脚本家と編集部。

…が昨日コメント出して。
なんだかなー。
宙ぶらりんな気分。

編集部のコメントは良かった、と言っていいのかどうか。
心は見せてもらった気がするけど。
ただなんだろう、感情的にはわかる。泣ける。そうなんだな、と理解できる。
けど、大事なのはこの先だと思う。
感情論としてはガス抜きになると思うけど、今後どうやって原作者の権利を守っていくのかの具体策、仕組みの整備が必要じゃないかなあ。
読者の私たちにその詳細をいちいち知らせる必要はないとは思うけど。
読者や他の漫画家さんのガス抜きできたからもういいやって出版社がなっちゃったら元の木阿弥になりそうで。
それだけ気になってる。

脚本家はね。
まあ。
想定通りというか、何というか。
「謝ったら負け」タイプかな。
それにも呆れるけど。

あのー、動揺して頭真っ白状態で2週間そのまま脳味噌フリーズしてたの?
それもおかしな話だと思うけど。
先生が事情説明をSNSとブログに書いた時点で謝罪するとかプロデューサーに確認するとか何か行動はできたはずだよね。

それより「アタシは知らなかった(から無罪)!」と言える神経がナイロンザイル並ですごいと思う。

仮にそんだけのリテイクの嵐で気づかないとしたら無能にも程がある。
そんな鈍重な神経ならばクリエイター向いてない。

気づいててなお改変しまくってたなら悪意があるにも程がある。
どんだけ己の無能さまたは無恥をアピールしたいのかは知らないが。

でも、例えそんなクソムーブであったとしても。
そのアクション、双方の行き違いが発覚した時にして欲しかった。
それでも脚本家とそのお取り巻きの書いた侮辱的な書き込みはとても許せるものじゃないけど。
でも少なくともその時アクションしてたら最悪の事態にはならなかったのではないか、と思う。

いずれにしても己の無能か無恥か無神経かその全部かを日本中にアピールできたね。
一躍有名人だね。
あんだけ芸能人とのお写真でコネアピールしてたんだから有名になれて本望なのでは。

ところでこないだ
「脚本家とお取り巻きの言動が、同人誌界隈でも冴えない底辺雑魚モブ絵師と類似してるという仮説」
「脚本家には痛みを伴う通過儀礼を経た真の脚本家と偽のチート脚本家と二極化してるという仮説」
のnoteを書いた。

で思ったんだけど、つまりは私の知る底辺雑魚モブ絵師と偽のチート脚本家の共通項ってのはつまり『仏作って魂入れず』ではないかと。

底辺雑魚モブ絵師も偽のチート脚本家も、形式的には作品「らしきモノ」を描く(書く)わけ。
けど、そこに「作品として昇華されるほどのメッセージ性や思想、心情、魂が篭ってない」のだと思う。

そりゃ技術も足りてないし心の機微もわかんなそうだしね。
他人のもん切り刻んで平気な神経と自力では作れないほどの貧弱な技量で。
他人のモノを借りてようようやっとカタチらしきモノを作れる程度の実力で。

せいぜい底辺雑魚モブ絵師も偽のチート脚本家も、
「(ホントのクリエイターを目の敵にしながら)アタシだってそのくらいのモノ描ける(書ける)んだから!」
「どう!?アタシこんなの描けて(書けて)すごいでしょう!?」(←でもその自信の根拠は「他人の作品からかっぱらって切り貼りしたもの」だったりする)
とかいう自己顕示欲やルサンチマンくらいしか言いたいことがなさそうに見える。

逆に言うと、自分の作品(モドキの)中に自分の魂が入ってないからこそ他人の精魂込めた作品を勝手にバラバラにぶっ壊しても彼らは平気なのではないか。

自分の作品(モドキ)には存在しない「魂」が他人の作品に入ってるはずがない、と彼らは思ってるのではないか。

形式的に「絵」「脚本」の体裁さえ整っていれば(それが他人から盗んだハリボテでできていようと)「作品」だと思ってるのではないか。

自分が込めることのできない「魂」を他人が込められるはずがないとでも思ってるのではないか。

そうやって似非クリエイター擬きがルサンチマン拗らせて敵意剥き出しにした挙句、精魂込めて描ける本物のクリエイターの命まで失わせる羽目になったのかな。

芦原先生はまだまだたくさん描きたかったことがあったことだろう。
人の胸に刺さって抜けない棘の痛みを理解できる稀有なクリエイターだったのに。

拗らせたクリエイター擬きのために失われたその才能と命が重すぎて、その重みに押し潰されそうで今もしんどいのは、私だけではない、と思う。

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