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みつせ川われより先に渡りなば

此岸と彼岸の間にあると言う三途。これは実際の川だとも、煩悩の例えだとも言う。
伝承から少し考えてみたい。

餓鬼道、畜生道、地獄道を意味する仏教由来説が有名で、そこに平安時代の終盤、徒歩では無く舟で渡り、その渡り賃が六文だとの言い伝えが乗ったらしい。

賽の河原伝説も加わり、また彼岸と言う言葉に対しては「彼岸」を「日願」とし、土着信仰の影響が乗ったとの説もある。

また、根の国を支配するスサノオ(また出てきた。どっこにでも顔出す奴な!)にちなんで熊野川と関連付ける話もある。根の国と黄泉の国は繋がりがあるのだろう。
日本神話の場合境界は川では無く「黄泉比良坂」と言う坂(場所)のようだ。イザナギ、イザナミのくだりに出てくる。

ただ、黄泉の国から帰ったイザナギがその身を祓い清めるために禊をおこなった川がみつせ川。
上つ瀬、下つ瀬、中つ瀬の三瀬で、これが熊野川を連想させるらしい。
三途と言う名自体は、そこから来ている「とも」言う。実際古くは三途の川をみつせ川と呼んでいた。
祓いや清めは、神話由来の神道の考え方だ。

まだ日本が倭と言われていた時代に大陸から仏教が入って以降、仏教のその考え方に、少しずつ古来からの伝承や神話にある思想を絡ませていったのだろうか。

イザナギが禊を行なった際、まさにその禊の行為によって生まれた神々の中に、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三柱がいるのはとても興味深い。

直接的には中国から渡ってきた仏教だ。その中国においても死者の渡る川伝承は、仏教に土着信仰が含まれているとものの本にある。川の名前は奈河、あるいは冥河と言い、大河らしい。

ちなみに彼岸と言う言葉そのものはサンスクリット語が語源だが、彼岸の行事は日本特有だ。

ギリシャ神話にも三途と同意に近い川があり、名前はステュクス。女神だ。
地下の冥界を七重に取り巻いて流れ、生者の領域と死者の領域とを完全に区別しているという。そして神々をも罰する権限をゼウスから与えられているようだ。
その大河の向こうにはハデスがおわすのだろうか。

エジプト神話では、ずばりナイルだ。西岸に冥界があるとされ、墓が集中する。有名なのは王家の谷だ。

メソポタミア神話ではフブル川。そこを渡るとエレシュキガルと言う女神をいただく冥界がある。

多くの神話に三途同様の川が出てくるようだ。調べると、生前の評価や再生の期待に繋がる記述も見られる場合が多い。
土着信仰や伝承と絡めながら、この世とあの世を隔てている川と言う概念は、なにも仏教由来ばかりでは無いと言う事で、三大宗教より以前に、死者の行く場所に人は、何だかの折り合いをつけていたのだろう。

思想的社会的支配に関与しようとも、後世において御利益ビジネスに利用されようとも、結果的に神話が示し、わたし達に見せるもの。それは文化的、文学的芸術性と、成立過程における思考や、その変容だろうと個人的には考えている。

さてさてそんな三途の川だが、平安時代には面白い俗信があったらしい。
女が三途の川を渡る時、初めて契りを交わした男性が手を引いたり、背負ったりして進むと言う言い伝えだ。ツッコミどころは、決して「夫」とは言っていない辺りだろうか。

蜻蛉日記の巻末歌集にこのような歌がある。

みつせ川われより先に渡りなば 
みぎはにわぶる身とやなりなむ

あなたが先に三途の川を渡ってしまったら、わたしはどうすれば良いのでしょう。
ここには真っ赤な彼岸花が良く似合う気がする。


少しそれるが、能の演目で女が主人公になっている場合、主人公は死者であるケースも多く、テーマは恋愛や煩悩、その苦悩が中心らしい。
ちょっとだけその辺りを聞きかじっていたからか、わたしは去年の土曜絵画でこんな絵を描いた。



彼岸花は酸いも甘いも噛み分け、年季の入った女にこそ良く似合う←

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