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読書は別に「真面目」なことではない

読書が好きだと言うと、「真面目だね」とか「偉い」と言われるのが昔から不思議だった。

そもそも私は、「真面目」という言葉にそこはかとなく漂う、「融通が利かないつまらない奴」とでも言いたげな雰囲気があまり好きではない。
「真面目だね〜」などと他人を揶揄するような人は、どれだけユーモアに溢れた「面白い」人間なのだろうと思ってしまう。

私は小説をよく読むが、登場する主人公が、常に思いやりと誠実さに溢れ、周りのみんなから好かれ、いかなる時でも「正しさ」を貫く物語などまずない。
仮にそういった人物が描かれる場合は、「一見完璧な人間が抱える苦悩や闇」的な面が掘り下げられることが多いと思う。

偉大な歴史上の人物等を主役に据えた物語もたくさんあるが、そこには、立派な功績や魅力的なカリスマ性だけが綴られているわけではない。
一人の人間としての葛藤や苦悩が、丹念に描かれていることがほとんどだ。

物語は「道徳の教科書」ではないし、「文章読解のテキスト」でもない。実生活に直結して役立つ知識のようなことが描かれていることも少ない。
それでも、私を含めたくさんの人が、物語を求めてやまない。

日本で最も読まれている小説といえば『こころ』や『人間失格』が挙げられるが、これらに登場する「先生」なり「葉蔵(自分)」は、どう考えても、読者の模範となるような「道徳的」で「人間性の高い」人物とはいえないだろう。

にも関わらず、これらの物語がたくさんの人に読み継がれているのは、これでもかと描かれる人の弱さやずるさ、闇の部分に、誰しも「身に覚え」があるからだと思う。

そして、そんな暗闇の中でもどこか美しく光る、一筋の純粋な人間のきらめき。きっと、そういった人間の複雑性に、我々は強く心惹かれるのだ。

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