なぜ、“お金”を消費してまで“人”に会うのか

【なぜ、“お金”を消費してまで“人”に会うのか】

これは、自分の母親から出された難問だ。
答えがないからではない、ありすぎる、ありすぎるからだ。

自分の状況を説明すると、
昨年11月から就職活動を始動させ、やっと今年8月末に就職先が決定した。

その間、元々働いていたアルバイトは新型コロナウイルスを考慮し、4月から働けなくなってしまっていた。

それがきっかけで、就職活動を終えてからでないと、
私は、“髪を切ること”、“泊まりがけの宿泊をすること”、そして、“アルバイトをすること”はやらないと決めていた。

だから、私は祖父からいただいた大切な大切なお小遣いを切り崩しながら、主に人と遊びに行くこと、人に誕生日プレゼントをすることに費やしていた。

ある時、とうとうどうしてもお金を使いたいのに使えない日が来てしまった。

悩んで悩んで悩んで出した答えを出した結果、
特別一律給付金の10万円を母親からもらおうと決意した。

自分自身、両親からたくさんの助けはもらってきたからこそ、この10万円には手を出すまいと思っていたが、
大きく自分の将来のためにも、国民1人1人に当てられた10万円を使いたいと心から思ったからだ。

3月までの間、自分のためのお金を欲しいと打診をすると、
なんと、あっさりOKをもらえた。

ただし、もらう時に、1つ釘を刺された。

母親 「就職活動に使ってね」

話が変わってるやないかと思ったが、もらえればいいかと放置し、時が流れた。

その後、すぐに就職先が決まり、卒業研究や就職活動の費用にももちろん使ったが、人と遊ぶことや人に誕生日プレゼントをすることにもお金を費やした。

そこで、起きた出来事。

母親 「なんでそんな遠いところにいくの?」
「人と遊ぶためにお金をあげたわけじゃないんだけど?」

と言われた。

あーそうだよな。この時がきたかと思った。

私は、「人に会うために使ってるんだよ。」と返した。すると、

母親 「人のために使って、なにか得することでもあるの?」
「借金になったら、だれか助けてくれるの?」
「自分のためにしっかり貯められないの?」

ほー、極端。ほんっと極端な人。
人から少しでも学ぶこと、助けてもらったことないの?って聞きたくなっちゃう。

私は、人と会うことが必ずしも意味がないことだと思わないし、就職活動に関係しないとは思わない。
なにかの入学費で一律いくらかかりますよーだとか、この本は税込いくらですよーとか、確かに書いてあるわけじゃない。

そこにいる人と会うためにいくらかかるかわからない、そこにいる人と会った後に明確になにかお返しがあるとも限らない、

そんな 流動的で目に表せないのが、人と人との関係だ。

しかし、必ず、生きていく中で人と関わらないなんて出来ないのがこの世の中である。

人がいるから、情が生まれて縁ができる。
人からの縁がまた人の縁を生む。
その縁をくりかえし、くりかえし、くりかえすことで、世界が広がっていく。


人から人へ学ぶこと、助けられること、高ぶること、前向きになること、かなしくなること、生きる糧になることが、たくさんたくさんある。


人は失敗から成功を学ぶ。
だから、成功の反対は失敗じゃない、なにもしないことだ。
なにもしないで、近くにいる人とも人との関係を築けないことが続けば、おそらく生きぬくことは難しいだろう。

それぐらい、人間同士の流動的で目に表せない、目を離せない関係なのだ。
いい意味でも悪い意味でも自分に降り掛かってくる。

であるならば、私たちには、人間にはお金をかけない選択肢なんてあるのだろうか。

……

この世界を創っているのは人間で、
人間である以上人間のルールに従わなくて生きていかなくてはいけない。

であるならば、人間のルールには、人間にはお金をかけない選択肢なんてあるのだろうか。

いや、ない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?