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ミドマガWeekly番外編 『僕たちがエールを届けながら考えていること』 【vol.6】

順調に大きくなるクラブ。関わる方も多くなりました。
熱心に応援する人・家族ぐるみで楽しむ人・支えるスポーツを実践する人。
となりの人がどのようなことをしているのか。
身近なコミュニティがどのような取り組みをしているのか。
見えづらくなってきたのも事実です。
素晴らしい活動や、多くの方に知っていただきたい考え。
そんな モノ や コト を不定期に紹介していきます。

『 僕たちがエールを届けながら考えていること 』

このたびの台風19号により被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
「人々の郷土愛に支えられた地域発展」を vision に掲げる松本山雅F.C. 。
地域の力の力となるため、クラブ・山雅後援会でのボランティア募集などが行われています。どのような活動となっているのか・現状はどうなっているのか。様々な考えはあるのですが、少しでも多くの方に知っていただくことも大事なことだと、私たちは考えております。

さて、今回は、早い段階で被災地へ出向き炊き出し等の活動を行っている 麺州竹中 松本中町 ( @MENSHU_TAKENAKA )根本さんにお話を伺ってきました。
東北や熊本の震災に対して、最も精力的に対応されている山雅サポーターのお一人だと思います。今回、身近な地域で起きた災害対応への思いなどをお聞きしています。( 取材日:2019年11月13日)

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■ 松本山雅とのかかわり

―― サポーター界隈では有名人ではありますが、一応、自己紹介という形で。山雅とかかわりを持った最初のお話を聞かせてください。

根本さん 最初は 2007年 ですね。シーズンパスを買ったのは、2009年 からです。弟がサッカーが好きで、W杯で韓国へ行ったり、代表選を見に行ったり。一緒に観戦に行っていたんですけど。松本にクラブがあるよって誘われて。
ゴール裏に行き始めたのは 2011年 からです。最初は何で歌ってるの?、って思ってました(笑)。応援というよりサッカーを見に行っていたんです。

―― 着ぐるみを着ていましたけど。

根本さん 2011年からです。子供と遊んでました。ガンズくんがまだいなくて。Jリーグを目指すクラブがマスコットがいないのも、どんなものかと。さみしいじゃないですか。

―― マスコットに立候補したってことです?(笑)。

根本さん そうですよ(笑)。ドンキホーテで 4,000円くらいで買ってきて(笑)。

■ ボランティア活動

―― 山雅サポーターで最も災害ボランティアにかかわっている方の一人だと思うのですが、切っ掛けはなんですか?

根本さん 被災地支援は東北大震災が最初です。(2011年)ソニー仙台戦で訪れた時は、現地を見れなかったんです。何ができるわけでもなく、お金を使ってくるぐらいしかできなくて。行ってもご迷惑かなと。
その次の年、2012年の山形戦の時に現場を見ておこうと思って、いろいろと調べたんです。そうしたら、南三陸町でサッカーフラッグを使っている商店街があるということを知って、山雅のフラッグを持って行ったんです。現地の方とお話しする機会もあって、現場のことを肌で感じることができました。その翌年、2013年の山形戦に合わせて、現地の人とイベントを開催することになって。

―― ずいぶん大きなイベントでしたよね。

根本さん 山雅サポだけでなく、8クラブくらいのサポーターに協力してもらったんですけど、中心になって進めていました。350人くらい集まったと思います。
多くの方に参加してもらえればと思って、チームフラッグを届けてもらって、現地で縫い合わせて一つのフラッグにするという企画をやって。

―― 現地で縫ったんです?。

根本さん UM ダンマク班に協力してもらって。大変でしたよ。74枚 45クラブが集まって、寄せ書きは 3,000人分くらいあったと思います。絆フラッグって呼んでます。
現地の方とお話しすると、フラッグは集まったけど人が集まってこない。( 南三陸町の商店街に )どこかのサポーターという方もいなかったんですね。そこで、近所の子供たちとサッカーしたり、炊き出しをしたりして、イベントをやろうと。長野県からイベントを企画運営するって変な話なんですけど(笑)。
僕は、ULTRAS でも VAMOS でもないので、コネとかもないんですけど、サポーターのつながりで開催することができて。一個人の発信で 3,000人の寄せ書きが集まって、現地には350人が集まって。こりゃすごいなと。信毎の一面にも載りましたし(笑)。


