2000年 カンボジア アンコールワットは子どもの頃からの夢だった
タイ・カンボジア 2000年8月9日-8月16日
なんの本で読んだのか忘れたけど、密林の中の遺跡アンコールワットは、僕の中でもっとも訪れてみたいところの一つだった。
2000年8月9日 福岡空港からソウル経由でバンコクへ
朝6時53分新下関発の新幹線で博多へ。地下鉄、連絡バスを乗り継いで福岡空港国際線ターミナル8時着。10時のKEでソウル。4時間のトランジットの後バンコクへ。約5時間のフライトで19時10分バンコク着。今年で3年連続のバンコクのため、なんの問題もなしにカオサンへ。空港では、95年にドイツなどを旅行した時に買って残っていたドイツマルクのT/Cを両替。当時に比べると随分円高で、損した感じ。AirportBusは昨年まで70Bだったのに値上がりして100Bになっていた。
カオサンは昨年と同じ SIAM ORIENTAL Hotel。ベッドはダブル。A/Cがあるので楽、というかもうなくては旅行できない身体になってしまった。多分そうなっているのではないかと思ったが、インターネットは日本語OSが入ったものが何台かある。早速Hotmailでメールのやり取り。1分=1.5Bは安いと思う。
ロバート・ハリス「エグザイルス」を読む。
8月10日 シュムリアップ行きのチケットをゲット
今回はすぐにカンボジア行きのチケットが取れるならカンボジアへ、そうでなければ鉄道でラオスにでも行こうかなと思って、とりあえずバンコクへ来た。どちらの国も、国境でビザが取れることはわかっていた。まあどちらでもいいやと思いながら、朝一でカオサンのM.P.Tureへ。明日のシュムリアップ行きのチケットが取れるかどうか聞いてみると、あっけなくOK。この旅行社、オーナーは日本人で非常に楽。チケット代金(往復で約2万1千円)を払って、ホテルで延泊の手続きをして、「エグザイルス」の続き。
昼飯はいつもの屋台でいつものようにチャーハン。絵葉書を買ってビールを飲みながら書く。
どこを観光するでもなく、ビールを飲みながら絵葉書を書いたり、本を読んだり、メールをやったりして、実に楽しい時間を過ごす。しなければならないことがない、という非常に幸せな状態なのである。でもまあ、いろいろ考えることはある。
僕の旅のスタイルはそろそろ新しい酒袋に変えたほうがいいのかもしれない。カオサンのたぶん平均22歳くらいの連中と比べると、僕はもう十分オッサンなのである。目の前にある鏡を見る限り、18の時の僕と変わらない僕がそこにいると、僕自身はそう思うのだけど、世間はどうもそう思ってくれないらしい。困ったものである。旅のスタイルを変える時期かなー、なんてちょっと弱気になるのであった。
8月11日 カンボジア・シュムリアップへ
5時起床。昨晩はさてどうやって空港へ行こうかと、タクシーだったらどれくらいかかるのだろーとちょっと心配だったが、結局酔っ払って、なるようになるさーと、寝てしまった。案ずるよる産むが易し。カオサンの入口にいたタクシーに声を掛けると最初は1000Bと吹っかけてきたが、「メーターで」というと、素直にメーターで空港へ。メーターは171Bで高速代100Bとチップを加えて300B渡す。3人で乗れば、AirportBusと同じ。しかも楽。たまには、高価だろうなと最初から放棄しているタクシーなどにも乗ってみるものである。
しかし300Bというと、日本円で僅か800円程度。メーター分だけなら460円。例えばカオサンのビール1本が100B=270円、Airmailは日本まで5枚で150B=405円と比べるとタクシー代は安すぎないか?それとも日本のタクシー代が異常に高いのか。
朝のバンコクはまだ渋滞もなく、スムーズすぎて予定よりも1時間も早く空港着。まだチェックインも出来ない。飲みすぎで二日酔いのため、とりあえず寝る。
ロイヤルエアー・カンボージュは100人乗りくらいの小型機で、僅か1時間足らずで到着。しかし、1時間の距離は福岡ーバンコクの5時間を凌駕するものであった。その街は、僕の想像をはるかに超えるものだった。はじめて見る風景である。
空港でビザを取り、一歩外に出るとワッ!と取り囲まれる。カルカッタ以来の出来事である。それでも、カルカッタに比べればたいしたことないんだけど、現地の人々にいきなり取り囲まれて、ワクワクする。久々に心の底から盛り上がってきた。昨日の夜には、旅のスタイルを変えようかなーなんて思っていたのに、これこそが僕の旅だって、全く勝手なものである。囲まれながらも、市内までのバスはないのか?とか、タクシーだったらいくらかなーなんてあたりを見回したが、結局一人のモトサイの運転手につかまる。1ドルで行くというので、まあいいかと、決める。モトサイって何の事はない、バイクの2人乗りである。
