怒涛の2月

2月になった。年末年始、振り返ったり少し先の未来や自分に思いを馳せたあのかけがえのない時間は確かにあった。そこから日常に染まり帰るのはあまりに早かった。でも、あの温度感を忘れたくないから、自分のために残したいメモを見返したり、良かれと思われる時間を意識してとるようにしてる。
ほんとにね、すぐ忘れちゃうし、他のことに埋もれてしまうし、染まっていってしまうから。 

未来の自分に向けた想いや温度感を忘れないことも大事だけど、未来は更新されていかないとtodoリストのようになりがち。ということで、手でノートにあれこれ書き連ねて改めて今年やりたい事、行きたいところ、自分の温度感や勢いを見つめる。

きれいごとのように書かれている気もするが、生活は日常の積み重ねなんだなと今さら思ってる。実感をやや伴って。

読書したいなら本を読む
作りたい料理があるならレシピと材料みて、買い物から段取る
弾きたい曲があるなら練習する
音楽の力で気分転換できるとわかっていても音楽聴かないと少し効果は弱い
自暴自棄になってもたぶんあまり人に気づかれないし、助けてももらえない
旅行に行きたいなら調べて予約する

やりたいなら、動かないと。シンプルすぎる。
なんで日常に埋もれちゃうのか。
時間、体力、気力がないこの3つはほんとにすぐ減るし、自分が意識もってないと減ってることにも気づかず、ヨレヨレになってやっと自分でお手当をなんとかする始末。
これを変えないとだめだな。となんとなく分かったのかな。言葉になってないし、明確なものさしは手に入ってないけれど。
あとは自分はこれでよしと思える、その気持ち。

人生は思っているよりも短いのかもしれないと思った。親、祖父母、師、それぞれの年代を見てて、個人差こそあれど、気力体力ピンピンなのはそんなに長くないんだなと思った。私は体力ないくせに色々欲張りだから、長く見ても自分で自分を元気だと思えるのはいくつまでなんだろうか。ほどほどに元気で生きられるのは70代くらいまでじゃないかな、それ以上はもういいかなという気持ちもある。今時点では。

そう思うと、なりふり構っていられない、とまではまだいかなくても、好きなことをある程度好きなようにやらないと、もったいないし、「いつか」は本当にやってこないんだなと感じる。

と、ここまで2月のあたまに書いて下書きにしていたようで、気づけば今日は2月28日。

立春とともに怒涛の日々でした。よく生き延びたと思う。
何とかやってるよ。仕事も生活も濃いです。ちゃんと前を向いて一つずつ進められてる。今月もよくがんばりました。
泣きたいこともたくさんあるし、この先もすぐに明るい未来は見えないけれど、それなりにやっていくことでしょう。
楽しいことも選べてるから大丈夫。

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