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初代国立劇場さよなら公演、安定の菊之助さん、米吉さんは姫役を好演

『妹背山婦女庭訓』第2部は見ごたえあり 

 しとしとと雨が降る土曜のお昼前に、久しぶりに国立劇場の歌舞伎を観に行きました。
2019年5月には同じ国立劇場小劇場で文楽の「通し狂言 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」を観たのですが、このときは朝から晩までぶっ通しでした。一気に観たので非常に疲れたという印象が残っています(物語の発端となる「大内の段」が98年ぶりの上演にもかかわらず)。

 個人的には、この作品にかんしては物語だけを追うと男が二人の女性に二股かけ、それなのに己は自身の目的のためにいともたやすく女性を見捨てるという辟易してしまうものなので(舞台紹介などでは切ない三角関係などと表現していますけれど令和の時代からすれば所詮、江戸時代に書かれたものは男の傲慢さによる描き方としか思えないものです)、そこは目をつぶって舞台に目を向けるのでした。
 文楽ですとそれほどまで酷く感じさせないのは歌舞伎の場合、生身の人間が演じることによってリアルさが付加されるからなのでしょう。

劇場内に2階の壁に飾られているポスター

 演技に目を向ければ、中村米吉さんの橘姫と中村梅枝さんの求女の踊りはとても息の合った、美しい舞でした。梅枝さんが立役というのは珍しいですが、ちょっと線の細い、女にモテるが優柔不断といった感じにはピッタリです。
 尾上菊之助さんのお三輪は最初は気の強い部分が目立つ感じで、相手に別の女性の陰を見ると嫉妬に駆られます。一途とはいえ、その姿はどこか自己中心的な面ものぞかせます。だからこそ狂い果てたときの形相の怖さといったら、なかなかの迫力です。菊之助さんの表情がどんどんい恐ろしくなっていくのです。今日観たなかで鬼のような姿になったときが一番頭に刻み込まれています。
 そんなお三輪が身分違いの仲だったことを自覚し、自分の命を捧げて来世では結ばれることを願って安らかに死んでいく姿は圧巻でした。
 

菊之助さんと国立劇場

 コロナの影響で当初上演予定から延期された「通し狂言 義経千本桜」が昨年10月に催されました。
 佐藤忠信(源九郎狐(げんくろうぎつね))、いがみの権太、平知盛の三役をつとめたのは菊之助さん。
 二段目から順に、幼い安徳帝を大事に育て上げようという「愛」、権太と弥左衛門の親子の「義」、源義経に忠義を立てる狐の「忠」とそれぞれテーマを打ち立てて、開演直後には幕が上がる前に映像で簡単な説明もあり、初めて観る方も楽しめる導入部となっていました。
 Aプロ、Bプロ、Cプロとすべて観たのですが、このときの菊之助さんの熱演、そして完璧な舞台でした。とくに源九郎狐の役は、市川猿之助さんや尾上松緑さんの舞台も観ましたが今の同世代の役者さんの中では菊之助さんが一番ではないかと思います。

令和4年に国立劇場で催された「通し狂言 義経千本桜」

 今回、自分が観てきた舞台では久しぶりに菊之助さんの女形を観た気がします。
 2021年3月に国立劇場で観たのは「時今也桔梗旗揚」です。菊之助さんが演じたのは、明智光秀ならぬ武智光秀。立役として舞台を引き締めておりました。
 2022年5月の歌舞伎座での「團菊祭」では「土蜘」で蜘蛛の精を演じておられ、このときはとても素晴らしい舞台でした。
 張り詰めた空気の中、ひとつひとつに神経が行き届いていてタイミングといい、絶妙なやり取りが舞台上で繰り広げられていたのです。

 立役も女形もこなす菊之助さん。猿之助さんが同じような立ち位置でしたが今では復帰が難しい状態だけに、これからも菊之助さんはどちらの役も演じていくのでしょうか。

「妹背山婦女庭訓」について

 何度か歌舞伎座で観ているこの演目ですが、記憶をたどると2015年の「十二月大歌舞伎」で「通し狂言 妹背山婦女庭訓」を観劇。
 第1幕<杉酒屋の場>(当時、45年ぶりの上演だったそうです)
 ・杉酒屋娘お三輪      七之助
 ・烏帽子折救女実は藤原淡海 松也
 ・入鹿妹橘姫        児太郎
 ・丁稚子太郎        團子

 第2幕<道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)>
  同上

 第3幕<三笠屋御殿>
 ・杉酒屋娘お三輪      玉三郎
 ・豆腐買おむら       中車
 ・蘇我入鹿         歌六           ほか

 尾上松也さんの抜擢は当時としてはかなり凄いことだと思います。
 中村七之助さんのお三輪はとても愛らしく、第3幕になって坂東玉三郎さんに替わったのですがそのまま七之助さんで観たかったなあというのが率直な感想でした。

国立劇場ゆかりのゆるキャラたちが集合。左から、でんちゅうくん(岡山県井原市)、カブッキー(石川県小松市)、せんとくん(奈良県)【演目にちなんで登場】、くろごちゃん(国立劇場)

主催公演はどこへ行くのか

 noteには観劇の記録を残していないのですが、私が国立劇場に足を運んだのは、歌舞伎座ではなかなか通しでは観ることができない演目が上演されるからです。
 「仮名手本忠臣蔵」の連続公演や昨年の「通し狂言 義経千本桜」など部分的には観ているけれどじつは全体はどうなのだろうと気になっていたので、そうした疑問を払拭してくれたのでした。

 そんな舞台となる国立劇場ですが、1966年の開場以来、歌舞伎、文楽、舞踊、邦楽、雅楽など、多様な伝統芸能の公演を行ってきました。
 老朽化により10月末でいったん閉場。敷地内に併設されている国立演芸場(79年開場)とともに再整備されるそうです。新しい劇場ができるまでには6年以上要するという報道を目にして、少なくとも歌舞伎に関してはあまりいい形にはならない予感がいたします。 

 なぜならば国立劇場の制作事業としての歌舞伎は、新国立劇場(東京・初台)の中劇場で上演予定という話だからです。

 過去に歌舞伎以外の演劇の舞台でこの場所を訪れたことがありますが、ここは会場の構造上、花道が作れません。歌舞伎にとって必要な大規模な廻)り舞台やせり機構もないでしょう。
 東京新聞(10月15日掲載)の記事によると、国立劇場の担当者は「花道の代わりに客席の間を通るなど、いろいろ方法はある。不利な条件を逆手にとって、これまでとは違う見せ方も考えられるため、マイナスばかりではない」ということだそうですが、いやいや、その時点でそれは〝歌舞伎〟ではなく、違うものだということを担当者には自覚してもらいたいです。
 単純に考えれば、上演できる歌舞伎の演目が自然と絞られてしまうわけですね。
 「客席の間を通る」といった演出はコクーン歌舞伎などで取り入れられています。ですから、違う名前で改めて告知する必要があると思います。悪いというわけではありません。ただ、本来の歌舞伎をきちんと見せるならばその差異を明確にする必要があると思うのです。

 新聞によると、年にふた月行っている歌舞伎鑑賞教室は維持するそうですがこれまでのような形は維持できそうにありません。
 歌舞伎の場合、松竹が大きく関与しているわけですから中途半端なことをするくらいならば国立劇場主催は初心者向けや入門編といった形で若い層を取り込むことを心がけたほうがよいかと思うのですけれど、どうなんでしょうね。


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