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「自分に原因を置くこと」と「自分のせいにすること」は似ているようで全然違う

ダブルケアというストレスフルな状態で、
トラブルや嫌なことなどネガティブなことが起こった時。

その起こった原因をどこに置きますか?

自分に原因を置いて考えられるようになれば、
疲弊せずに楽に生きていくことが出来ます。

自分に原因を置く

「原因自分論」という言葉があるそうです。
何かトラブルが起こった時、あえて自分に原因を置いてみる。

「人は変えられない。変えられるのは自分だけ。」
「自分に原因を置くことで解決法が見えてくる。」

そういった言葉もよく耳にします。

確かにそうかもしれません。

しかしそれだけだと、苦しくなってしまいます。
なぜなら「自分のせい」と自分のことを責めてしまうこともあるから。

とても辛いことがあって、人として許せないことをされた時に「自分に原因を置いた方が良い」と言われても、納得出来ないのではないでしょうか。

相手が100%悪いのにと。

どうしても、相手が悪いと思ったり、環境や状況が悪かったりと周りに原因を置きたくなります。

相手が100%悪いと思っていても、あえて自分に原因があるのだと思ってみることがまず第一歩です。

「なんのために?」という言葉がポイント

あえて自分に原因があるのだと思ってみて、次のステップな「なんのために?」と考えてみます。

自分は「なんのために」相手に原因があると思っているのだろう。自分が無意識で思っていること、考えていることを少しずつ言語化していきます。
「なんのために?」と繰り返し問いかけることで無意識で思っていることにたどり着けます。

私自身がなかなか自分に原因を置けなかった時。
繰り返し問いかけていくと、

「自分は悪くない」
「自分の方が正しい」

無意識のうちにそう思っていたのだと言葉にすることが出来ました。

自分に原因を置くと過去の意味づけも変えていける

過去に起こったこと自体は変えられません。
でも意味づけを変えることは出来ます。

自分にとって、その過去がどんな意味を持ち、どんな価値を持つのか。

自分に原因を置くことで、今まで見ていた景色を変える必要があります。

「何が問題だったのか?」
「他の人からはどのように見えていたのか?」
「原因はどこにあるのか?」

自分自身を客観的に見ていくことになります。

相手のせい、環境のせいと自分以外に原因を置いている時、人は主観的な視点から見ています。自分に原因を置いて考える時は、客観的に自分を捉えることになります。

私自身の経験で、どうしても先輩を許せないと感じる出来事がありました。
自分に原因を置けず、ずっとその先輩が悪いと思い続けていました。しかし客観的に自分を見るスキルを学んだ後に改めてその先輩との関係を見つめ直しました。

よくよく見ると、その許せないと感じる出来事のきっかけのきっかけのきっかけ、トラブルとなる種を蒔いたのは自分自身だったということに気が付きました。

気が付いた時は、恥ずかしくて、涙が出てきました。家から一歩も出たくないくらい恥ずかしかったです。家の中で「恥ずかしー」と大声で叫んでいました。

でも不思議と冷静な自分もいました。「自分が蒔いた種だから仕方ないか。本当に申し訳なかったな。」とストンと心から思えることが出来ました。

その時からその先輩に対して感じていた、怒りなどは雲みたいにふっと無くなって、なんだか心もすっきりとして身体が軽くなったような感じもありました。

例えば『怒る』という感情について。
人には『怒る』という感情は必要です。自分にとって大切な人やものが侵害された時、大切なものを守るために怒って戦うことは必要なことだと思います。

しかし、『怒り』にはとても強いパワーがあります。ずっと持ち続けていると身体も心も消耗してしまいます。

あえて自分に原因を置いてみることで、自分のことを客観的に見ることが出来るようになれば「原因は自分にあるのだからそんなに怒らなくても良いのかな」と力を抜くことが出来るかもしれません。

過去の意味づけが変わっていけば、これから起こる未来のことへも意味づけが変わっていくかもしれません。そうなっていけば、必然的に未来が変わっていくのではないでしょうか。

ダブルケアという大変な状況で、辛い出来事は起こると思います。
明らかに相手の方が悪いかもしれません。状況や環境的に周囲のせいかもしれません。

それでもまず、自分に原因を置いてみることで自分や周りのことを客観的に見ることが出来ます。

客観的に見れたら、選び取る選択肢も変わり、疲弊せずに楽に生きていけるのではないでしょうか。

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