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M015. ミドリムシは動物か?植物か?(2022年1月時点の考えまとめ)

 ミドリムシは動物と植物どちらだろうか?と、2020年1月頃から考えています。そして関連する読書記録をnoteにまとめています。ここでは2022年1月時点での、僕の考えをまとめます。

 今回の記事の内容はほとんど先日YouTubeでお話ししたものです。何を隠そう僕はVTuberですので、ライブ配信なんかもやってのけちゃうんです!

探究のきっかけ

 僕は知性をもったミドリムシのVTuberでして、ミドリムシについてお話しする動画をたくさんYouTubeに投稿……したいと思っている者です。そこで、ミドリムシQ&Aシリーズと銘打って10分未満の短い動画を複数投稿しようと考え、最初の動画のテーマに「ミドリムシは動物・植物どちらか?」を選びました。

知性をもったミドリムシVTuber みどりむしエレナ

 僕の知識が間違っていなければ、この問いに対する現在の生物学(分類学)の標準的な見解は、「ミドリムシは動物でも植物でも無い」です。この見解に従って台本を用意し、収録を終えました。しかし編集の段階に入った途端、なんだか違和感――この答えで本当に正しいのだろうか?
 この時の違和感についてまとめたのが、note記事の第1回目でした。その後、この違和感の解消と「ミドリムシは動物・植物どちらか?」という問いへの答えを求め、いくつかの本を読み、今に至ります。

探究のゴールの具体化

 哲学の本を読んでいく内に分かってきたことの一つは、抽象度の高い問いに対する答えは求めない方が良いということです。ここで言う「抽象度の高い」は、「過度に一般化された」と言い換えても良いでしょう。
 例えば、「嘘をつくのは悪いことだろうか?」という疑問について考えてみます。普通は、嘘をつくのは悪いことだと思われるでしょう。しかし例えば、殺人犯がある人を追いかけまわしていて、逃げてきた人をあなたが匿うとする。殺人犯があなたのところにやって来て、逃走者の居場所を聞く。ここであなたが、匿っている逃走者の居場所について嘘をつく――これは悪いことでは無さそうですよね。ここで言いたいことは、あらゆる事例における「嘘」をひとまとめにして、それについての問いに対して一挙に答えを出すことは大変難しいということです。

 僕の探究の指針もなるべく抽象度を下げて、問いの具体化を図るのが良いと思います。そこで探究のゴールを、「ミドリムシは動物・植物どちらか?」という疑問に正しく答える動画を出すことだと考え、これを更に具体化していきます。

探究のゴール設定と、そこから派生する疑問たち

 そもそも「ミドリムシは動物・植物どちらか?」という疑問はいったい何なんだ? 急にどこから来たんだ??
 僕はこの疑問を、"あるある"だと思っています。ミドリムシについて、よく話題になるトピックの一つだという認識です。少し変形して、「ミドリムシは動物のようでもあり植物のようでもある不思議な生物」みたいな表現もよく見られると思います。
 このことについてはあまり疑っていませんが、論拠となる出典は押さえておいた方が良さそうです。今後は、ミドリムシ・動物・植物の問題に触れている文献等の情報を収集するnote記事を作り、見つけ次第そこに追加していこうと思っています。

 さて、「ミドリムシは動物・植物どちらか?」という疑問。そう、これは疑問なのです。疑問は、誰かが思いつくことで生じるものです。この疑問をもつ人はいったいどんな人なのでしょうか? 僕ではありません。僕はこの疑問について、"あるある"だと思っているわけですから、この疑問をもつのは、”よくいる人”であるはずです。この疑問者像を具体化しておくことも、探究のゴールにたどり着くのに有用でしょう。

 僕はこの疑問に”正しく”答えたいわけですが、ところで”正しい”とはいったいどういうことなんでしょうか? 難問ですね。まさに哲学という感じ。今後も引き続き哲学系の本は読みますので、そこで改めて考えてみることにします。取り急ぎ今の僕に思いつく、正しさについてのより具体的な説明は、「目的に適うこと」です。正しさには目的――目指すべき在り方――がつきものだと思います。いまここで考えているのは、ある疑問があって、僕がそれに答えるという対話についての正しさですから、疑問者の目的と、回答者である僕の目的の、両方を具体化して汲み取りましょう。

 また僕は、「ミドリムシは動物・植物どちらか?」という疑問への答え方は、絶対的なたった一つのものには定まらない気もしています。その場合には、どんな答え方の選択肢がありうるか、というところを網羅して提示する形で、探究のゴールとしたいと思っています。

この疑問をもつのはどんな人?

