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ホカオネオネ/フラッペなどについて


チャングムの誓いおもろ〜!
もう人生で4ループくらいしてるチャングムの誓い。

⇧下書きに保存してあった謎文書(6月上旬に書いて放置されてた)一体どんなnoteを書こうとしていたのか。

最近のお気に入りと近況について書きます。

❶靴
やっと靴を買い替えた。買い替えたというか買い足した。
オールブラックの靴が良かったのだけど、値段とタイミングの関係で白と黒の靴になった。瞬足みたいでかっけぇ靴。テック系のファッションが流行っている印象ですが、手持ちの服と合わせやすいだろうか。
ホカオネオネというところの靴。ホカオネオネって名前が良い。ニュージーランドのマオリ族の言語で「Time to fly➡︎さぁ飛ぼう!」という意味らしい。名前をつけた人、センスが良〜!作った人も厚底にしてメチャ柔らかいソールをつけちゃいましょうって考えてくれて偉すぎる。感謝したい。ぜひ儲かってほしい。

ホカオネオネ。前に履いてたオールブラックのホカオネオネはカスカスになるまで履きました。福島の海でびしょびしょになったときに買い替えどきな気がして探していた。これからはどうなっても良い時に履く靴として活躍して欲しい。
古いホカオネオネを買った当初はかっこいいなぁ、と思ってる同年代の俳優さんがオールブラックの靴を履いていて、ずっと俺も黒だけの靴を買おうと思って、機能性とか履き心地を追求した末にホカオネオネの黒い靴を買ったのだった。
その俳優さんはいつも素敵な靴を履いてて、去年みたときもgroundsのサンダル?を履いててうおー負けてらんねえ〜と思った。
靴はいいものを履いた方が良いって言うよね。今回買った靴も、いい場所に連れて行ってくれる靴だといいなと思う。頼むよ〜。

❷フラッペのぬいぐるみ
初めてガチャガチャで欲しいと思ったものが一発で出た。
にっこり〜ノ・カフェのぬいぐるみというやつを回した。400円もした。

フラッペがいちばん良い

全部無個性な笑顔が張り付いててかわいい。ピンクのカップケーキといちごのドーナツはマジで要らないと思ってだからドキドキした。
フラッペはカップに相当する部分に顔がついてるのもおもろくて好き。フラッペのぬいぐるみってあんまりない気がするからすごくお気に入りです。
最近出てた劇の台詞で「ペナルティとしてミニストップでフラッペを奢りなさい」ていうのがあって、何だかすごく言葉の配置が僕的に難しくてフラッペ台詞地獄だったのでここで回収されるのか…と感慨深くもあり。思い出のフラッペです。ぬいぐるみだけど。

近頃ぬいぐるみに異常に興味があって集めたい気持ちになっている。仲間に入れたいのを見つけるとついガチャガチャとか回しちゃう。
旅先の自分用のお土産を買うとしたらほぼ必ずぬいぐるみ的なものを買っちゃう。最近はよく観光地で見かける1000円のエアーくじみたいなやつをやっちゃう。一度もおっきいぬいぐるみを当てたことないのだけど、当てたらダルそうだなとも思う。

あがいてもってなんだ

でもいちばんおっきいの当ててみたいなー。思い出になるし。海の生き物のぬいぐるみを持ってがちです。これからも集めよーっと。
小さい頃親に、ぬいぐるみと寝たら魂吸い取られるからあんまりぬいぐるみと寝ない方が良いよって脅されてたのまじで何なんだろう。あんまり家に増やしたくなかった方便なんだろうか。一緒に眠ると汚くなるからだろうか。確かに処分に困るものではあるけれども。

❸近況
観ようと思ってた劇を何本も見逃して悔しかった。自分も6月中本番があったということと、諸々の事情が重なっている。
自分がやってた劇は連日満席で、本当にびっくりしたし、ありがたかった。選んでくれてありがとう、と毎日感謝していました。本当にありがとうございました。
劇って大体その時、1週間やそこらしかやってないから、逃すとほんと悔しい。
今月も気になる劇があるけれど、全然行く気にもなれなければ観て愉しめる気もしないので、そういう時は別のことをするに限る。セルフケア。

最近僕がとってもお世話になっている方が演技の授業をやっているのを観に行かせていただいて、ワ…!ってなりました。
面白かった〜!!生徒の皆さんが意欲的に学んでいて、この授業好きなんだろうなーとか、上手くなりたいって思っている感じがしてすごく良かった!!
ハッピーな稽古場だったし、ものすごく勉強になった。
演技があんまりうまくいっていなくて悩んでいる人や、とても楽しんでトライしている人、その両方がすごく素敵でした。そして先生の言葉や見ていること、居方がかっこよかった〜。僕も授業受けたいと思いました。思えば自分はまともに劇をやることを学んだことがない。

関係ないけど、失敗してもいい〇〇みたいな言い回しがとても流行っている?感じがしている。失敗してもいいってのは本当にそうだと思うんだけど、その言葉の前提があってもトライする側として失敗はやっぱり恐ろしいものだと思っている。失敗してもいい、という表現に対しての疑いがある。
失敗してもいいって言ってるのは誰なんだ。失敗とジャッジする側がその場に存在してるということな気がしている、みたいなことだろうか…。

ここで話が戻る➡︎授業を見学させてもらって、思ったのだけど以前演劇のワークショップみたいなことをやったのだけど、またやりたいなぁと改めて思いました(全然ニュアンスの違う集いでしたが)。
次は8月か9月かしら。

うかうかしすぎてこの文章書いてから2週間以上経っちゃった!!
また書くネ〜

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