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雲の峰隠れてもなお富士は富士

一週間遅れで父に会いに行ってきた。
祖父母も同じ墓に眠る。

実際は車だが、この駅を見ると思い出す。
小学二年生。三歳の弟の手を引いて、たったふたりで東京からここまでやってきた事はやはり忘れていない。
母の出産予定日が近づき、わたしと弟はここに預けられた。
八歳と三歳の道中だ。この駅に着いた時、緊張がゆるんで泣きそうになった事は忘れられない。
曽祖母が亡くなり、町の集会所として使用して貰っていた祖父の実家と親戚同士の結婚だった祖母の実家があり、祖母の実家の一族が今も暮らす場所だ。

山岳信仰の富士講に熱心だった祖父と共に、何度も登山を繰り返した父は、八合目あたりでぐるりと富士山を一周した事があるらしい。
頂上をまたいではならぬと言う教えから、一周する事を考えたらしい。地滑りする場所では足を滑らせて死ぬかと思ったと聞かされた。

講の登山は、北口本宮冨士浅間神社裏手から行う。
わたしの兄弟はみなこの神社から名前をいただいている。
六根清浄の登山を一度はやろうとの父との約束は果たす事ができなかったが、この山に繋がる縁を、わたしは確かに持っている。

裾野までの広がりがしっかり見える河口湖のポイント。晴れてはいても、雲を集める山だ。
峰雲がここまではっきり映る逆さ富士を、わたしは初めて見た気がする。

雲の峰隠れてもなお富士は富士

#エッセイ #現代語俳句の会

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