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calm 【note神話部2022年夏の企画】


本掌編は神話部夏の企画参加作品です。
企画テーマは、ギリシャ神話のキャラクターが他の神話のキャラクターと繰り広げる「神々のバカンスもしくはひと夏の恋」を描くというものです。

***

掌編 【calm】

オルペウス ラテン語読みはオルフェウス
名義上アポロンの息子とされる吟遊詩人。

「冥界に落ちた妻の救出に失敗した後、失意の中オルペウス教の開祖になったと言われる。最後は豊穣とブドウ酒と酩酊の神ディオニューソスのはかりごとにより八つ裂きになるが、アポロンの懇願を受けたゼウスは、オルペウスの竪琴を天に上げた」

と、言われている。


◆◇ ◆◇ 

 男の目の前には赤いドレスを着た、黒髪の女が立っていた。

「お前は誰だ」

 黒髪の女がおもむろに言葉を発した。気の強そうな瞳に小麦の殻粒のような色の肌。ふっくらとした赤い唇は誰が見ても魅惑的だった。
 突然の出会いも束の間、女がこの自分に向かって誰なのだと聞いてきた事に男は驚いた。

「吟遊詩人のオルぺウスだ。わからないのか?」

 ゼウス神に連なるアポロンを父と呼ぶこの僕を知らないとは、一体この女は何者かとオルペウスは訝しがった。
 そして「ここは何処なのだ」と、辺りを見回しながら戸惑う言葉が漏れた。

 オルペウスは毒蛇に噛まれて冥界に落ちた妻の救出に失敗してより、失意の中で3日の間泣き続けて眠りに落ちた。
 そして目が覚めたら、波の音がするこの場所に居たのだった。

「…… オルペウス……、微かにだが聞いた覚えがある。異国の神の一族か…… そのお前が何故ここに居るのだ」

「異国の神とは……」オルペウスは不審に思うよりも、わからないのなら教えてやろうという、半ば見下した心持ちでゼウスの名を出した。また同時に自らが奏でる竪琴がいかに素晴らしい評価を得ているかを語りだした。
 そして勢いあまり、つい妻の名を口にしてしまった。

「どうした?」顔を背けたオルペウスに女が眉をあげた。

「…… エウリュディケは毒蛇にやられたんだ」そして消え入りそうな声で冥界での話をした。

「悲しみに打ちひしがれていたという訳か」

「当たり前だ!そして気がついたらここにいた」オルペウスは、余計な事を口走ったと顔を曇らせた。

「ゼウス神の話は多少なりとも知っている。なるほど、合点がいった。オルペウス、お前はこの島のどこかに住む人間にその悲しみをひどく共有されたのだ。だからここにいる…… よかろう、座れ」女は自らも砂浜に腰を下ろし、オルペウスを促した。

ーー 何者だ、この女ーー オルペウスは警戒した。

「美しい海だとは思わないか?…… お前は、何故今見知らぬこの場所にいるのかを知りたいのだろ?」

 更に促されて、仕方なくオルペウスは女の隣に腰を下ろした。

 女はクスリと笑いながら話し始めた。

「オルペウスよ、お前は今こう思っている筈だ。見ず知らずの女に名を名乗らされるとは、何という侮辱。神の一族に関わる自分を知らぬ筈は無いと。だが、お前はそもそも数多あまたある物語の中のひとつの神物語の中で生き、演じる存在なのだ」

「なんだと!何と無礼な!」オルペウスは気色ばんだ。

「お前も薄々感じた事は無いか?神々の存在がやけに断片的だと」

《この世界は実は人間が支配をしている。その人間が作った壮大な物語が世界にはいくつも存在する。
 時代を越えて、繰り返し繰り返し人間によって語り継がれる物語だ。時代毎、いや人間によっても受け取り方が異なり、時に変化をもたらす。別々の話が重なり合う事もある。
 長い年月をかけて育ってきた物語だ。
 オルペウスは、その中のひとつ、ゼウスを中心とした神物語の一端を担っているに過ぎない。ヘラにしろ、アポロンにしろ、当のゼウスですら、みな人間が作った同じ物語の中で生きている》女は時間をかけてそのように説明をした。

 女の話に怒りを表していたオルペウスだったが、一方で反論しきれない事柄がある事に気付いた。
 神々の印象が時によって全く違ったり、辻褄の合わない光景が広がったりした経験は確かに多い。同じ場面に繰り返し遭遇している感覚に陥った事も、一度や二度では無い。
 思い返せば不可解な数々がオルペウスの頭をよぎった。

「しかしだからと言って……」

「わたしとて物語の中で生きる身だ。ただゼウスの物語ではない、この場所で生まれた別の物語だ。だからお前がいくら竪琴の名手で稀有な存在であっても、わたしには何の関係もないという話だ。この島で皆が愛してる音は竪琴では無い。ヤシの丸太で作ったパフやウクレレという楽器だ」

「お前も神だというのか?」竪琴を否定されムッとしながらオルペウスが尋ねた。

「そうだ。常夏の島と言われるこの眩しい世界で作られた物語だ。人間は、わたしを我儘で恋多き神に仕立てあげた」
そして女は続けてこう言った。

「恐らく、この島に住む人間の中の誰かがお前の物語に触れたのだ。そして妻を取り戻せなかったお前の悲しみに深く心を痛めて涙した。何とか元気になって欲しいと思う程に強くな。だからオルペウス、お前は今物語から出てここ、ハプナビーチに居るに違いないのだ。この時代のこの穏やかな場所で心身を癒すためにな」

