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掌編 羽衣


神話創作文芸部ストーリアの4周年記念企画への参加作品です。
今回は龍、家事、巡礼、年末年始というお題グループに、花、鳥、風、月というお題の掛け合わせを、アミダで選ぶという企画でした。

わたしが引いたお題は「龍と花」でした。
いざ──

【羽衣】

今際の際に全ては夢のごとし

 徳川は家治が治世の頃の話であろうか。名を残すでも無い、ただ一途に道を歩んだひとりの男の、死にゆく前の一幕を物語るものとする。

 昨日までの風が収まった穏やかな小春日和。少し開けた障子の外からは、豆腐売りだろうか、天秤棒を担ぐ棒手振ぼてふりの声が遠巻きに聞こえてくる。

 連れ合いに先立たれた後、足腰が立たなくなり一線を退いてよりこっち、娘夫婦の世話になりながら脚気えどわずらいとやらで床に臥す辰吉。
 気分の良い時ならば雀の姿を追ったりもするが、このところの加減では日がな床の中で、矍鑠かくしゃくとしていた頃の、己が立ち続けた能楽の舞台を思い返すばかりの辰吉であった。
 元々器用者とは言い難く、それゆえに苦労を重ね研鑽を積み、やり切ったと言われればそうだと思うし、まだまだだと言われればそうだとも思えた。
 観王流の座付きワキ方である福世流に身を投じてからの数々が浮かんでは消え、また浮かぶ。

── いかんな、わしにもそろそろお迎えが来るか──

 そう思いながらも、うつらうつらとした脳裏には三保の松原が広がっていた。
 名作『羽衣』である。
 辰吉はワキの漁師、白龍を演じていた。

漁から戻ると、辺りには良い匂いが漂っていた。そして松の木に掛かる世にも美しい衣を見つける白龍。
「なんと美しい。持ち帰って家宝にしよう」
そう呟いて白龍は衣を手に取った。

するとここでシテ(主役)の女が現れる。
「その衣はわたしの物です。返してください」
白龍に懇願する女は、天に住まう舞人であった。
「その衣は天人の羽衣。天に帰るために必要で、人間が手にすべきでは無い」

天女が諭すが、天女の衣であると知った白龍は驚き、ますます手放すわけにはまいらぬ、むしろ国の宝とするが相応しいと言ってのけた。

そしてそのまま立ち去ろうとする白龍の前で涙を流す天女。
霞が立ち込める天を仰ぎ見て、何処へ行けばよいのかすらわからぬと泣く天女だった。

天の原ふりさけ見れば霞立つ雲路惑ひて行方知らずも

髪の花飾りは枯れはじめ、天人が死にゆく前に起こす天人五衰の兆候が現れ始めた。
その様子にあまりの哀れを感じた白龍。
「ひとつこの場で舞を見せてくれたなら羽衣を返そう」

喜んだ天女。
「ならば羽衣を先に。羽衣が無ければ舞うことはできぬ」

疑いの目を向ける白龍。
「先に返してしまえば、それを身につけてそのまま天に登ってしまうやも知れぬ」

その白龍に対して天女は答える。

疑いは人間にあり 天に偽りなきものを


はたと己の醜さに気付いた白龍は、恥入りながら羽衣を差し出した。

喜んだ天女は羽衣を身に付けると、自分は月の宮殿に住み、月の満ち欠けを助け舞を奉ずる天女のひとりであると語り、白龍に舞を披露した。
その姿は虹のように輝き、瑞々しく咲き誇る花のようであった。
そして天女は三保の松原は天上界のように美しいと褒め称え、この世はかつて詠まれた歌のように末永く栄える事であろうと言葉を繋いだ。するとそこで笙や琴など雅楽器が鳴り響き出すのだった。

君が代は天の羽衣まれに来て撫づとも尽きぬ巌ならなむ」

こうして更に舞を披露した後、天女は多くの宝を振りまきながら天へ昇っていった。

 欲を恥入り、疑心を恥入りやおら昇りゆく天女を見つめる白龍…… もといひとりの老人辰吉。

 辰吉の目の裏にくっきりと浮かんだ天の舞人。透き通る程に柔らかくたなびく、あまの羽衣。
 消えゆく前、月のしるべに迎えられたのであろうか、悠々たる天女のその姿は、まるで金色に輝く昇り龍のように辰吉には見えた。

──まごうことなき優美な有り方──

 芸を極めんと精進した日々の細々こまごまを思い返していた辰吉であったが、演者の彼此を越え、それらを無にしてただただ感じ入った時に、脳裏に写る昇り龍が放った宝は花となり、辰吉が着る白木綿の懐に落ちてきたのだった。
 その三日後、駆けつけた一門の面々が見守る中、静かに息を引き取った辰吉。

 天に偽り無し── ひっそりと懐に落ちたその花は、矜持を持って高みを目指し、その身を費やした者へのはなむけであったのだろうか。

うつつ無しと言えばそれまでの事
今際の際に全ては夢のごとし

 ただ旅立つ辰吉の顔には、微かに笑みがあったと伝え聞く。

七宝充満の宝を降らし 国土にこれを 施し給ふさる程に 時移って天の羽衣 浦風にたなびきたなびく 三保の松原浮島が雲の 愛鷹山や富士の高嶺 かすかになりて 天つ御空の霞に紛れて 失せにけり

語り 翁

【幕】


◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆

*うつつ無く しっかりとした判断力に欠け、ぼんやりとした様。

*第三者が語るという形式にしました。(翁とは単なる男の老人と言う意味の他にもうひとつあります。今春禅竹の『明宿集』に言及があり、翁とは、ある種の神的存在に近いともとれる理解がされています)
後者の翁を意図しましたが、ちょっとやり過ぎですかね😅

*能「羽衣」を簡単に要約し、挿入しています。(直接引用も有り)それ以外、辰吉に関する部分はわたしの創作です。
フィクションであるため、本来の観世流・福王流を、名称を変えて観王流・福世流としました。
また引用は観世流の「羽衣」を参照の上、おこなっていることをお断りしておきます。

*尚、お題の龍と花は、創作部分に入れました。

*少しずつニュアンスの違う羽衣伝説がありますが、能においてはこのような内容になっています。
漁師に白龍とは、なかなかの名前ですね( ˙-˙ )


明日は成瀬川るるせさんです。



#mymyth4anniversary #神話創作文芸部ストーリア #掌編 #小説


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