春がきた
気温が20℃近くまで上がる日があった。
ミモザや白木蓮の花を見かけるようになった。
スーパーの売り場にたらの芽やふきのとうを見つけると、春野菜の始まりを感じる。
だんだんと、スナップえんどう・グリンピース・新玉ねぎなどを見かけるようになる。春だ。ここから忙しい時期だけど、旬の野菜を食べることは逃さないぞと思う。日々のごはんづくりも仕事もめまぐるしくなる季節。
グリンピース、新玉ねぎ、春キャベツは特に好きな春野菜だけど、出回る時期は短い。そして、この時期は仕事の年度末年度初めと重なる。忙しいこの時期に買っても、料理することができないかもしれないと購入を見送っているうちに、気がつくと見かけなくなっている年が多い。見かけたら、買う。くらいの気持ちでいないとね。
スナップえんどうは茹でただけのものをシャキシャキ食べる。グリンピースは豆ごはんが定番。さやから豆をとり出すところも好き。鮮やかな明るい緑色で、まんまるとした粒が並んでいる姿はとてもかわいい。春キャベツはさっと炒めたり、蒸したり茹でたりして、シンプルな味つけやみそ汁がいいな。このみずみずしさは他にない。
いちごやいよかんにあまり春を感じないのはお正月あたりから見かけるからだろうか。特にいちごは季節というより特別感。
寒いのは苦手なので、冬を楽しむというよりは暖かくなる時期を待ってじっと耐えている。
だから、日の出が日に日に早くなり、仕事帰りの帰り道がまだ明るく、暖かくなってくると素直にうれしいし、気持ちが前向きになる気がする。我ながら単純だなと思う。
季節の移り変わりを示す二十四節気の啓蟄は、冬籠りをしていた虫たちが外に出て活動を始める頃らしい。
3月の手帳に書かれた「啓蟄」の文字を見るたびに、この日を境に動けるかなとぼんやり思っていた。特に照準をあわせたつもりはないけれど、実際にその時期を迎えたら、これからを考えはじめて、うずうずすることが増えた。
かといって、なんとなく、手放しで喜べないのが春だ。
出会いと別れ、終わりと始まりが入り乱れ、「いつも」のリズムや空気はどこかにいってしまう。このことに関しては何度この時期を過ごしても落ち着かない。
手紙を書いたり花やおいしいものを贈ったりすることで、感謝の気持ちを伝えたいと思う。と同時にそれは、自分にとって気持ちと出来事に区切りをつけることにもなる。
人においしいものを贈るとき、一緒に自分の分も買い、贈った人と同じものを味わいたいなと思う。今年は「せとかの雫」という琥珀糖をみつけ、自分の分も買ってみた。その名の通り、すきとおった雫形の琥珀糖にせとかの果肉が入っていてかわいい。上品な甘さで、そわそわしている春の自分がいくらか穏やかになったかもしれない。
まわりが新しいことや区切りで心機一転進んでいく中、自分は同じテンポ、同じテンションでものを進めたいと思う。翻弄されないぞ。みたいな気持ちがどこかにある。
でもね、無理なのですよ。季節行事の空気にうまくのって過ごせると気楽だろうなと思う。
気になったものに軽やかに手を出し、動くと春風にのれるのかな、食らいついていけるかなと思う。
だから、今年は区切りで自分に花を贈り、人に渡すおいしいお菓子は自分の分も買って味わい、ちょっと浮かれた服を着てみることにする。
暖かくなり、なにかしら変化があったり、新しいことを始めたくなったり、一区切りつけたくなったり、いろいろな方向から何もかも、かき混ぜたくなっている。
春、もっと楽しみたいです。
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