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天宇受売命という存在 後編


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後編 ② 戯れては笑ひゑらぐ

天と地が分かれ、山河が整い男女が現れ結ばれて子孫を残す。やがて闘争や支配、統治に進む。
これを軸に様々な理に対する説明や、正当性の提示という枝葉を付ける。
時代の経過に伴い、世相思想を反映させ、後の人々の手による解釈や脚色も加わりながら、神話は整ってきたのだろう。(少なくとも日本の神話は)

物語が進むにつれて、人の感情の投影が増え、神々が徐々に人に近づいてくるようにも感じる。
そうであれば、目合いが積極的に登場してくる事は、不自然ではない。
物語の中にあって、交わりは神の末広がりと連続性に帰結する。教科書的な言い方をすればそうなるが、それは多分に屁理屈だ。
化かし合い、気を引き合う。色恋が大いなる関心事であるのは、人も神も同じ事。
むしろ「人のやる事を神もやるのだ」とは果たして言い過ぎだろうか。

実際神話は秘め事に彩られた、エロチシズム豊かな物語だ。
古代語を紐解いてゆくと、記紀のよく知られる記述の中には、更なる目合いのシーンが隠れているとする言語学者もいる。
記紀から漏れた各地の伝承の中にも、秘め事をもって中つ国の娘が神をもてなしたとしか解釈できないものもあるらしい。
そうであれば、直接神代の編纂作業にあたった教養ある飛鳥の役人は、その時代から見た「古代語」に、さぞ頭を悩ませたことだろうと想像する。さながら「この学問の発達した文明の時代になんたる破廉恥……」と、いった具合に。

日本の古代中の古代、呪術に満ちていた縄文から弥生期は、祭りと男女の無礼講はセットであったと考えられているようだ。

さて、アメノウズメは、アマテラス再現のために踊ったと言う。
描写から伺い知るのは、その踊る姿がダイナミックかつエロティックなものだという事である。
胸をはだけ紐を落として、乳房や陰部を晒している。伏せた桶の上に乗り、背中を反り腰を落として地を踏み鳴らした。古事記では神懸かりと言う表現を使っている。
それによって八百万は皆「笑ひゑらぐ」のだ。
神々を歓ばせるために、憑依を受けた巫女の姿である。

後にアメノウズメが祖となる猿女君の猿女。この「猿」とは「戯る(古語ではサると読む)」つまり戯れたわむれるから来ているという見解が主流になりつつあるという。

時は大きく下って江戸幕府が開かれる頃、元は巫女であったとされる女の踊りが京都で評判になった。
「かぶき踊り」と呼ばれるそれを披露していたのは、言わずと知れた出雲の阿国である。
やがて一座として各地を巡業するようになる。

阿国の踊りは、当初「ややこ踊り」と言われるものだったが、かぶき者が茶屋の娘と戯れる様子に変化していき「かぶき踊り」「阿国かぶき」等と呼ばれるようになった。
演者の男女が入れ替わり、非常に濃密に戯れ合うエロティックな演目だったらしい。
見物客は熱狂し、演者と客が入り乱れての大団円になったと言われている。
かぶき踊りはやがて遊女小屋に入り込み、三味線を加えた遊女歌舞伎として全国に広まっていった。
阿国かぶきは、後の「歌舞伎」の源流のひとつであり、またそこから「日舞」が生まれた。

巫女であった阿国が、盛大に男女の戯れを踊り、観客が熱狂し大団円を迎える。
阿国にそのような意図があったとは思わないが、わたしはどうしてもそこにアメノウズメを見てしまう。熱狂する観客は八百万の神々だ。
皆が笑ひゑらぎ、エネルギーに溢れた光景が生まれた(アマテラス再現)のではないだろうか。

神話が生きているとするならば、もしかすると、一般大衆の感性の発露の中にこそあるのではないかと考える。
素朴で単純で荒削り。けれど土地に生きる人々の血流のごとく巡りゆくもの。
教説とは離れた場所で、無意識のうちに繋がれてゆく物語こそ、民衆が抱える精神性であり、神の物語なのかも知れない。


以上で前後編コラムは終わりです。
専門家でもない、わたしの感覚に頼って書いた記事ですので、間違いがあってもご容赦くださいませ。
最後に、以前に書いた詩を置かせていただきます。


#mymyth #コラム

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