その男に安いホテルを紹介してもらい、チェック・インしたのが11時。シャワーを浴びて、NHKの衛星放送を見る。エアコン付のホテルだと、安ホテルといっても衛星放送までついているのだ。そして、決して安くもない。ドミトリーなら5ドル程度であるのだが、さすがにもうエアコンもないドミに泊る元気はないのであった。堕落したかなー、やっぱり。
もう一度シャワーを浴びて昼食を取るために街を歩く。平べったい街である。高い建物が全くないのだ。旅をしていてはじめて見る風景である。国際空港のある街だから、それなりの都会を想像していたのだが、街の大きさなら、大牟田市の僕の田舎の集落くらいではないか、と思わせるくらい小さい。雰囲気はまるで違うけど。
久しぶりに写真を撮りたくなった。旅を始めた頃はたくさんの写真を撮っていたのだが、段々どうでもよくなり、昨年なんか5日のバンコク滞在でフィルム1本も撮らなかった。
オールドマーケットでカンボジアの普通の料理。なんというのかわからない。指差しで、これを食べたいといっただけ。歩くのは苦にならないが、とにかく暑い。実にいい汗をかく。ぶらぶらと街外れのロイヤルエアー・カンボージュのオフィスまで歩く。迷いようがない一本道。赤土の土煙が舞っている。リコンファームを済ませて部屋へ戻る。はじめての街は歩くに限る。
夕方、夕食を取りにまた散歩。シュムリアップ川沿いの屋台で食べる。美味しい。
この街へ来たのは正解のような気がする。
バンコクで感じた孤独を感じずに、これまでと同じ旅のスタイルを楽しんでいる自分を発見した。昨日の否定的な精神から立ち直ったかもしれない。 1泊30ドルのホテルは、僕にとっては非常に高いわけだが、ロケーションは抜群だし、部屋も悪くない。まあいい選択だったといえよう。
最初の旅を引きずっているのだろうか、どうもお金を使わないということに異常にこだわっているように思う。当時と違って、今はお金を持っていないわけでもなく、お金をかけてでも見なければならないものもあるだろう。うーむである。
今日一日酒を飲まず。休肝日である、って二日酔いで飲みたくなかっただけ。
8月12日 ついにアンコールワットへ
朝起きてロビーへ行くと、昨日空港から乗ってきたモトサイの男がいる。昨晩電話してきたのは彼だったのだ。一度くらいついた獲物は離さないということなのか。たいしたものである。多分昨晩の電話では、1日8US$でガイドをするといっていたと思う。何しろ英語だし、電話だし、多分そうじゃないかなー、くらいしかわからない。そのしつこさに素直に従うことにする。
とりあえず、アンコール遺跡へ。入口で3日間有効のパスポート40US$を作る。保存と修復に使われるのだから外国人からは高い金を取っても許す。そのかわりちゃんと保存、修復してもらいたいものである。
最初はアンコール・トムへ。バイヨンや象のテラスやら、いろんな遺跡を見物。とにかく暑い。日本では暑さの中で街を歩くことはないので比較できないが、多分同じくらい暑いと思う。水を2リットル飲んでも、1度もトイレに行く必要がなかった。そのくらい汗をかいた。すごい量である。ただ、気分は悪くない。ジーパンを履いていったのは誤りだった、と思った。
ついにアンコール・ワット。子どもの頃、まだカンボジアがどこにあるのかも知らなかった頃から、密林の中の遺跡として、いつか行ってみたいところNo1だった。海外旅行し始めた頃はカンボジアはまだ内戦のさなかで、アンコールへ行くなんて考えもしなかった。内戦が終わってからでも、カンボジアからの情報は、PKOで自衛隊が行っただとか、選挙のボランティアで行っていた日本人が殺されただとか、全国にまだ地雷が無数に埋まっているとか・・そんなものだったのだ。
そしてそのアンコール・ワットについに立ったのだ。いやー、万感胸に迫る、というのはこういうことか。
何時間過ごしただろう。遺跡の高いところへ、とにかく上へ上へ登って、一番高いところで風に吹かれながらジャングルを眺める。風に吹かれながら、本を読む。まどろむ。
東南アジアを旅してきたという日系ブラジル2世と話。奴はワットの中でキメていた。誘われたが、残念ながらもうそれはしない。
