見出し画像

to make decision

わたしはいま24歳だけど、初めて
選挙に行ったのは22歳のときだった。
それまで政治はわたしにとって
なんだか難しくて、子どものわたし
( 二十歳を過ぎても自分のことを
子どもだと思っていたなんて... )
には遠いものだと思っていた。

今でも政治の仕組みも、
政治家たちが話すことも
難しくてちんぷんかんだ!と
思うことだらけだけど、
知らなければいけないと思うようになった。
例えば憲法第9条について
例えば原子力発電所について、
例えば種子法種苗法について、
例えば表現の自由について、
数えきれないほどいろんな問題があって、
全部について考えを巡らすことは
出来ていないけれど、そんなわたしでも
「おやおや、これはまずいんじゃないか」
と思っているわけです。


こういう素朴で美しい日本の景色が
続けばいいなあと思うだけなんだけど


わたしたちが、それから
わたしたちのこどもたちが
この先日本で幸せに暮らしていくために
必要なものが欠けてゆき、
わたしたちの暮らしを不自由にしたり
脅かしたりするものが増えてゆくような、
そんな気がして、怖くなる。

そしてこの「なんだかおかしい」と
違和感を感じる状況を作り出したのは
他でもないわたしたち自身で、
わたしたちひとりひとりが考えて
選択していかないといけないんだと
危機感をもつようになった。

そもそもわたし一人の力で
何が変わるんだと思わなくもない。
だけどそういう一個人が、
たかがわたし一人、されどそれが
確実に一つの票としてカウントされるのだと
意識しないと何も始まらないもんね。

とは言っても、何が(誰が)正しいか
決断するのはすごく難しいし、
ものすごく勇気がいる。
正直怖くもある。

だけど、何もしないということは、
知らず知らずのうちに
わたしが賛成したくない物事に
賛同してしまうことにだってなりうる。
賛成できないことには「反対だ」と
声を上げなくてはいけないし、
じゃあどうするべきか、
何を支持するのか、
わたしたちは決断する必要がある。
(だけど、だけどの連続...)



話は逸れるけど、
こういった考え方や気付きは
日本を離れる前から少しずつ
わたしの中に芽生えていたけれど、
デンマークでの学校生活のなかで、
日常的に自分の国の政治や経済のこと、
気候変動などの環境問題について考え、
日々の生活から変化を起こし取り組む
同世代( むしろ年下の )の友人達の姿に
何よりも強く影響を受けた。


パーマカルチャーの実践授業で
ガーデンベッドを作っているところ


彼らは違和感を感じるものには
躊躇うことなく「WHY」と問いかけるし、
納得できなければ「NO」といい、
「Because...」と続ける。
意見の違う相手と議論することを恐れないし、
分かり合おうとすることを諦めない。
自分が蓄えてきた経験や知識の中から
最善の策を見つけようとし、
良いと思ったことはとにかくやってみる、
失敗も笑って次はどうしようかね、
と新たなプランを練り始める。
そして何よりも、彼らはいつもご機嫌で、
何だって楽しいものにしてしまう。


気候変動に対するデモを企画して
雨の中みんなで街に繰り出した


わたしは心から彼らを尊敬していて、
彼らと過ごした五ヶ月は
わたしの人生において
ものすごく大事な出来事だったはずだ。
彼らと過ごしたことで
わたしの考え方や在り方は
明らかに変化したし、いまも、
変化し続けようとしている。
錆びついて停滞し止まりかけていた車輪が
ようやく動き出したような感じ。


ヒッチハイクで辿り着いたスウェーデン
みんなで過ごした3泊4日のキャンプ生活


この動きを止めずに進み続けることが、
わたしの課題でもある。
そして何年後、何十年後かに彼らに
会った時に胸を張っていられるように。
彼らに恥じないわたしでありたい、
というのはわたしのなかで
ひとつの指針となっている。


インターナショナル組の集合写真
楽しかったなあ、きらきらしてたなあ


話はぐるんと逸れたけど、
そんなこんなでわたしは、
わたしが暮らしてきた
そして暮らしてゆくであろう日本が、
美しく豊かで平和な国であってほしいなと
ただしみじみと思うわけです。

そのために、選挙、行きましょう。


フィンランドより、愛を込めて


#japan #finland #denmark
#travel #journey
#election #politician #political
#decision #opinion #vote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?