいいですか?」と機転を効かせるよしき、そんなよしきに「お前の力は必要だ、僕の世界に」って呟くシロナカムラの言葉に胸がちくっとする。今日最後のバンドなのにな、、!絶対聞き逃さなかったからな今の言葉。

「ヒムの終わりからやろっか」「リハやん、」「特殊なコンセプトのライブみたいじゃん」とすっかり和んだ様子のユレニワチームに、フロアは本当に本当に救われたと思う。「まあまあまあ」とか言いながら定位置に戻る是永さんも本当にいい味出してる。てか是永さんがサポートベースで本当に良かったなあ。安定感の是永ワールドで、どんな状況でも臨機応変に柔軟にユレニワを支えてくれてる、最強変態職人ベーシスト。。

さて、一回気を取り直してどこから再開するかと思えば、なかなかれんじゅシステムの入りタイミングが上手くいかず、「じゃヒム最初からもいっかいやろ!」のよしきの一言で覚悟が決まる。

すごい、これがユレニワ。

「どのテンションか迷うかもしれないんだけど、迷う必要はなくて、そのままのテンションでいきましょう!ヒムもう一回やります、よろしく!」

このあたたかさ。

こんな電池交換シーンすらユレニワのライブとして成立してるところも、ヒムをもう一回演る機転も、本当にチームユレニワとして7年間ライブを演り続けて走り続けてきたからこそのユレニワ最後の名シーンだった。

そしてまるっとヒムをもう一回聴けてしまった上に、帝國の繋ぎも完璧にキマって、この半年ずっと聴き続けた「帝國」、ライブ化けがとんでもないことになっていて、音源だと物足りなくなってしまうほどの圧倒的な「ライブでしか体感できない帝國」。
2月の初披露時よりも、渋谷クアトロワンマンの時よりも断然に世界観が完成されていて、もう最強のユレニワ帝國なのである。
電子音と人間のあたたかみの融合、かっこよくてかわいい、「どうしようもなくなってる この國を離れてしまうのです」この歌詞を今聞くこと、この感情をどうすれば!間奏暗転で、きっと来る「帝國」のカタルシス!光と音の洪水に感情全開放されて、拳を上げれば良いのか呆然と立ち尽くせば良いのかただただ光も音も取りこぼさずに身体中で洪水を浴びて幸せになる、、、

余韻に浸る間もなく遺書、これまでライブで何度聴いたか分からない。けれども今日が最後の、本当の遺書だ。。間奏のギターがかわいくて感情の昂りが止まらないんだよなあ。

ピアノのイントロSE。聴きたかったどうしても聴きたかった曲。橙色の夕焼けのイメージ、重罪。ユレニワの歩んできた歴史とストーリーを音から感じ取って勝手に泣きそうになる。わたし自身は数回しかライブで聴けたことが無かったから。全部忘れないように全部受け取れるように取りこぼしたりなんかしないように、じっと見つめて聴いていた。


「ありがとうございます、改めて。解散っていうからさぁ、話し出したら振り返りたい思い出がいくつもあって、、その思い出について触れていったらきっとそれだけで何時間も取ってしまうし、いいんだ、俺はちゃんと覚えてるし。」