ーー この女頭がおかしいのか、まさか本当にそういう事なのかーー 
 釈然とはしないままオルペウスは目の前に広がる海を見つめた。
 強い日差しの下でキラキラと光を帯びる水面。
 穏やかな波間で、華やかな色の球を投げ合う若者や、波打ち際で水遊びをする子供達。皆、楽しそうだ。

 二本の棒を叩き合わせる音が聞こえ、その横で赤い花の髪飾りを付けた女達が腰を振って踊る姿が見える。

 途方も無く深く深く、吸い込まれてしまいそうになるエーゲ海を、オルペウスは思い浮かべてみた。

「僕達がいる世界は偽物だという事なのか……?」

「いや、そうでは無い。人間がどう扱おうと、我々神にとってそこは真実の世界だ」
 女は熱をはらんだ瞳でオルペウスを見据えた。
 そうしているうちに今度はどこからか弦を爪弾く音が聞こえ、これがウクレレの音だと言いながら、女は微笑んだ。

 「海は好きだ。僕が知っている海は神々しい。ここの海には優しさがあるように感じる。今の話、別に納得したわけじゃないけど、不思議と気持ちが穏やかになるようだ」と、オルペウスは渋々認めた。

「そうか、ならば物語から離れてしばし心を休めたらいい。幸いな事に意識しない限り、人間の目に我々の姿は映らない。そしてお前は黙っていてもじきに戻れる」

「そうなのか?」

 不安気な問いに女は頷きながら答えた。

「必ず。我々は、物語の受け手の人間によって立ち止まったり暴走したりもする。彼らが物語を聞いたり書物で読んだりする度毎、我々は生き直しているようなもの。だが我々が人間に依存しているように、彼らもまた我々を必要としているようだ。いいかオルペウス、人間が物語を捨てぬ限り、未来永劫どうであってもまだこの後も物語は続くのだ」

 そう言われて考え込むオルペウスに向かって、更に言葉を続けた。

「理由はどうあれ、別の世界へ飛び出してしまうような経験を持つ者が、他にいても不思議ではない。中にはいろいろ知って困惑している者がいるかも知れない」

「他にも……?!」オルペウスは驚いた。

「とりわけ夏場、神々は騒がしい。何もお前に限った話ではなかろうよ。人間はこの時期バカンスで疲れを癒す。ここは南の島。バカンスと打ち上げは南の島と相場は決まっている。神とて休暇は必要であろう?」女は片眉をあげてオルペウスの顔を覗き込んだ。

「ちゃんと納得したわけじゃないって言っただろ! 何が相場だ、聞いた事ないぞ!」と、半ばムキになりながらオルペウスは突っかかってくる。

「そうか、聞いた事無いか」
女はひとしきり笑うと、こうも言った。

「人間も身勝手なものよ」

 そしてどこから取り出したのか、女は目の前の海のような青く澄んだ液体がたっぷりと入ったグラスを差し出した。果物があしらわれている。
「ブルーハワイ。子供の飲み物のようだが、酒だ」

 女の言葉を半ば受け入れ始めたオルペウスだったが、酒を受け取りながらふと湧いた疑問を口にした。

「こんな酒は初めてだ。…… ところでお前の話が正しいとして、何故それを知ってるのだ?」

「それは…… いや、どうでもいいではないか」女は目を逸らし、遠く飛ぶ海鳥を見つめた。
 女の顔を見つめていたオルペウスは、そこにいるはずの無い渡り鳥の顔が、一瞬女の瞳に大きく浮かんだのを見逃さなかった。

「…… もしかしてお前も…… 」女の横顔を凝視したオルペウスだったが、ひと呼吸置いて目を離した。

「…… まあいい。信じた訳じゃないけど、風変わりな事が起きたと思って少しのんびりするのも悪く無い。エウリュディケの事も、何か考えがまとまるかも知れない。ところでお前の名は?どんな神なのか?…… その、恋多き女神と言ったが」

 オルペウスの問いかけに女は山を指指した。

「キラウエア火山に住む炎の女神だ。今女達が踊っているフラの中の物語で生きている。フラが踊られていれば、そこは時代を越え、人間界と物語の境界を越えた、どこまでもわたしの世界」

 そこで言葉を切ると女は立ち上がり、軽く拳を握りながらすっと顎をあげた。

「Aia lā ʻo Pele i Hawaiʻi(ハワイにはペレがいる)」

 赤いドレスの裾が一瞬風になびく。

「わたしはペレ」

 海はいつものように凪いでいた。真っ赤に泣き腫らした瞳にはまだ涙が光っていたが、柔らかい風が運ぶ花の甘い香りに気がついた。
 少女は止まっていた手を動かし再び分厚い本のページをめくりはじめた。

 やがて陽の落ちるまで本を読み進めた少女は、幾分ほっとしたように頬を赤らめて呟いた。

「良かった…… 幸せに…… でもなんでだろ、おばあちゃんに聞いたお話と、ちょっと違う…… 」


【了】

◆◇


* Aia lā ʻo Pele i Hawaiʻi
    ペレがハワイに降り立つまでを描いたフラの楽曲冒頭。

作品は全て出揃いました。明日は矢口さんのアカウントからアンソロジーがアップされます。


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