 まず大前提として、「ミドリムシは動物・植物どちらか?」という疑問をもつ人は、「ミドリムシ」「動物」「植物」それぞれについて何らかの知識を持っている人ですね。何も知らなかったら、こういった疑問が浮かぶことは無いでしょう。

疑問者についての具体化

 その上で、次の二つの思考の特徴を抱えているはずです。

  • ミドリムシは動物か植物かどちらかだと思っている。

  • しかし決めきれない

 この二つの特徴が現れる背景として、疑問者は次の三つの思考の特徴の内、①を必ずもち、更に②や③も加わるでしょう。

① 二つしか選択肢がないと思っている。
 これは例えば、生物は必ず動物か植物かのどちらかに分類されると考える人に見られる思考です。生物の分類のされ方を動物・植物・菌類の三択と考える人であったとしても、ミドリムシについて「少なくとも菌類でないことは確実」といった考えをもつなら、結局は選択肢を二つに絞っていることになります。
 この場合であっても、ある生物が動物か植物かを分かつ境界について、明瞭な見解を持っている人ならば、件の疑問は浮かばないでしょう。例えば、「光合成できる生物はすべて植物」、と決めてしまいさえすれば、ミドリムシは当然植物ということになり、疑問の余地はありません。しかしここが曖昧な人だからこそ、ミドリムシをどちらに入れて良いのか決めきれないのです。

② どちらでもありそうだと思っている。
 この事例が最も多いのではないかと予想しているのですが、これはミドリムシに対して動物らしさと植物らしさの両方を感じ取る思考です。ただし、「動物でもあり植物でもある」と考える人なら、疑問を持たないでしょうから、件の疑問を持つ人には、この発想はありません。
 相反する帰結がいずれも成り立ち、矛盾を抱えるような事態を、哲学では「アポリア」と言うらしいです。この思考は、アポリアのようなタイプですね。

③ どちらでもなさそうだと思っている
 これはミドリムシに対して動物らしくなさと植物らしくなさの両方を感じ取る思考です。ただし、「動物でもなく植物でもない」と考える人なら、疑問を持たないでしょうから、件の疑問を持つ人には、この発想はありません。
 二者択一でどちらの選択肢を選んでも不都合な帰結が導かれる状態は、ジレンマと呼ばれたりしますね。この思考は、ジレンマタイプです。

 僕は件の疑問を持つ人は、”よくいる人”であると考えています。つまり、①~③のような思考をもつ人が多いと考えているということです。なぜこのような考え方の人が多くなるのでしょうか?
 例えば人間という生物の特性上、肉眼で捉えられる多細胞生物を中心に生物の概念が形成されるために、ミドリムシのような単細胞生物の分類に困ってしまう、というのはありそうです。ほかにも、文化や地域の特徴、研究の歴史、理科教育のありかたなど、多くの背景要素が関わっていそうで、ここも興味があります。

この疑問をもつ人の目的は?

 大前提として、疑問を持つ人は、疑問の答えを求めているはずです。その目的とは?

疑問者の目的の具体化

 まず、実用上の目的を考えることができます。法律のような、何か厳格なルールを決める都合で、ミドリムシを動物か植物かに分類しなければならないときが、これに当たります。「この国からの動物の輸出は全面禁止です」とか、「ある地域の植物をすべて調査し記録したリストを作成する」とか。こういった場合、個別の事案にはまた別途目的があるはずで、例えば「国の生物資源の流出を防ぐため」「伝染病の国外への漏洩を防ぐため」「生態系の調査や保全のため」等々がありそうです。ミドリムシを動物とするか植物とするかは、その目的に照らして都合よく決めてしまっても良いでしょう。

 一方、素朴でありながら哲学的な目的として、「本当のところどうなんだ?」という、人間の都合に関わりない世界の真実に対する興味・関心という疑問の持ち方があるような気がします。これは、科学的な探究での解明が期待される領域だと思うのですが、まだ僕に科学哲学関連の知識があまりなく、今後詳しく考えていきたいところです。たしか科学的探究も、結局は実用上の目的に合わせた活動の一種であると考える向きもあったと思います(プラグマティズム?)。
 仮に科学的探究が世界の真実を教えてくれるとして、ではどんな学問分野が「ミドリムシは動物・植物どちらなのか?」という問いに答えてくれるのでしょうか? すぐに思い浮かぶのは分類学(生物学)ですが、僕には、分類学はここで言う科学的探究では無いのではないか?という直感があります。まだ整理できていなくて、はっきりしたことが言えないのですが、分類することは、自然の何かを発見することでは無いような…? 今後詳しく考えていきます。

この疑問に答える僕の目的は?