シロナカムラの声が、溢れる感情を制御するように少しうわずっている。

「みんながそれぞれ、それぞれユレニワに対して、ユレニワに関する記憶、あるでしょう。それを大事にしてくれたら俺らはすごく嬉しいです。

なんだか、さっきも少し言ったんだけど、湿っぽくするだけで終わりたくないなって気持ちはやっぱりある。ずっと何か革命じみたことが自分たちの力で、自分たちの行動で、起こせるんじゃないか、いやいや起こさなくてどうする俺らが。そう志してやってきて、みんなだからついてきてくれ、って声を大にして言ってきたんだけど、裏切るような形になってしまった。申し訳ない。でも本当に、本当にありがとう。一貫してずっと愛を込めて歌を歌ってきたし、愛を込めて歌を作ってきました。僕らの生々しい活動っていうものはここで終わってしまうんだけど、別にもう音楽が聴けなくなるとか、二度とそれぞれと会えないとか、そういった話ではないし。だって音楽続けるし。俺はね、少なくとも。俺らがさ、作ってきた、愛のこもったうた、愛のうたが、きっと、まだ、まだまだ、みんなを照らせると思う。まだまだ俺たち自身が照らされると思うし。愛のうたが、これから先の色んなことへのきっかけになるんじゃないかと思う。それぐらい、素敵な音楽を作り続けられた、みんなのおかげだなぁって思うよ。本当に、、、、ありがとうございました。」


「知りたい」。ずっと大切に聴いていきたい曲。この曲がなかったら多分私はこんなにもユレニワを好きになってなかったかもしれないし、爆音で泣く経験をしなかったかもしれないし、こんなにライブハウスで音楽を聴く生活が戻ってこなかったかもしれないし、色がつかない虚ろな生活を送り続けていたかもしれない。
これからも人生のいろんなシーンで思い出すし、何年か後に聴いたらまた解釈が広がるかもしれない。まだまだ照らして欲しいと思ってるし、ずっと、知りたいっていう気持ちを心に灯して生活をしていくと思う。
全編通してギターの音が本当にうつくしくて、きらきらと柔らかな光が差し込むような音色が大好きなんだけど、間奏から2番に移る直前のギターの音色がとても好きだ。そのあとに続く「もしも感受をやめたら 人類は限りなく弱い」のフレーズも何回聞いても本当に本当に好きだな、このままこの曲に感情全部持っていかれても良いくらいに思って爆音に身を呈してたじろぎもせず。
アウトロの美しいギターフレーズ、刻むドラム、情感溢れる美しい轟音、ずっとこの日のアウトロが永遠に終わらないように、これからも聴き続ける。胸締め付けられるような爆音の彩りの真っ只中にいて、ただただ立ち尽くしてこの時間を噛み締めていた。
知りたいから生きたい、これからもずっとずっと。


暗転後、不穏で浮遊する弦の音。たっぷりの間のあと、カウント。始まるbirthday、また生まれるために。本編ラストがbirthdayってさ。終わる気ないでしょ。でもさシロナカムラの顔がもう泣き顔なんだよなあ。いままで何回も何回もライブで観てきて、炎に焼き尽くされたし、拳を握りしめたし、爆音で轟音で打ちのめされてそのまま灰になってさらさらと消えてもいい、そう思いながら聴いていたbirthday、でも生きていかなくちゃならないから、灰になって消えたりしない。最後まで生きて見届ける。生き様、音の様を。
ベースラインがかっこいいんだよなあ。コーラスも良いんだよなあ。
最後のシャウトで明滅するアウトロ、あの不穏なギターリフ、涙を吹き飛ばすほどの爆音で拳を上げ続けた。腕はもう痺れて上げているのかどうかもよく分からなくなっていたが、絶対に下げるわけにいかない。拳を強く握って祈る。生きる。ちゃんと生きていこう。掻き鳴らされた轟音の中で、祈っている。これからのあなたたちの人生が、音楽の彩りに満ち溢れ豊かに幸せなものになりますように。ドラムを力の限り引っ叩きながらギターを永遠にかき鳴らしながら

「元気でな。またどこかで。ありがとう。
愛してるぜー!!!」

祈るようにマイクに頭をつけて声にならない声を出し続けていた。



アンコールは絶対来るだろうな、来て欲しい、絶対来なければならない、と思っていたバージン輿論と阿呆。
もう感想は要らないね。こればっかりは、あの時観た聴いた、そのままをちゃんと心に残しておこう。
ひとつだけ。バージン輿論から阿呆へ繋ぐ「ファズが足りない!」、自ら座り込みながらギターとエフェクターを直繋ぎしてゴリゴリに掻き鳴らし続けるの最高かっこよかった!ドラムは叩き続けるしシロは叫び続けるし、最後だってわかってる、分かってるのに、こんなライブを演ってくれるユレニワを、感情全開放させてくれるバンドを、泣いたり怒ったり胸締め付けられたり、それでも最後は絶対笑顔になる、唯一無二のユレニワを、「また観たい」、と思ってしまっていた。