宮崎からきているという人は、修復のための調査をしていた。NGOだという。川辺、草むらにはコブラがいるから気をつけたほうがいいよ、という。
アンコール遺跡にしても、ローマの神殿にしても、東京都庁にしても、権力者というのは巨大構造物を作りたいものなのだと思う。人間のどんな部分が人間をそう向かわせるのだろうか。権力を目に見える形で表現するには、それなりの衣裳をまとうとか、大きなものや居城を作るしかないということか。愚かなことである。バベルの塔の昔から、上へ上へと巨大で高い構造物を作ろうとするんだなー。それにしても、シュムリアップの街の平らなことよ。
遺跡の中の物価は、カンボジアではない。飲み物屋はミネラルウオーターが1US$だという。日本並である。これはシュムリアップの8倍である。それでも、冷たい水が美味しくて。ボラれているとをわかっていても買わずにおられないのである。ショバ代があって、その価格のせめて半分でも遺跡のために使われるのならまだ許せるのだけど、どうなっているのかはわからない。
バイヨンでは、ぶらりと歩いていると懐中電灯で井戸とこうもりを見せてくれた家族がいた。100リエルで喜んでくれた。それが相場なのだろう。100リエルと1US$の水。・・・どう考えたらいいのだろう。
日が暮れて、昨日と同じシュムリアップ川沿いの屋台。家族でやっているのだが、多分中学生くらいだろうか、まだ小さな女の子が、外国人の相手を一手に引き受けている。親はクメール語しか話せないのだろう、地元の人と思しき人としか話さない。女の子は、英語ができるし、いくつかの日本語も知っている。たくましいものである。なんて料理か知らないが、適当に頼んでビールを飲む。タイから陸路で入国してきたという36歳の男がやって来て、いっしょに飲む。国境からの乗合バスは地獄だったという。でも飛行機の数十分の一のお金でここまできているはずだ。36歳なのにやるなーって感じである。
部屋へ帰って、洗濯とシャワー。
8月13日 トンレサップ湖へ 絶対にボラれたと思う。ちょっと悔しい
全く失敗してしまった。昨日あんまり暑かったので、今日は半ズボンで出かけた。火傷である。両足の太ももが熱を持って熱い。明日は大変なことになりそうな予感である。
観光客を相手にしている奴等のしたたかさを見せ付けられた。やられたなーと思うのは、これまたインド以来である。悔しい。
朝、ロビーに下りると、また昨日の男が待っている。時間の約束はしていないので、たぶん早くからずっと待っているのだろう。今日はトンレサップ湖へ行こう、という。トンレサップ湖?僕はトンレサップ湖がシュムリアップの近くにある、ということすら知らなかった。まあ、乗りかけた船だ、というかなるようになるか、ということで、男のバイクでトンレサップ湖へ向かった。街から約1時間くらいだろうか。不思議な風景の広がるトンレサップ湖畔についた。この湖は雨季と乾季で湖面の面積が3倍くらい異なるのだ。従って雨季には湖面に浮いている家が、乾季には全くの陸上にあることになる。今は雨季、湖の中に家々が浮いている。
ツアー客がたくさんいる大きなボート乗り場から少し離れた桟橋から、小さなボートにバイクの男と一緒に乗り込む。いやな予感がしたんで、僕は「あの大きなボートに乗りたい」と多くの観光客いるほうを指差して言った。このボートはいくらなのかと聞いても、「ノープロブレム」。でたーっと思った。この言葉が出て、ノープログレムだったためしがない。でもこの言葉を聞くのはいつ以来だろう。随分この言葉からも遠ざかっていたなーと感慨にふけっていたら、あっという間に小さなボートは勝手に沖に出てしまった。まあなるようになる、だ。湖の上だし、こちらは圧倒的に不利だが、まあはじめてのトンレサップ湖をせっかくだから楽しむことにする。
ボートの持ち主だろうか、その男はいろいろ説明してくれる。しかし英語だから、半分くらいしか理解できない。親切にゆっくり、繰り返し話してくれるがわからないものはわからない。適当に聞き流しながら、ボートの上から湖とそこに生活している人々を見る。エンジンを止めて、ただ漂う。気持ちいい。ボートに寝そべって、空を見る。いい時間である。
ボートは帰り際に湖に浮かぶ土産物屋に寄った。僕が全く興味を示さないことに、ボートの男もバイクの男もいらだったようだ。なぜ買い物をしないのか、しつこく聞いてくる。大勢いた観光客がいなくなってから彼等は言った、ボートのチャーター料は40US$だと。湖の上である。他の観光客は誰もいなくなった。払わなければ、ボートを出しそうにもない。悔しいなー。
