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男は仕事

妻は、、

「男は仕事、女は育児というのが、当たり前じゃないか。
それでも外で働くというのだったら、子供が熱を出したときは、お前が仕事を休め。俺の仕事はそんなことで休めるような仕事ではない。」

と、夫は言った。

「女が子供を預けて働く、ですって!?
そんなことは絶対に 許し ませんからね!」

と、姑は声を上げ、宮参りのあと、舅とともに怒って帰ってしまった。

特に姑の許可が必要なわけでもないので、保育所送迎のベビーシッターを雇って、私は仕事を続けた。
許可は不要だが、報告も不要なので、仕事を続けていることは言わないでおいた。
したがって、子供が熱だといっても応援を頼むことはあり得なかった。
またその頃の姑は、娘(私の義妹)の子供たちの世話が忙しかった。

私の子供はよく熱を出した。
私が休むが、ただでさえマタハラ以来のいやがらせが続いているのに、毎月何日も休むのはつらい。
母に泣きつく。
「だから近くに住みなさいと言ったのにー」とも言わずに、彼女は自分の予定をキャンセルし、用事を早朝に片づけて、1時間半の電車を乗り継いで、子供の看病に来た。
私がするべきことを母が補完しているのだから、夫が母に礼を言うことは、もちろんなかった。
「では帰ります」と膝をついて挨拶する母に、夫はテレビの前に寝転んだまま、首だけ振りむいた。姑が遊びに来た時には、いそいそと家まで車で送る人なのに、だ。

夫は娘を、理解する前に叱ろうとするので、雰囲気はよくなかった。
でも私は、あいだに入って取り持とうとは思わなかった。

やがて姑が夫婦喧嘩の末、家を飛び出してきた。
他に行くところがない、家族なんだから助けてほしい、という主旨だった。
私は本当に理不尽だと思ったが、避けようもないことなので、隣に宅地を買って家を建て、姑をそこに住まわせた。
いつか舅が来たときには、ここを居間にするだろうとイメージして設計したが、結局そこには、のちに仏壇が置かれただけだった。

・・こう書くと、読む人は、なんて酷い人たちなんだと思うだろう。

いやいや、誰が酷いのかはともかく、「私」は大筋では何も譲っていない。もともと思い描いていたのとはかけ離れた家庭生活を、付き合わされてきた「夫」はどうだろう。

夫は、、

「女が仕事を持つと家事がおろそかになって、男の仕事にしわ寄せがくるじゃないか」

と主張したために、妻はいっさいの家事家政を担当したので、その結果、例えば自分は料理ができないままだ。
掃除機や洗濯の取入れはできるのだが、どうも家のことは妻に主導権を握られていて、肩身が狭い。

家計は経理も財務も、妻の手にある。
同僚と比べてもとても高額の小遣いを持たされているので、特に文句はない。
が、妻の年収が自分の倍近くになっていたからか、なんとなく落ち着かない。

両親の不仲では、自分は母親の味方だったが、妻を見ていると、死んだ父親の側の言い分もわかる気がしてくる。

自分はいつまでも過去を否定したり、根に持ったりするタイプではない。今が幸せならそれを疑わないし、基本的に現状肯定型だ。

娘が結婚するようになると、父娘の関係は格段によくなった。
娘は、家庭を持ち、家族を愛すると、心酔してきた母親の問題点にも気づく。
自分は、各々が個人主義的に振る舞う家族を、なんとか繋ぎとめようと腐心しきたが、今はそれを夫婦で担っている実感があって、幸せだ。

自分は今は、女性である娘が仕事においても大いに活躍できるように、どんな子育て支援もしたいと思っている。
娘も、そんな自分を頼りに思っているようで、とてもうれしい。

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