スピルバーグ監督「ウエスト・サイド・ストーリー」をみた話。

 予定よりはやく仕事がおわり、帰り道にある映画館に入った。普段は残業もほとんどない会社だが、いまの時期は仕事の繁忙期で、近頃は日が沈んで暗くなった道を帰ることがほとんどだった。
 その日はひさしぶりに西の空にオレンジの夕日が沈んでいくのを見た。会社の通勤には大きな橋を渡るのだけど、水色とオレンジの混ざった広い空をみながら歩くのはとても気分がよかった。

 知人から評判がいいと聞いていた「ウエスト・サイド・ストーリー」をみようと決めた。監督はスティーブン・スピルバーグ。SFやヒーローもののいわゆる商業映画のイメージが強かったけど、これはまったく違う。(あくまでも私のわずかな知識による意見だけど、想像を覆されたことは事実‥!)冒頭10分は一気に50~60年代の雰囲気にぐっと引き込まれ、そのあとの約2時間半、観客を飽きさせないのは純粋に監督のすばらしい手腕によるものだ。
 今の時代はCGやら名前のわからない技術が盛りだくさんに飾られた映像が多い中、音楽も映像もすべてがシンプルなのがすぐにわかる。空間の使い方、光と影、カメラワーク、、シンプルながらも惚れ惚れする映画的な魅力が詰まっていた。(そもそも最近の技術合戦みたいな映画は私の肌には合わない気がしていたので、こういう映画的な映画がシネコンで見れて単純にうれしかった。)

 そして後日、Spotifyのポッドキャスト「POP LIFE」でウエスト・サイド・ストーリー特集を聴くことにした。そもそもミュージカルがゲイカルチャーのなかから生まれた作品が多いらしく、セクシャリティに絡んだ話題は私自身知らなかったことも多くてとても勉強になった。諸々の知識の裏付けをしたところで最後に気になったのは、そもそもこの作品のストーリーが観客(とりわけ若い世代)に受け入れにくのではないか、という話題。

 移民同士の恋愛、そして対立するグループの垣根をこえて恋に落ちたトニーとマリア。二人はこの愛がすべてと信じ、そして愛の力で周りをおおいに巻き込んで物語りが展開されていくのだが。現実では無茶な恋愛ではなく、安定・安心だったり、わりと保守的な恋愛観が多いよね、という話の流れだった気がする。ラジオはそのまま終わってしまったのだけど、なんとなくその話があとを引いていた。

 現代社会において、恋愛はどういう位置づけなんだろう。(ぜひあのポッドキャストで番外編として語って欲しかった…)きっとこの作品の舞台になっている50年代であっても、世間体や同胞を気にかけて保守的な恋愛をした人もいると思うし、トニーとマリアみたく無理だといわれるようなドラマチックな恋愛をした人もいるだろう。それは今も昔も変わらないと思う。
 肌の色も、格差も、年齢も、性別も、すべてを超えてしまうものが恋愛だと思うし、そうして混じり合って人間は生きてきたんだと、なんとなく感じるのだ。

 生きていると暗いトンネルのなかを歩くような日々が稀に訪れる。そんな日々のなかでも、ふと手を差し伸べてくれたり、ちいさくても温かい光を照らしてくれる人がいつかくると信じてしまうものだ。(その差し伸べる手の先は恋愛ではなく家族や友人でもいいのだけど。)それは人生の希望だったり理想だったりする。ロミオとジュリエットが愛を伝え合うような、そんな大げさなものではなくて、階段を三段とばすくらいでいい。そういう少しだけ飛び越えたところへ連れて行ってくれるものが恋愛なのかもしれない。

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