人生がつまらないときに実践する2つのこと でも、曖昧でいいよ
そのへんにありそうな、自己啓発本のタイトルみたいですね。
人生楽しい!って言える人生がよかった、としょうもないことを考えています。
青空の下、ビキニを着たギャルが、ビーチでジャンプした自分の姿をインスタに投稿しているのを見ると、非常にイライラします。そういうギャルに限って、もれなく#人生楽しい #出会いに感謝 などと希望に満ち溢れたハッシュタグを添えてる傾向にあります。なぜイライラするかというと、自分にはない人生の楽しみ方をしている姿が、非常に眩しいからです。要は嫉妬です。
見なきゃいい。その一言につきます。できれば、インスタなんぞ見たくはない。犬、猫、芸人さん、東海オンエアだけ見れたらいい。しかし、私たちはSNSに振り回されている。SNSの投稿が、その人の全てではないことをいい加減わかっているはずなのに、どうしても隣の芝生は一生青い。
人と比べることを知らなければ、自分の人生はもっと豊かだったはず。
私の最近の休日の過ごし方は、朝ゆっくり起き、部屋の掃除をし、昼食後YouTubeを見、ネトフリで映画を見、noteを更新する。夕飯を作り、食べ、夜は家族とテレビを見る。コーヒーを飲む。お風呂に入る。眠くなければ本を読む。寝る。
完全に、家に引きこもる。絶えずYouTube鑑賞であれば張り合いのない休日だが、映画を一本観るだけで、そこそこ充実した気になる。
しかし、インスタを覗けば、ホテルの最上階で、たくさんの風船に囲まれ、誕生日を祝ってもらう人。海までドライブし、夕日を背にシルエットの写真を撮る人。緑溢れるのどかな公園でカフェオレやらスコーンやらを並べてピクニックしている人、、、。
こんなものを見てしまうと、ああ、自分の休日は、なんて退屈なんだ。なんてつまらない人生なんだと、惨めな気持ちになる。
人生がこんなにつまらないなら、生きている意味がない、と半泣きになる人がどこにいるだろう。
私のことである。しかも、それを父に訴えた。
親不孝もいいところである。
父は、私にこう話した。
『そんなもんだよ』
日々退屈なのは誰でも一緒だ、と。
仕事と家の往復に飽き飽きしていても、たまにいいことがあるから、幸せな出来事は、より際立つのだ、と。
『私は私のままで生きることにした』という本には、人生を豊かにするヒントが多く書かれており、その中でも印象に残っている一文がある。
人生とは、結局、曖昧さに耐えるということ。
ずっと好きなことをできるわけではない。
ずっと幸せな気持ちでいられるわけではない。
しかし、退屈な日常の合間に、ちょっといいことがあれば、また退屈さをら乗り越えられる。
コンビニで買ったスイーツが美味しかった。
いい音楽に出会えた。
帰り道に見た夕焼けが綺麗だった。
髪を切って、似合うと褒められた。
怖いと思っていた人が、案外優しかった。
こういった、ささやかな出来事を大切にしたい。
他人の煌びやかには劣るだろうか。
いや、海辺ではしゃいだ写真を撮っていたギャルも、きっと、昨日は仕事で失敗したかもしれない。彼氏と喧嘩したかもしれない。
でも、ようやく海に来られてのジャンプ、だとしたら、ちょっとかわいいな、って思える。
全て空想です。
それでも人生つまらん!と嘆く日もある。
そんなときは、2つの方法でマンネリ化を防ぐ。
①自分に何かを買い与える
要は、自分へのご褒美。
欲しかった服。
3足1000円ではない靴下。
ご褒美があればモチベーションが上がる
気になっていたカフェに行ったり、映画館で映画を鑑賞するのもいい。これは、モノ消費に対し、コト消費と呼ぶ。
②自分で何かを生み出す
①はお金があればできる。
しかし、お金に底がつけばできない。
これならどうだろう。
多少の出費はあるかもしれないが、モノを買うより安い場合が多い。
絵を描く。物語を描く。俳句を詠む。
本格的に行うには、道具やら参考資料やらで初期費用はかかるが、何かを生み出すことでお金には代えられないものが生まれる。
達成感である。
何かを生み出す人になりたい。
生み出し、誰かを励ますことができたら幸せだろう。
しかし、まず、自分を幸せにしてあげたい。
幸せではない人は、人を幸せにはできないのである。
明日は休みである。
人と比べず、自分の中で有意義だった、と思える日を送りたい。
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