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【アーカイブス#74】トマ・フェルセン*2016年2月

 前回のジュリエット・グレコに続けて、今回もフランスのミュージシャンのことを書こう。1963年1月4日パリ生まれ、今年53歳のシンガー・ソングライター、トマ・フェルセン(Thomas Fersen)だ。
 日本では2001年5月にワーナー・ミュージック・ジャパンから三枚目のアルバム『Le Jour du poisson/魚の日』(1997年作品)と四枚目の『Qu4tre/キャトル』(1999年作品)の二枚が同時発売され、その時にトマの存在が少しだけ話題になったが、その後現在までコンスタントに発表され続けている彼の8枚のアルバム(ライブ・アルバムやベスト・アルバムも含めて)はまったく紹介されずじまいだし、遡ってデビュー・アルバムとセカンド・アルバムが発売されることもなかった。
 ぼくがトマのことを知ったのは、2001年に日本で発売されたその二枚のアルバムによってで、超個性的で何とも言えない不思議な世界を作り上げているこのシンガー・ソングライターの歌に夢中になり、その後も彼の新しい作品手に入れて聞き続けているし、最初の二枚のアルバムももちろん手に入れた。

 ワーナー・ミュージック・ジャパンのウェブサイトや英語のウィキペディア・ページによると、トマはクラシック好きの両親や、ロックやポップスのファンの姉の影響で音楽に親しむようになった。そして15歳の時にジャズ・ギターを習い始め、その後パンクに目覚めて英語で歌うバンドを組み、1980年代初頭にデビューしたものの、ほとんど注目されることはなくバンドは解散(何という名前のバンドだったのだろうか?)。それから彼は放浪の旅に出たりし、やがてソロのシンガー・ソングライターとしてカフェなどでピアノを弾きながら歌うようになった。
 1991年にトマはワーナー・ミュージック・フランスと契約を交わし、1993年にデビュー・アルバムの『Le Bal des Oiseaux/鳥たちの舞踏会』が発表されると、大評判となり、翌年初めにはフランスのグラミー賞と呼ばれる"La Victoires de la Musique”で新人賞を受賞した。1995年にはセカンド・アルバムの『Les Ronds de Carotte/にんじんの輪切り』が続き、そのアルバムのリリースに合わせて150回にも及ぶコンサート・ツアーを敢行し、大成功を収めている。
 1997年にはワーナー・ミュージック・フランス傘下で新たに設立されたレーベル、ト・ウ・タール(tot Ou tard)に移って、そこからサード・アルバムの『魚の日』を発表し、現在もそのレーベルを代表するミュージシャンとして作品をリリースし続けている(tot Ou tardとは、英語ではsooner or later、「遅かれ早かれ」という意味だ)。

 トマ・フェルセンというのは芸名で、英語版ウィキペディアによると、トマ(Thomas)は、スコットランドのサッカー選手、トーマス・ボイド(Thomas Boyd)から取られ、フェルセン(Fersen)は、マリー・アントワネットの恋人だったスウェーデン人の軍人で政治家のハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵(Hans-Axel von Fersen)から取られているそうだ(『ベルサイユのばら』にフェルゼンとして登場するキャラクターのモデル)。それゆえ本人はフランス語読みのトマではなく、トーマスと呼ばれることを好むらしい。
 また英語版のウィキペディアでは、トマの歌の世界が実に簡潔に、的確に表現されている。それを全部訳してみよう。
「フェルセンは言葉遊びを楽しむ卓越した詩人で、語呂合わせや優れた押韻を巧みに用い、植物(野菜や果物)や動物(鳥やさまざまな獣)の世界からイメージをふくらませたり、それらをシンボルにして、ふつうの人々が抱く夢、失敗やあやまち、日々の暮らしやその中で湧き起こるさまざまな思いや感情を独自の物語や寓話にして伝えている」
 植物や動物にたとえてなんて、何だか現代に甦ったファーブルさんみたいではないか。
 そのことを象徴するかのように、トマ・フェルセンの初期のアルバムは、『鳥たちの舞踏会』、『にんじんの輪切り』、『魚の日』とタイトルに生き物や植物の名前が入っていたし、2013年の最新アルバムも『Thomas Fersen & The Ginger Accident』と、そのバンド名に「生姜」が入っている。
 それに彼が作る曲のタイトルも、「Bucephale/老いぼれ馬」、「Les Papillons/蝶々」、「La Blatte/ゴキブリ」、「Les Malheurs du Lion/不幸なライオン」、「La Chuve-souris/コウモリ」、「Le Moucheron/羽虫」など、動物や虫の名前が付けられたものがかなり多かったりする。
 そしてアルバム・ジャケットだが、これまた『鳥たちの舞踏会』が鳥、『にんじんの輪切り』がウサギとにんじん、『魚の日』が魚、『Quatre/4』が馬、6作目の『Piece Montee dee Grand Jours』が豚、8作目の『Le Pavillon des Fous/狂人病棟』が薔薇の花というように、生き物や植物がよく登場している。