 先にゴール設定したとおり、「ミドリムシは動物・植物どちらか?」という疑問に正しく答える動画を出すことが、僕の目的です。ここでは、更にその目的まで考えてみます。

回答者の目的の具体化

 僕がこういった動画を出すのは、やはり「ミドリムシに関心を持ってもらいたい」というのがありますね。ここにさらなる理由・目的づけは不要と考えます。僕にとっては、世の中の人の考える時間の内、ミドリムシについて考える時間が増えていくことが、”なんとなく良い感じ”です。
 また、動画を出すからには、視聴者に面白いと思ってほしいですね。VTuberたるものエンターテイナー、面白さは常に意識していたいものです。
 そして重複になりますが、なるべく正しい情報をお伝えしたいという気持ちもあります。もとより探究のきっかけが、標準的な回答では正しくないかもしれない、という気付きにあるわけですから、自分なりに納得のいく正しさを追究していきます。

この疑問への答え方はどんなものがあり得るか?

 疑問への答え方は、二段階に分けて捉えることができると予想しています。

  1. 生物全体をどのように分類するか。

  2. 生物全体を分類した後、ミドリムシをどこに配置するか。

 ここでは1番について、どのような答え方があり得るかを決める要素を、思いつくままに10個挙げてみます。これらの組み合わせなどで、だいたいのパターンを網羅できるのではないでしょうか。

答え方を決める要素

① 動物と植物の独立した集合
動物、植物それぞれの分類を認め、中間的な分類(動物と植物のあいだ)や複合的な分類(動物でも植物でもある)を認めない分類の仕方です。

② 複合的な分類を認める
動物でもあり植物でもある分類を認める分類の仕方です。

③ 一方が他方を包含する
例えば植物を、動物の中の特殊な一集団、と見る分類の仕方です。

④ 「として見る」分類
ある生物について、動物として見ても良いし、植物として見ても良いと考える分類です。どちらとして見ても良いのですが、どちらでもあることは無いとします。例えば、動物学で扱うときは動物として、植物学で扱うときは植物として良いと考える場合です。

⑤ あいまいな境界
分類の境界をあいまいにしておく考え方です。

⑥ 接していて距離に意味がある
動物・植物の分類に"距離"の尺度が入ったものです。動物の中に「植物に近い動物」がいたり、植物の中に「動物に近い植物」がいたりします。

⑦ 中間的な分類を認める
動物と植物の中間的な分類領域を認める考え方です。

⑧ グラデーション
各生物が、動物や植物の特徴をある比率で持っていると考える分類です。例えば、70%動物・30%植物、のように考えます。

⑨ 生物全体を動物・植物が満たす
生物は必ず動物か植物であると考えます。これは二択分類に限らず、例えば②のように、動物・植物・両方という三択分類であっても、それらで生物全体が満たされるなら、この考え方に相当します。

⑩ 生物全体を動物・植物が満たさない
動物でも植物でもない生物の存在を認める分類です。

以上の10要素は、もう少し整理できる気がします。例えば、組み合わせることができないものどうし(⑨と⑩等)などに注目して、層別が可能なように思えます。

これから調べていくことのまとめ

 以上の思索を経て、今後注力して調べていきたいことを書き出すと、次のようなものがあります。

これから調べること

 まだまだ調べたいことがたくさんありますね。調査のために集めた本の数は400冊を超えています(このほか読みたい論文もあったり…)。すべて精読していたら何年もかかってしまいそうですが、一部の記載を参照できれば済むものとか、同じような内容の本とか、少し参考になればいいや、という本も多いです。
 引き続き、学びはnote記事にまとめていきます。またどこか区切りのいいところで今回のような考えまとめ記事を作って、進捗や方向性の再確認をしていこうと思います。


 最後まで読んで頂いた方、ありがとうございます!コメントや、役立ちそうなおすすめの文献・情報の紹介、大歓迎です!YouTube、Twitterもチェック頂けると嬉しいです。それではまた~。


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