底辺裾野の凡庸な絵描きを救ってくれた今はもういない絵師さんへ




ターニングポイント

私のお絵描きの歴史を振り返ると、いくつかのターニングポイントがあった。
その一つがとある絵師さんの作品との出会いだった。
その絵師さんは全く他の人と違う個性的な絵柄と恐るべき完成度の高さで並みのプロよりとても上手かった。

↑でも触れたインボイス反対の漫画家(複数)が現在の多くの漫画家(や漫画家志望者)の裾野の広さこそが日本を漫画大国にしている要因のひとつだから、その裾野を削り取るようなことはやめろ、という文脈で反対していた。

とは言えここではインボイスの是非の話はしない。
裾野の話である。

底辺裾野からの脱出

昔の私は勿論裾野の一番底辺層であった。
今の自分がそこからちょっとだけ上の階層に登れたような気がするのはこの絵師さんのおかげなのである。

何せその絵師さん、上手い。
それなのに手抜きのての字もないのである。
隙がなく、非常に完成度が高かった。
自分の手で描きさえすればそれでオッケー、とたらたら何となくでしか描いていなかった私は衝撃を受けた。
その絵師さんの活動ジャンルは一次創作だったが、何せ独特の世界観と、どうやって描いてるのか訳わかんない不思議で独創的な様式美のペンタッチだった。
(後年、その独特のペンタッチは「陰影の法則」を描線に置き換えるために上手くインク溜まりを活用したものだとやっと理解した)

私は一体何を吸収して、何をどうやったらそんな絵が描けるのか全く想像がつかなかった。
ご本人の文化的造詣も深く、個人誌もゴージャスな作りだったので、きっとお金持ちのお嬢さんなのだと思った。

余りに手練れでしかも堂々としていて「これが私の世界よ!!」と宣言しているかのような凛とした佇まいの作品だったので、嫉妬心すら湧かなかった。
この絵師はきっと生まれながらの天上人なのだ。

こんなにはっきりと「自分の世界」を打ち出すには、ここまで完成度を高めねばならないのか、とそれまでのぬるま湯のような考え方を改めざるを得なかった。

たった一つのネガティブエッセイ

余りの衝撃で、この絵師さんの完成度がその後の私の中での基準になった。

しかし、どうやってこの高いレベルの技術と完成度と独特の美意識を獲得したのだろう。と不思議で仕方がなかったのだけど、上品な方であまり舞台裏を披露することもないし、ところどころに挟まるエッセイもネガティブなことは書いていなかった。

それだけに、いくつかのエッセイ中たった一度だけのネガティブな吐露を未だに覚えている。

「(他人の絵を)参考にするっていうのは、自分とかけ離れた(自分より段違いにかけ離れて上手い)実力の人に対してするものだと思うんだけどな」
「私、ヘッタクソなのに努力もしない人って、大っ嫌いなんです!」

あまり多くは書かれていなかったけど、この2箇所だけはとても印象深く覚えている。
前者はよくよく怒りを抑えて冷静に書こうとしていたことがわかる。
後者はそれでも抑えきれなかった心の叫びそのものだと思った。
そして、ずっと後からこれらの言葉が身に染みることになったのだった。

特に前者は、自分が後年似たような絵とリアルのストーキングに遭った時に本当に心からその通りだと思った。
大体絵のストーキングをする人って「何さ、アンタだって大した上手くもない癖に」とか言ってくるのだ(本当にリアルで言われた)
んじゃそんな「大した上手くもない」絵をなんで見ながら描くのさ?と聞きたくなった。
参考って、あの絵師さんのおっしゃる通り「自分とかけ離れた高い実力の人の絵を参考にして描くもの」なんじゃあないの?
実力がかけ離れてもいない、どんぐりの背比べレベルの「大したことない絵」を見て描くの?
そんな行為に意味あるの?
正にあの絵師さんのエッセイの吐露の通りなのだ。

あと、ストーキングする人とそれを擁護する人は押し並べて「みんな人の絵を見て真似して描いて上手くなっていくんだから」と言うのだ(見て描くのは当たり前、と言いたげ)

「見て描くのは当たり前」か?

そういえば

↑にも書いた雲上人Aさんも
「見ないで描く!? 見ないで描く!!??」
と大事なことなので2回言うくらい私が何も見ないで人体描くことにガチギレしてた。

でもさ、思うんだけど。
即売会やらお絵描き系SNSやらで公開する時、「自分の名義で」「自分の作品として」公開するわけで。

「人の絵を見て真似して描いて上手くなっていく」
のは
「作品としてではなく、修行として行う行為」
じゃあないんだろうか。
自分の名前を冠して発表する「作品」でやることじゃないと思うのは私だけだろうか。

私は直接何かを参考にして書いたものに自分の名前を冠して公開する気にはなれないけどね。

何より、

自分の名前を冠して発表するはずの「作品」で「大した上手くもない絵」を「見ながら描く」から底辺裾野から脱出できないのではなかろうか?

底辺裾野の凡庸な絵描きを救ってくれた今はもういない絵師さんへ


結局のところ、あの絵師さんの言葉は間違いなく正しかった。

私が今、こうした考え方ができるようになったのはあの絵師さんのおかげである。
底辺裾野で「大した上手くもない絵」を「見ながら描いた作品()」に自分の名前を冠して公開するようなことがおかしいと思えるようになったから、底辺裾野を脱出できたのではないかと思う。

今はもういなくなった絵師さんへ。

あなたからたくさんの大事なことを教わりました。
あなたがプロに転向してから幾年かでお見かけすることもなくなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
お体など壊しておりませんでしょうか。
今もご健勝でおられることを祈念しております。

私が自分の絵の基準の確立できたのは、あなたのおかげです。

本当にありがとうございました。

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