 トマ・フェルセンの音楽だが、これが一言では説明できないというか、あらゆる要素やスタイルが見事に混ざり合っているミクスチャー・ミュージック、チャンプルー・ミュージックで、耳を傾けているとトラディショナルなシャンソンやフレンチ・ポップス、英米のロック、カントリーやフォーク、ジプシーやアラブの音楽、クラシックなどが浮かび上がってくる、実にカラフルで奥行きの深いものだ。そしてトマの歌声はちょっとだみ声というか嗄れているので、それが強い印象を与えるのか、フランスのトム・ウェイツと呼ばれることも多い。しかしぼく個人としてはトマとトム・ウェイツとの共通性はあまり感じない。
 トマの音楽がとてもユニークで面白いものになってきたのは、三枚目の『魚の日』あたりからではないかとぼくは思う。そのアルバムにはジプシー・ミュージック・バンド(ロマ音楽)のブラッチ(Bratsch)やフランスの大物アコーディオン奏者、リシャール・ガリアーノ(Richard Galliano)なども参加していて、トマの世界はワールド・ミュージックにより接近している。

 2004年に発表された7作目の『La Cigale des Grands Jours /記念すべき日々のラ・シガル』は、2003年11月20日と21日にパリのラ・シガルで行われたトマのコンサートの模様が収められたライブ・アルバムで(La Cigaleもセミという意味だ!!)、この時のトマを含めて6人編成のバンドの演奏がほんとうに素晴らしい。
 トマが楽器を弾く時は主にチャランゴやウクレレが多く、5人のバンド・メンバーはマンドリン、バンジョー、チェロ、アコーディオン、クラリネット、トロンボーン、チェンバロなど多種多様な楽器を持ち替えて演奏し、トマの歌にしても、バンドの演奏にしても、そこからはアラブやジプシーなど異国の民、放浪する民の匂いを感じ取ることができる。トマ・フェルセンは芸名だと先に書いたが、彼はパリ生まれでも、もしかするとどこか異国の血が混じっていて、本名もフランス人離れしているものなのかもしれない。
 ちなみに『La Cigale des Grands Jours /記念すべき日々のラ・シガル』は、DVDでも出ていて(残念なことにリージョン・フリーのプレイヤーでしか見ることができないが)、収録曲はCDよりも3曲多く、歌い、演奏するトマとバンドの姿を目でもしっかりと確かめることができるのが何よりも嬉しい。
 トマたちのライブは最高に楽しくて、トマはステージの上でくるくるくるくる回って変な踊りをしたりする。トマのライブに足を運んだ人はきっと彼の虜になってしまうことだろう。きっとトマのライブは面白いと定評があるのだろう、彼のライブ・アルバムは『La Cigale des Grands Jours』のほかに、2001年に3枚組の『Triplex (triple album live)』が発売されているし、今はまだ配信でしか手に入らないが、最新アルバムの『C’est du Limoges』も2013年11月にリモージュで行われた彼のコンサートの模様が収められたライブ・アルバムだ。


 世界のさまざまな音楽と共に、トマがフランスの伝統的なシャンソンからもいろんな影響を受け、多くのことを学んでいるのは当然のことで、先輩たちに対する彼のリスペクトの思いは、ジャック・ブレルのアコーディオン奏者だったジャン・コルティ(Jean Corti)のアルバム『フィオリーナ/Fiorina』の中で彼が歌っているブレルの歌「Madeleine/マドレーヌ」やボリス・ヴィアンのトリビュート・アルバム『A Boris Vian/On n’est Pas La Pour Se Faire Engueuler』の中で彼が歌っているヴィアンの歌「Barcelone/バルセロナ」を聞けばしっかりと伝わってくる。

 問題はトマ・フェルセンの歌詞の世界だ。ぼくはフランス語がちんぷんかんぷんなので、彼が何を歌っているのか、聞いただけではまったくわからない。隔靴掻痒どころか、超分厚い鉄の靴の奥に言葉がある。そこでぼくは決心した。トマの歌の世界に少しでも近づくために今年からフランス語を勉強をしようと。67歳を前にして新たな世界に挑戦するのだ。トマ・フェルセンへの愛ゆえに。
 そこで早速清岡智比古先生の『フラ語入門、わかりやすいにもホドがある!』や久松健一先生の『英語がわかればフランス語はできる!』といったテキストを手に入れてみた。果たしてどこまでわかるようになれるのか。66の手習いだ。
 これだからこそ人生は面白い。これだからこそ音楽は楽しい。
 ありがとう、トマ・フェルセン。


中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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