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理由なんて、なくていい。

タイトルとは裏腹に、何ごとにも理由がほしくなりがち。

数字の仕事を10年やってきて、何か変動があったらすべて理由を分析・説明しなきゃならなかったから、そんなクセがついたように思う。

今となっては、ことあるごとに自然とナゼナゼ分析したくなるし、誰かが何か意見や解説を言ってくれるとき、整然とした理由や説明があるとすごくホッとする。

だけど、今日、ジブリ汗まみれを聞いていて、大切なポイントに気づいた。

ここでハッキリさせておきたい。

ひとつ。理由は必要。

だけど、自分が納得できていれば、矛盾してたって人に理解されなくたってかわまない。

誰かが納得するような理由とか説明とか。理路整然とした何か。

そんなもん、要らないよね?

そもそも人間なんて、感情の生き物だし、矛盾だらけなわけで。

それを全部、理論で丸くおさめるなんて、基本的に無理。けっきょくどこかで矛盾が生じる。

そして、全ての理由はただ自分が納得するためのもので、他人を説得できるとは限らない。

誰かに分からせたり、説得したりする必要なんて、そもそもないのだよ。

そうしたくなるのは、きっとこの時代のせい。

科学や技術が発達した世の中だから。

多くの事柄が、理路整然と説明できてしまう。

ともすれば誰かの何かの考えについても、そうやって説明できることが、より良いことのような気がしてくるのだよね。

けど、人の気持ちに、誰もが納得するような理由なんてない。

むしろ、なくていいのだ。と私は思う。

進み続けるテクノロジーとはまったく別の性質を人間が持つことを、私たちは忘れていることがある。

自分がそう思ったから、そうする。

なぜどか分からないけど、自分はこっちがいいと思う。

それだけで、いいんだってこと。

自分であること。自分が思うということ。

それだけが、理由だってこと。

そうゆうのが、カッコいいよね。

権藤さんみたいな人がスゴイよね、良いよねって時代が、ぐるりと回ってきている気がする。

#ただの日記  #ジブリ汗まみれ #権藤博 #鈴木敏夫 #ジブリ

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