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別方向へ向かった神話


「閉じた神話」わたしは何度かこの言葉を使ってきた。果たして「誰」が神話を閉じたというのだろうか。

先日神話部部長の矢口さんからひとつのリンクをいただいた。妖怪に関しての、識者へのインタビュー記事だった。
「この内容、翠さんが書いた「閉じなかった神話」と、論調が近くないですか?」と、矢口さんに言っていただいた。正直びっくりした。何となく思っていた事を書いただけだが、確かに識者が示す論に近いのだ。
妖怪の類いは元々「神」だったのでは無いか?といった内容だ。

詳しい内容は脇に置くが、わたしが「閉じた」「閉じていない」と表現した事を、この記事では「流行り廃り」で言い表していた。
「日本神話」と呼ばれるものが「廃れた」ものであり、一方でわたしは「閉じた」という言葉を何度か使ってきた。

個人的な見解に過ぎないが、「閉じた」結果「廃れた」のだろうと一歩踏み込んで感じている。
ならば少し言葉をいじってみる。
「〇〇が神話を閉じた」
わたしの頭の中には、〇〇にあたる主語が存在するのだ。
『王権』だ。

絶対権力を持たなかった倭国の王は、常にその正当性を示す必要があり、それを周辺の有力豪族が承認していくシステムにより成り立つ存在だったと言う。
国の始まりに神話を用い、その後の歴史を形成する伝承が整い始めたのは、倭国が日出づる国の別称を持つ時代になった辺りのようだ。ただこの時点で、それはまだ不完全なものだった。
これが国家の正史として完成した時には、既に中央集権国家としての法典と都城を持つ「日本国」が成立している。

日本とは、日(太陽)の本、日の真下を意味する国号だと言う。そこには強い国家観がある。
日出づる国とは、隋から見て東に位置するという意味に過ぎないのだ。

「高天原(天照大神)より統治を命じられた天皇が、正当な血統を受け継ぐ朕にその地位を授けられた」

持統から文武への譲位の際、即位の宣命でこのような主旨の言葉が使われた。そして太上天皇持統には高天原廣野姫の別称が伝わる。


こうなると、神話の主軸に据えられた物語の大部分がすっぽりと王権に入り、他者の手によって好き勝手に広がる余地が限られてくる。
周辺豪族も、それぞれ神話や伝承から繋がる系譜を用いて拠り所としている以上、王権とその周辺で日輪に連なる神話は(大筋において)冒される事無く完結してしまう。
この事を、わたしは「閉じた神話」としている。
一方で土地に、山河に、草木に根ざす、いわゆる「八百万の神々(を中心に)」は、閉じた物語から離れ、脈々と永らえる道を歩んだのではなかろうか。時に別の神々や、仏教・陰陽道等と習合しながら民衆の中に入り込み、時に姿形すら変えて新たな伝承をも作る。(それが妖怪やそれに類する伝承という推論)

王権に選ばれた神話と選ばれなかった神話。
閉じた結果民衆の中では廃れ、閉じなかった結果流行る。
これはいたって自然な事ではないだろうか。

今回矢口さんに識者の論に近いと言っていただいた事は、正直誇らしかった。知った気になっている事も多いが、社会背景、神話信仰を含んだ思想を軸に、古代を中心に歴史を層で見つめてきた。
時におもしろくないと言われた事もある。
わたし自身がおもしろいと感じるのだからそれでいいだろうと、少しドヤった口調で言ってのけてみたくなった(笑)

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ところで、神話部ストーリアは先週夏企画を終えました。
こちらがアンソロジーです。


今回も画像を作らせていただき感謝しています。告知用とアンソロジー扉絵です。

告知用
アンソロジー

神話部の画像は、作っていて楽しいです。


#mymyth  #ストーリア #コラム

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