―― 熊本の震災ボラもやられてるじゃないですか。

根本さん 東北のボラをやっていると、同じようなことをしている人たちと繋がりができてくるんですよ。東北にサッサーフラッグの町があるから遊びに来てね、っていうことをずっとやってて。そうすると、作成した絆フラッグを全国のスタジアムで掲示しようって話をもらうようになって。松本のほかには福岡・岐阜・ロアッソ・栃木でやってます。栃木はウーヴァなんですが、阿部選手を通じたご縁で。各地域のサポーターがクラブと話をしてくれて、開催することができまして。なんのコネがなくても、協力してくれる人が出てきてくれるんです。そんな中、(被災地支援をおこなっている)ちょんまげ隊長ツンさん(@tsunsan)とも仲良くなって。熊本でやるって時に、松本で何かできないかって話をもらいまして。おやきを持って行ったんです。
おやきは、旬菜花さん(@oyaki_shunsaika)からいただきました。東北でイベントやった時に松本の食材を持って行きたくて、旬菜花さんに行ったんです。知り合いでもないのに。おやきくださいって言ったら、いいよって言われて(笑)。
旬菜花さんのグループ会社さんが熊本の会社で。たまたまなんですけど。そうしたら、熊本に持っていったときに地元新聞の取材を受けて、熊本新聞っていう、こっちで言うところの信毎なんですけど。そこに旬菜花のおやきが載ったんですね。長野県のおやきが熊本でふるまわれてますって。グループ会社さん大喜びで(笑)。東北でのつながりがキーになってます。

※ 19年 熊本の活動予定です。


■ 長野での炊き出し

―― 麺州竹中さんでは、11月4日に長野市で炊き出しを行われました。この炊き出しも、つながりの中からのお話なんですか?

根本さん 最初の炊き出しは、やりたいですって twitter 書き込んだら、ツンさんから「うちでやらないか」という話が来て。3連休のどこかで長野に行くからって。じゃぁやりましょうと。
今までは、遠方で罹災直後に何かできるというものではなかったんです。今回は、日帰りで行けるところで起きた災害。僕は自営業なので、勤めている方と違って、動こうと思えば動ける立場。声をかけていただけたのならやりましょうと。

―― やってみてどうでした?

根本さん 準備は大変でしたよ。現地の状況は刻々と変わるものですから、あらゆる想定をして準備しました。前日まで、本当にできるかどうかもわからなかったですから。
水は200リットル持っていきました。実際、現地は電気・ガス・水道がなくて。調理も泥の上でしますので、足が潜っていくような中でラーメンを作るんですよ。なかなか過酷で。その中でも衛生的に作らないといけませんから。
行ってみて思ったのは、ちょっとやそっとじゃ片付かないなと。

―― 「泥が」ということ?

根本さん 泥もそうですが、生活基盤を整えるということで。この冬までに何とかという感じじゃないように思えます。東北と比べたら規模は小さいかもしれませんが、同じように 2メートル・3メートルまで、水につかったわけです。そこで生活していく厳しさっていうのは。。。やれることはやっていこうと思っています。

―― 最初の炊き出しの様子を詳しく教えてください。

根本さん その日は、200食やりました。店で忙しい時でも100食なんで、ちょー大変でしたよ(笑)。3時間くらいの炊き出しで。準備と片付け含めると7時間くらいですね。
今回は、機材含め 餃子商店 つむぎさん(@gyouza_tumugi)と協力してやりました。前日までやれるかどうかわからない感じでしたから、あらゆる想定はしました。場所もはっきりわからないし、不安はありましたよね。北信の山雅サポが協力してくれたんですが、集合場所と考えていたところが、実は使えなくなっている、とかあったり。
現地は車が止められなくて。泥を運ぶ軽トラックでいっぱい。機材なんかを置いたら、すぐ車を移動して、歩いて向かいました。公民館のようなところでやったのですが、そこに100人くらいのボランティアが来ていて、人でごった返してるんですよ。一体、どこでラーメン作るんだと。
そこの地区は、340世帯で残っているのが200世帯くらい。避難しちゃっている人もいますから。僕らが前日にやれること知ったくらいですから、ご近所さんは当日まで知らないわけです。集まってくれるのかが不安だったんですけど、事前にボランティアの方が声をかけてくれていたみたいで。ふたを開けてみたら、12時くらいで大行列ができちゃって(笑)。プレッシャー半端ない(笑)。
最初は100食でやろうって話だったのですが、前日に150食にできないかって言われて、当日は、一応、200食持って行ったんです。無事、全部、振る舞うことができました。とても喜んでいただけて良かったです。
やっぱり気をつかうのは、食中毒を発生させちゃいけないということ。環境を言い訳にできませんから。今回は、火を通して使えるよう、具を 餃子商店 つむぎさんのワンタンにしたり、店で出すラーメンとは違ったものにしています。 

