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親から受けた女性差別②~女だからどうでもいい?~

 私は中学時代も高校時代も一貫して文化部に所属していた。

 体を動かすこと自体は好きだったが運動神経は悪く、スポーツなら何でもござれというタイプではなかったし、私の入学した中学校に、当時私が好きだったサッカーやフットサルを女子生徒が部活動としてプレイできる環境はなかった。もし女子サッカー部や女子フットサル部があったら、私の中学校生活はまた違ったものになっていたかもしれない。

 とはいえ、中学での演劇部の活動は楽しかったし、高校で入学した文芸部も小説や詩で賞をとるなど充実していたので、学校の部活動に関して悔いはない。だが、1つ引っかかっていることがある。

 いつだったか正確には思い出せないが、確か私が大学生だった頃、母親がこんな話をしたことがあった。

「ケイとリュウ(私の弟2人/仮名)は男の子だから、運動部に入ってほしい気持ちがあったんだよね。でもヨー(私)は女の子だったから、まあいいかって」

 母が、男の子の育て方に少しこだわりがあるらしいこと――息子たちに対して、ある程度は男らしく育ってほしいと思っているらしいこと――は、薄々感じていた。

 その裏で、私に対し「女の子だから、まあいいか」という気持ちがあったことまでは、私は感知できていなかった。

 母は、私に対して「女の子だから」と無理やり何かをさせたり、逆にさせなかったりしたことはない。スカートを履かない私を母は黙認していたし、小学生の頃、私は私以外に女子のメンバーはいない地元のフットサルクラブで、男子と一緒にボールを追いかけていた。

 別に学校で何が何でも運動部に入りたかったわけではない。むしろ「男の子だから」という理由で文化部に入ることが推奨されていなかった弟たちを気の毒に思う。私が引っかかるのは、そういうことではなくて、「女の子だから、まあいいか」という母の態度だ。

 女の子だったら、何が「まあいいか」なのか。「男の子を育てるようにこだわって育てなくてもいい」という話なのか。そうだとしたら、それはなぜなのか。女の子は、こだわって育てて立派な人間に育てなくても、結婚して男に養ってもらえばいいからか?

 私が母に面と向かって上記のことを述べたら、母は「そんなことまで考えていない」と否定するだろうし、実際そこまで意識的に考えていたわけではないのだろうと思う。しかし、それに近いこと――女の子は、男の子ほど立派にならなくていいということ――は、母の意識のどこかにあったのではないだろうか。

 本のタイトルや著者を忘れてしまったが、昔、ある実験についての話を読んだことがある。成績に関係なくクラスから無作為に1人の生徒Aを選び、そのクラスの担任の先生に「検査の結果Aには才能があることがわかった。この子の成績は必ず伸びる」と告げたところ、翌年生徒Aの成績が飛躍的に上がった話だ。

 子どもの能力の伸びは、その子どもを導いたり教えたりする大人が、その子どもにどれだけ期待を寄せているかに左右される傾向にあるという。もしも、世の中の多くの親が娘に対して「女の子だから、まあいいか」という態度でいるとしたら、女の子たちの能力は、どれだけ多くの伸びしろを失ってしまっているのだろう。

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