ああ、永遠に24歳のままの阿呆で終わっちゃったなあ。





これまでの7年の軌跡を丁寧に見せてくれるようなライブだった。と思う。
最後だって頭では分かっているのに、その事実を超えるくらい楽しくてどきどきして胸焦げるほど熱くなった。ああ好きだなって気持ちで心がずっとあたたかいままだった。寂しいのにずっと楽しくて、良いライブだったな!って。感極まって涙出尽くしたけど、それは良いライブだったからで、ずっとずっと楽しいユレニワのライブだった。
ダブルアンコールの阿呆が終わってもずっと笑顔で。涙とライブの余韻と耳鳴りで呆然としてしまってしばらく動けなかったけれど、身体中全部、あたたかな気持ちで溢れていた。全部ライブに詰まってた。ユレニワ史上、いちばん最高のライブだったなって思う。

ああそうだ、それこそが革命だったんだ。最後のライブが終わった後に胸に残ったものが、悲しいでも寂しいでもなくて、ありがとうの気持ちだったこと。大好きでありがとう。ずっと大好きだなっていう前向きな気持ちで、希望がちゃんと胸にあって、明日も生活が続くんだなあ、と。あたたかな気持ちでライブハウスを出られたこと。これが革命だったんだ。
革命を起こした(起こし終わった!)、よりも、革命を起こそうとし続けている方が、ずっとずっと生きてる感じ、するじゃんね。続いてく感じ、あるじゃんね。だからずっと、革命前夜。

最後だからって「お決まりの最高を置きにいく」お涙頂戴のライブなんてやろうものならしばいたろかと内心思っていたけど杞憂だった、「かかってこいや!!!!」の爆裂ライブで、知らない間に「今日がいちばん最高じゃん…」となっていた。未完成で、まだまだいける、もっといける、そう思わせてくれるライブだった。ずっとずっと革命前夜で。だからこそ、前夜に間に合って良かったー!のワクワク感と、前夜に間に合ったなら加担しなくちゃ、と心の底から湧き上がる衝動的な気持ちに引っ張られて「生きていかなくちゃ」になる。この感じは、やっぱユレニワでしか、だなー!
あの日が終わりじゃない。終わりだけど、終わりなんだけど、人生は続くから、どこかの未来でまた会えますように!そういう明るい未来がちゃんと見えるライブだった。

いろんな土地で、いろんなツアーで、いろんなイベントや対バンでユレニワを観たけれど、やっぱり新宿Marbleのユレニワが最強で、エロスで最終回を迎えるのがユレニワらしいなって思った。漲った演奏と魂のうた、音を鳴らして心を重ねている今この瞬間が楽しくて愛おしくて仕方ない、きらきらと一生忘れないライブだった。


4月28日に大切なメンバーレジくんの脱退を経てからのユレニワは、とても辛い道のりを歩いていたのかもしれない。ライブはいつも最高潮、だけれども、ステージから見えないところで想像を絶する苦悩があったのかもしない。けれど、個人的な話をすると私自身もかなり辛い期間だった。仕事も生活もままならなくて心が死にかけていたし、まあそうだな、言葉を濁さずに書くと生きていく元気が全然なかった。なんか勝手に、本当に勝手に、もがきながら歯を食いしばりながら生きているライブを晒してくれているユレニワに少しだけ自分を重ねて、救われていたよ。同じ時間を生きられたこと、本当にありがとう。