午後からは王宮周辺とアンコール・トム域外の遺跡を回る。ブパーオン、空中参道、ピミアナカス、プリア・カン、ニャック・ポアン、タ・ソムなんかを回ったが、ちょっと飽きてしまった。最後にまたしてもアンコール・ワット。ここはいい。
シュムリアップに戻って、いつものところでビールと何かわからない料理。今日は女の子が話し相手。しかし、とにかく両手両足がほてってしまって、疲れてしまった。
8月14日 東洋のモナ・リザ バンテアイ・スレイへ
「地球の歩き方」にはバンテアイ・スレイは98年には整備されて観光客にも開放されたとある。シュムリアップで会った旅行者の何人かは、バイクで行ってきたって行っていた。ならば行くところである。何しろ東洋のモナ・リザである。
いつものバイクの男に、バンテアイ・スレイに行くようにいう。どうせ別料金だろう。最初は80US$と吹っかけてくる。全く困ったものである。もう4日も付き合っているのに、まだボロウとしている。たいした奴である。したたかといおうか。40US$で行ってもらう。多分これでも相場よりだいぶ高いはずである。
シュムリアップから40キロ。途中の道は舗装されているはずもなく、所々に大きな穴のあいた、真っ赤な土の道路がジャングルや、水田の中を貫いている。よく見る、カンボジアの大地が目の前に広がる。遺跡よりもこの大地が印象に残る。
バンテアイ・スレイはツアー客でいっぱい。紅色砂岩で出来た通称「女の砦」と呼ばれるバンテアイ・スレイは確かに美しかった。東洋のモナ・リザは・・・考えてみたら僕は西洋のモナ・リザも見たことはなかったのだ。比較すべくもない。ただ、美しいクメールの女性像であった。
オールドマーケットに戻って、食事。午後からはまたまたアンコール・ワットへ。やっぱりここに尽きる。再び一番高いところに登って、ぼんやりと最後の午後を過ごす。アンコール・ワットの上に虹がかかった。旅が終わろうとしている。
いつもの屋台でビールと料理。
8月15日 バンコクへ帰る ホッとする
正直遺跡には飽きた。ゆっくり起きて、チェックアウトを14時まで延長して、郵便局へ。AirMailを出す。
モトサイでちょっと郊外のプサー・ルーマーケットへ。もう多分朝のピークが終わっていたのだろう、客は少ない。しかし、非常に日常的なものを売っている市場で、市民の生活が見えて楽しい。1時間程度散策して、モトサイでオールドマーケットへ。Tシャツを2枚購入。たまには変わったものを食べようと、カフェでピザ。これがいけなかった。一人で食べるには多すぎた。
お昼過ぎにホテルへ戻って、シャワー。15時過ぎにモトサイで空港へ。空港で不思議な光景。白人と韓国人の女性が日本語で会話している。そこに黒人の女性も加わった。不思議だ。聞いてみると、みんな日本への留学生で、ルームメイトで、夏休みを利用してアジアを旅行しているのだと。日本語がこれほどの国際性をもった瞬間をはじめて見た。
19時にバンコク着。カオサンのいつものホテルにチェックイン。Hotmailをチェック。日本と繋がってしまった。ホテルの1階のカフェで食事をしながらビール。心落ち着く時間である。カオサンの空気が心地いい。
8月16日 バンコクから福岡へ
一ノ瀬泰造「地雷を踏んだらサヨウナラ」(講談社文庫)を読む。アンコール観光を終えてから読もうと思って持っていっていたものだ。カンボジア内戦時、アンコール・ワットを撮ろうとして撮れずに、若くして亡くなった戦場カメラマンの書簡集。なぜか、昨年由布院に行った時に写真展をやっていて、この本を買っていた。シュムリアップから戻ってきてから読んで正解。今回観光した遺跡名もたくさん出てくるし、具体的な絵が行間から浮かんでくる。
ホテルのチャック・アウト時間を延長して、旅行社で夜の空港行きのミニバスを予約。
午後からにチャオプラー川の対岸へ行ったりして、散策。適当に歩いたり船に乗ったり。カオサンで古本屋を物色。この古本屋の3階は日本の本ばかりで、見ているだけで楽しい。いろんな本がここまで流れてくるものだ。日本のビジネスマンも多いからだろう、ビジネス書が充実している。タイ式マッサージで疲れた身体を癒して、終わり。21時頃から空港へ向かう。
1日目のバンコクからすっかり立ち直って、いやーなかなか楽しい旅であった。短すぎるけど。
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