暗転 破

「入ってからやってく方が楽だと思うので、頭の方からかがむようにして入って。おっと、言い忘れてた、着るときに靴は脱いでお願いします」

靴を脱ぎ、かがむようにして頭の方から入っていく。着ぐるみ内はかなり狭く高さもなかったため、かがむというよりは、地面を這うような形で着ぐるみ内へ入ることとなった。
キャラクターの目の部分は透明なアクリルのような素材で出来ており、そこから視界がとれる構造になっていた。しかし、視界穴は、自分の目線よりかなり低く、見えるのは無機質なフロアだけだ。

「とりあえず、本体を持ち上げて脚を出したいので、後ろにある穴に脚が通るようにおいてもらって、背中で着ぐるみを持ち上げてください」

中の空間は狭いため、後ろの穴まで両足を持ってくるのは、体勢的にかなりきつい。何とか小野田さんの手を借りずに足を穴に置くことができた時の体勢は、あまりに不格好で犬のような状態になっており、恥ずかしさからなのか脇から嫌な汗が噴き出るのを感じる。

「そうですね。そんな感じです。じゃあ、私も持ち上げるのを手伝うので、中腰くらいまで腰を上げてください」

「せーの!」
小野田さんの掛け声で着ぐるみを一気に持ち上げる。掛け声の主にお尻を向けた状態で、それに従うのは、奴隷となったようで、ひどく自尊心を傷つけられた。

「あと、最後にこれですね」

小野田さんは、前の二つの穴から先端に取っ手がついている棒状のものを差し込み、両手でつかむよう指示を出してきた。

「そちらからは、見えないかもしれませんがこちら側からは前足のようになっていまして。前足を床につけてみてください」

腰を低くし、前傾姿勢にしていくことで四肢がフロアにつけることができた。前は全然見えなく、音だけが頼りだった。
自分の姿を見れば、四つん這いの状態で恥ずかしく、内股の状態の姿勢を必死で保持していた。こんな状態で大衆の前で見世物になると考えると情けなさから涙が出そうになった。

「本番では、白いズボンをはいてもらって、その上に丸い靴を履いてもらいます。本番までに歩く練習もしておいたほうがいいので、テントの中、一周してみましょう」

自分の前に小野田さんがいることがかろうじて見える。小野田さんの方を目指しながら必死で追いかけようとするが、一歩で進める距離がほんの少しであるため、全然進めない。
かなり時間をかけてテント内を一周し、小野田さんの助けを受けつつ着ぐるみを脱いだ。きつかった体勢から解放され、今まで通りに体を動かせるありがたみを身にしみて感じる。
しかし、着ぐるみを脱いでも羞恥心は、なくならなかった。先ほどまで四つん這いの状態を見られ、飼い主とペットの関係のように追いかけていたのだ。脱いだ今でも、明確な主従関係が存在するように感じた。

「お疲れさま~」
笑顔で小野田さんは、ねぎらいの言葉をかけてきた。心なしか先ほどまでより表情が明るいのは、恥ずかしい体制をとらせ、自分の思うがままに歩かせたことで支配欲が満たされたのではないかと感じてしまう。

「はい、お疲れ様です。ありがとうございました」
恥ずかしがっていると思われたくない一心で、毅然とした態度をとった。

「もう少しで出番あるから、少しだけど休憩しておいてね」
と一声かけ、500mlのお茶を渡してくれた。小野田さんは、忙しなくスマホをいじり始めた。時折、だれかに電話をかけては、応答がないことに愚痴をこぼしていた。
少しの時間ではあったが、体はものすごく疲弊し、痛みさえ感じていた。もう十分、自尊心は傷つけられたが、多くの人の前でさらし者になることだけは、避けたかった。
どうにかして、やらずに済む方法を考えることに頭を回していた。何なら体調不良か何か理由をつけて帰ってさえやろうかと考えていた。

「すみませーん、遅れましたー」
そこに立っていたのは、スーツ姿の若い女性であった。小柄でかわいらしく、ぱっちりした目元が印象的だ。走ってきたためか、呼吸が乱れており、肩を激しく上下させていた。

「おー、やっと来てくれたよー。結城さん電話何回かけてもでないんだもん。大丈夫だった?」
「本当に申し訳ありません。電車が途中で遅延していまして、電話は昨晩、充電するのを忘れてしまっていて使えませんでした」
何度も何度も頭を下げる華奢な女性、先ほどまで小野田さんが電話をかけていた相手がこの人だとこの一連の会話で理解した。

「いや、まあ、何より無事についてくれて何よりだよ。時間もギリギリだけど、ついてくれたし」
小野田さんは、怒りきれていない様子だった。かわいい女性に対しては、そうなのだろう。それがなぜか癇に触った。

「安野くん、紹介するよ。弊社の商品PRを担当している結城です。本日は、安野くんのアテンドについてもらうのでよろしくお願いします。新卒一年目で安野くんとも年近いと思うから何でも聞いてあげてください」
「初めまして。商品PRを担当しています”結城楓”と申します。本日は、よろしくお願いします」
「安野秀樹です。こちらこそよろしくお願いします」
ボブの髪を揺らしながらペコリとあいさつしてくる彼女は、学生の雰囲気がまだわずかに抜き切れていないオーラをまとっていた。彼女の華やかな雰囲気に気が引けてしまい、目をまともに、見ることができなかった。

「担当者も無事間に合ったし、私はブースの方に最終確認に向かうので、結城さんあとはお願いします」

小野田さんは、結城さんの返事を待たずして、テントの外に駆けだしていった。

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