ユレニワのライブで心底「生きてる」を感じてた。そのままの状態で、気負わずステージで音を鳴らしていることが分かる。これまで歩んだ人生を恥じず、誇張もせず、生きてきた証を残すように音に歌に刻む、それを受け止める。だから「これでいいんだ、明日も生きよう」と思えたよ、大袈裟でもなんでもなく。ユレニワのライブを観るたびに、あの全身全霊のライブをちゃんと受け止められるように、受け取る側として正面から対峙して、ちゃんと恥じずに立っていられるように生活をしよう。とも思えたんだ。

それぞれの個性が出過ぎていて、なんでこの4人で(3人で)成立してるのか全然わからないのに、絶対にこのメンバーじゃないと成り立たなかった唯一無二のユレニワの音楽、奇跡をずっと見ているみたいだった。
活動がいちいち泥臭くて、遠回りでもちゃんと人の手と人の心で音楽を直接届けていて、全てに心を込めすぎていることが分かってしまうからこそ、その分だけめちゃくちゃ愛おしい。気が遠くなるほどの膨大な時間をかけて(賭けて)作り上げた魂の「ユレニワ」を魅せてくれてありがとう。毎回のライブですっとずっと奇跡を魅せてくれてありがとう。

全部の活動の根底には「革命」があったんだね。革命の、あいのうた。
「革命児」そして「知りたい」。
わたしは、この2曲がとても好きだということに、勝手に誇りを持ってこれからも歩いていこうと思うよ。





ユレニワ最後のライブから1ヶ月経ってぼんやり考えている。ユレニワは、無くなったんじゃないんだなーって。それぞれが、弧を描いて飛び立って行ったイメージなんだよなあ、ずっと。だってそれぞれがユレニワなんだもん。ユレニワを持ったまま、それぞれがそれを背負って良い。だから無くなってない。終わってない。メンバーは散らばったけれども、その先で魂は生き続けているし、輝きを放って広がり続けていく。そう、ユレニワは、4人ともが内に力強く固まっていく求心力は無くなってしまったかもしれないけれど、その代わりに、外に外に、広がっていくイメージ、膨張する宇宙のように、広がって、その先でまた新しいユレニワが芽吹いていくイメージ、なんだよな。4人が作った音楽に嘘が1ミリも混じってないから。何作ってもなに歌ってもなに弾いてもなに叩いても、ユレニワから離れることにはならないし。ユレニワだった確固たる事実は永遠に変わらないし。それぞれの「好き」を煮詰めて作ったユレニワだから、あたらしく芽吹くものだって、ユレニワになるはずなんだよ。
(多分うまく伝わらないと思うけど、これ以上うまく書けないからそのまま書いとく)

だから不安も心配もない(と言い切ってしまったら噓にはなるけど、少しね)。生きろ、生きるから。これからの3人、いや4人を、知りたいから、生きたい。全部受け止めたしな。


ユレニワを好きになって1年半。こんなにすぐに距離を詰めてきた音楽なんて今までなかったし、今を見逃したくない、と思って駆け抜けた。73本、数えながら、自分はほんとうに好きなものしか好きじゃなくて、馬鹿で阿呆だなと笑っちゃったけど、笑いごとなんかじゃない。もっともっと過去から現在までたくさんのライブを演りつづけた、ステージ上で生々しい人間の音楽を届け続けてくれたユレニワに最大級心からの敬意を込めて。全部全部、いつでも嘘偽りない全身全霊のライブを魅せてくれてありがとう。
愛してるって言葉じゃ愛してるの気持ちなんてミリも伝わらないと思うけど、うん、まあでも、この言葉しか見つからないんだよな。

ユレニワ愛しています。心底好きだよ、これからも。



これからみんなが歩んでいくその道の先に素敵な希望がありますように。
(出来れば)音楽に溢れたあたたかな未来でありますように。心の底からそう祈って。きっとうまくいく。


I♡JURENIWA FOREVER.


2023.11.08 愛を込めて。

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