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屋久島で「旅」をすることを知った

初めて屋久島へ行った時に感じたこと、出会った人たちや美しい風景のこと、そこから始まって繋がった数々の縁は、確実に今の私を形成する一部となっている。14年も前のことだ。今よりも無知でのんきだったし、今よりも他人と同じような幸せを信じていた。そして無職だった。何もすることがなくて、何もしなくて良くて、時間と自分自身を持て余していた。早い話が、暇だった。ふと「森が見たい」と思い立って、屋久島へ5泊6日の一人旅に出た。一人旅は初めてではなかったけれど、初めてドミトリーの宿を予約して(当時は今ほどゲストハウスが多くはなかった)、たいした計画も立てずに、飛行機と高速船を乗り継ぎ、南の島へ足を踏み入れた。

到着の翌日、宿で借りたクロスバイクで島を一周した。屋久島の外周は約100km、こちらはママチャリにしか乗ったことのない超絶初心者である。旅の興奮による謎の冒険者精神がいつものチキンな私を丸呑みした。日の出前に出発し、カラスの鳴き声に怯えながら、海風を頬に受け、ペダルを漕ぎ漕ぎ前へ進む。空が焼けて少しずつ明るくなっていく。途中、島の西側に西部林道という世界遺産に指定されている海岸沿いの区域がある。道は整備されているが、バスの路線も走っておらず、人家もなく、林道沿いには照葉樹林の森が広がっている。野生のヤクシカやヤクザルに簡単に出会うことができる。道一面に広がり、毛繕いをするサルの一団。行く手を阻まれること数回、強面のサルが飛びかからんとする勢いで威嚇してくる。恐怖に慄き「邪魔してごめんなさーい」と半ベソで叫びながら進む。道は小さな下りを挟みつつ、ぐんぐん高さを増していく。これでもかっ!ってくらい坂道の洗礼を受けて、上って上って上って上ったその先に、いきなり視界がひらけて海が広がった時の感動を一生忘れないと思う。寄り道しながら、島を一周するのに結局10時間45分もかかった。

道はなるべく平坦な方がいい。上り坂はできれば避けたい。私は保守的なタイプなんだと気付いてしまう。でも下り坂の真の爽快感は、苦しい上り坂をクリアした者しか味わえない。疲れたら休めばいい。お腹が空いたら縁石に蹲み込んで、おにぎりを頬張る。沢があれば、汗が結晶化してざらついた顔を洗って、手で掬って水をごくごくと飲む。寂しくなったら大声で歌う。歌ったそばから風の音にかき消されるから、負けじと更に大きな声で歌う。本当のマイペースってこういうことだったのか。本当はずっと人目を気にしてたということに気付いた。

実は、屋久島にスピリチュアルな何かを期待していた。仕事を辞めて、怠惰を謳歌しつつも、先行き不透明で自分自身のこともよくわからなくなっていた。打開できる糸口が欲しかった。自分の存在に意義を見出したかった。でも、森を歩いても、屋久杉に抱きついてみても、啓示を受けることもなく、巨木が語りかけてくることもなかった。屋久島の大自然は、私にとりわけ優しいわけでも厳しいわけでもなくて、ただそこに「在る」だけだった。それだけ。

無理に意味なんて与えなくてもいいのだと思った。ありのままを受け止めて、ただ感じるだけで。

どんなに深い森の中でも、ふと光が差し込む瞬間があって、陽の光にさらされた木々も苔も虫も、みんなきれいだなぁと思った。きれいだと思うその気持ちがあれば、大丈夫なんだ。

そんなことを気づかせてくれた屋久島に惹きつけられて、その後何度も足を運んだ。初めてのゲストハウスには、それまで出会ったこともない魅力的な人たちがたくさんいた。一期一会の出会いもあったし、今でも最高の仲間として繋がっている大切な出会いもあった。一つの宿がハブとなって、出会った人々から、世界が文字通り、広がっていった。それは暗い夜にランプの灯が胸の奥を温めるように特別で、宝物のように美しく素晴らしいことだったと思う。すごく若いというわけでもなく、何をしたいのかも分からず、何者にもなれないままの自分。なんとなくくすぶって、手詰まりのように感じていた日々の中で、様々な出会いを通して自分自身を発見するという旅の仕方を教えてもらった。

大好きな写真家、星野道夫さんの『旅をする木』にこんな一節がある。

”人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。”

星野さんを好きになったのも、屋久島で出会った友達が宿の広間で熱心に読んでいたこの本を別れ際にくれたのがきっかけだった。年を重ねたところで、結局同じようなことを思い煩ったりしているし、相変わらず無知でのんきなところもある。ただ「何者かになりたい」というよりは「自分自身であるしかないんだ」と思うようになった。世界はそれを成長と呼ぶ、かどうかは知らない。些細な事にとらわれて身動きが取れなくなっても、取り留めもないようなことに救われることがある。私は初めて屋久島に行ってその自然に触れて、自分の存在が許されたと感じた。そんな風にして救われるという経験をした。

そして、私は今14年ぶりに無職の道を再び選ぼうとしている!この変化の時に何を見て何を感じるんだろう。旅ができる日常が戻ってきたら、久しぶりにあの南の島へ行こうと思っている。

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