―― 長野パルセイロサポーターの方と一緒にやったと聞いていますけど。

根本さん 1人参加してくれました。東京にお住いの方で。実家が長野なのかな? その方とゆっくり話をする時間も欲しかったんですけど、厳しい環境の中で作業していますし、終わったら即撤収ですから。ちょっと残念でした。本当はもっと一緒にできたらいいんでしょうけどね。

■ サッカーの力・これからの活動

根本さん 最初は 3.11 からかかわるようになって。40分で行けるところで、できることがたくさんある。炊き出しはタイミングも大事だと思うんです。災害後から、地元の経済がきちんと回るようになるまでの間。炊き出しをやると言ったら、メッセージをいくつかもらいました。僕らもやりたいんだけど、窓口がない。どういう窓口でやるんですか、って。やりたい人はいっぱいいても、なかなかできない現状もあります。そんな中で機会をもらえたのであれば。

8年やってきてサッカーの力をすごく感じているんです。それまで全く知らなかった方たちと、「あの時こうだったよね」で話ができて、全国で仲間ができて連携ができる。身をもって体験している中で、長野でこういうことが起きた時に声がかけあえられる。すぐレスポンスが来ます。ちょっと困っちゃう質問が来たりすることもありますけど(笑)。

―― 困っちゃう質問は、なんとなくわかります(笑)。
―― 2回目となる、11月20日に行う炊き出しのお話を聞かせてください。

根本さん 長野市に窓口ができて、すぐ申し込みをしました。その翌日に電話がきまして。お店の都合とか、食材の準備とか考えて、20日は平日ですけどやりましょうと。山雅サポも5名ほど協力していただける見込みもできましたので。有休をとってくれたり。ありがたいです。
平日 夜の炊き出しなんですね。昼間はお仕事や学校に行かれていますから。避難所で夕食としてふるまうことを予定しています。
今度は60食を考えています。1回やってみて人員的・スペース的にやれる環境を考えると、このくらいの規模がいいかなって。
平日の夜にやってくれる炊き出しが少ないんですって。定期的に呼ばれる可能性があるので、需要があるうちは続けたいなと思いまして、業務用のガスコンロを買いましたよ(笑)。
長野市に住んでいる方から、山雅サポが炊き出しやってたよって言ってくれていることが、僕にまで伝わってくるんですね。大変ですけど、やってよかったなと思います。

お店やっていますから、人が来てくれてなんぼ。会いに来てくれてなんぼです。皆さんに恩返しをしていくという気持ちもありますし、何のために自営をしているのかということもあります。自分の気持ちを殺してやっていくようじゃ、意味もないかなって。

―― 恩返しを超えたレベルでやってないか心配になるんですよ。奥様のご苦労がしのばれます(笑)。

根本さん 大丈夫ですよ(笑)。頑張っていきます。まだ、うちの店に20,000人来ていただけてないですから(笑)。

―― どっかのブログみたいですね(笑)。

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根本さんは、台風19号が来た3日後に現地へ行かれボランティア活動を行っています。フットワークの軽さは、なかなか、まねできるものではないように思います。

自営であるからこそできること・お店を営業していけることの恩返しだということを、しきりにおっしゃっていました。
とはいえ、いろいろ持ち出しにもなりますし、お店を休めば売上も立ちません。体を休めるべき定休日に炊き出しに行くという大変さを思うと、お話をお聞きする立場なのですが、何回も「大丈夫ですか?」と聞き返してしまいました。その都度、「大丈夫、何とかなりますよ」と明るく答える根本さん。
今回、書ききれなかったお話もあります。ぜひお店へ伺っていただき、直接お話を聞いてください。カウンター越しに気さくに答えてくれるでしょう。マスターは、コミュニケーション能力の塊みたいな方ですから、初めての方でも大丈夫。8年間継続している南三陸町の商店街とのお話は、聞く価値ありますよ。

「僕エル」では、様々な立場から、この災害を乗り越えるために活動しておられる方をご紹介していければと思っています。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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