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忘備録はオタクの拘り


ヘッダーのアレンジとは何の関係もない話を書く。


場合によってわたしはおかしな本の読み方をする。
かいつまんでサラっと読む。その後しばし寝かしたりしてからじっくり読むのだ。
小説の類ではさすがにそんな事はしない。
歴史系の新書だ。

理由は、それを書いた著者の考えを鵜呑みにしないためだ。

寝かしたまま熟読せずにいた本を今やっとじっくり読んでいる。
興味があったことの答えに触れるかも知れないと思い購入した本だ。

各地に散らばる神話の原型を、人はどう扱っていたのかを知りたかった。
現代の社会的規律を親が子に、あるいは教師が生徒に教え込むような形がどうしてもイメージできなかった。

神話の原石が誕生したのは、どう考えても人の定住が進み、ある一定の共同体が出来上がった後だろう。
海を越えた人の流入もあり、それに伴って学習歴が増えた人々が単に意志を伝え合うコミュニケーション以外に口にする言葉。
短いストーリーを繰り返し口ずさむとしたら?

それはやはり「集う」時だろうなと思った。

少なくともこの列島においては、神話の原型は歌だったのではないか?と言う考えが書かれた文章を目にした事があり、それがわたしの頭の隅にあった。
そして辿り着いたのが、少数民族が暮らす中国の地方部落での現地調査を経て、無文字の言葉表現を重視した上で書かれている著書なのだ。

「古事記の起源」 
著者 工藤隆氏(日本古代文学・文化人類学)

理路整然と古事記を読み直し、天地開闢より神代七代のくだりについては「神」を排した韻文の復元まで試みている。
歌うという事はつまり韻文であるという訳だ。

と、ここまで書いてきてその中身や、わたしの頭の中での結論について文章にできる程読み込めているわけではない。
趣味レベルであっても、多少は考古学上明らかになっている背景と照らし合わせる必要もあるだろうから……←イイワケ
証拠を見せる事ができない考察は実に厄介だろうから、研究者の忍耐には頭が下がる。

またこの著書とは関係ないが、「神話ってなんでこうなんだろ」というある事柄についても考えている。
一般論として直接的な生命の危機が無い場合、「ムラを構え始めた遙かなる古代人」が持つ本能的な「欲」は「食欲」に次いで何があるか?
その流れの中で神話の原型が生まれたとしたら?
そう考えると妥当だけれど、もう少しきちんとした説明ができるようにしたいものだ。(何についてか言わないくせに太字か-_-b)

わたしが興味を持つ歴史のあれこれは、別に生活上何かの役に立つ訳では無い。単に好奇心を満足させているに過ぎないものだ。
ひとつ言うならば、創作においていくら妄想だの作り話だのと言っても、極力納得いかない史観には立ちたく無いという辺りだろうか。
単なるオタクの拘りだ。自己満足のあらわれだが、好きなんだから止めるつもりもない。

わたしが書くコラムのほとんどは忘備録だ。それが「ですます」調で書かない理由でもある。
特に今回は纏まりもないではないか。
それでも、タグ付けていいですよね〜と言ってみよう(*´∀`)♪



#mymyth   #エッセイ #コラム #note神話部

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