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自然の中の人間

 昨日投稿した内容を、少し掘り下げてみました。
   昨日、日本の八百万の神はGodではなく、むしろ精霊という言い方がふさわしいのではないか、ということを書きました。古代の原始宗教が発展し体系化されたことで、今に至るまで脈々と語り継がれた自然崇拝の形なのでしょう。

 一方で、欧米を中心とした国々においては、自然は『征服するもの』という考え方があります。狩猟を中心にした生活下の歴史の中で育った感覚で、『挑むもの』そんな言い方ができるのかも知れません。多くの日本人の感覚からすると、少々罰当たりに聞こえる考えかたです。

 自然に対して、それを挑むものと捉えようと、また畏敬の念を持とうと、それはあくまでも人から見た場合のことに違いはないでしょう。例えばオゾン層が破壊され、それによって不都合が生じれば、人はあたかも天罰かのような感覚でそれを捉えるむきもあります。けれど自然の側ではただ、それに見合った動きをしているだけ、そんな言い方ができるのではないでしょうか。優しいわけでも厳しいわけでもなく、摂理のままに、何の意図も持たずにただそうなっているに過ぎないはずです。

 そして草木がそうであるように、人も本来はその摂理の一部であるはずです。この地球という惑星の中で、人だけが違う次元で存在していると考えるのは、少々思い上がりが過ぎるというものでしょう。

 それでも人は、やはり挑み祈り、愛し、なおかつ破壊しまた感謝を続けます。自然の側がそうであるように、人にとってもまた、それが『自然』なことなのかも知れませんね。

 手前勝手だと精霊達に笑われながらわたしもまた、明日は雨でもいいけど今日は晴れてくれないかと、洗濯物の乾きを気にする梅雨という季節を、今年もまた過ごしています。

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