見出し画像

【アーカイブス#31】ブルース・コバーンの音楽が与えてくれる大きな励ましと安らぎ *2011年12月

 12月の中頃、ジャンベ叩きの永原元さんと一緒に湘南に演奏に行った。午後は鎌倉のぴよぴよ保育園で0歳児から来年小学校に入る園児まで、たくさんの子供たちの前で歌い、夜は藤沢にある音楽スタジオ、太陽ぬ荘(てぃーだぬそう)スタジオのロビーで、大人たちの前で歌った。スタジオの広いロビーに来てくださった方の数はそれほど多くはなかったが、元ちゃんのジャンベと一緒に、とても楽しく、熱くなって演奏することができた。
 太陽ぬ荘スタジオでのライブの後、一人のそれほど若くはない男性が一枚のLPレコードを持ってぼくのもとにやって来て、「サインをしてください」とおっしゃるではないか。LPレコードを受け取ってみると、それはカナダのシンガー・ソングライター・ギタリスト、ブルース・コバーン(Bruce Cockburn)の1971年のセカンド・アルバム『High Winds, White Sky』の日本盤だった。うわっ! 懐かしい。

 数年ほど遅れて当時のCBSソニーから『雪の世界』という邦題で発売されたそのアルバムは、ブルース・コバーンの日本でのデビュー・アルバムで、ぼくはその解説や対訳を担当させてもらった。本国カナダで発売されたアルバムには、20ページにも及ぶ歌詞が収められた小さな本がついていて、さまざまな雪景色の中にいるブルースのモノクロ写真の上に、ブルース自身が手書きで丁寧に歌詞を書き込んでいた。そこで日本でもそれを真似て、解説も対訳の歌詞もぼくがすべて手書きで書かせてもらうことになった。さすがに本国と同じ体裁のブックレットを付けることは難しかったようだが、あの頃の日本のレコード会社には、そのようなことができる余裕と遊びの感覚が満ち溢れていたように思う。
 自分の歌を歌うかたわら、レコードの解説や歌詞の対訳もやり始めるようになったぼくにとって、大好きなブルース・コバーンの日本盤の解説と対訳を担当させてもらえるというだけで、それはもう狂喜するできごとだったが、それらを自分の手書きで書かせてもらえるようにもなり、ほんとうに夢中になって、楽しく作業を進めることができた。もう35年以上も前のことになるが、あの時の興奮や高揚感は今も鮮やかに甦ってくる。『雪の世界』はぼくがこれまでに手がけたアルバムの解説や対訳の仕事の中で、最も印象に残るうちの一枚と言えるだろう。そんなアルバムを突然差し出され、ぼくは久しぶりに自分の手書きの解説や対訳をしばらく眺め、それから大喜びでそこにサインをした。

『雪の世界』から40年、ブルース・コバーンは順調に活動を展開し、カナダを代表するミュージシャンとして広く世界に知られる存在となっている。これまでに彼が発表したアルバムの数も、すでに30枚以上となっている。
 もちろん日本でも『雪の世界』以降、ブルースが新しいアルバムを発表するたびにほとんど時を同じくして日本盤が発売され、コンサートをするために彼が日本にやって来る機会も何度となくあった。ブルース・コバーンは日本の音楽ファンの間でもよく知られた存在だ。
 それがいつ頃からだろうか、恐らく2000年代になってからだろうが、ブルース・コバーンのアルバムが日本盤ではまったくリリースされなくなってしまった。ぼくの記憶が正しければ、ブルースの日本盤が最後に登場したのは、1999年9月にビデオアーツ・ミュージックからリリースされた『Breakfast In New Orleans Dinner In Timbuktu』ではなかっただろうか。
 その後2000年代になってから現在まで、ブルースは『Anything, Anytime, Anywhere』(2002、シングルのコンピレーション・アルバム)、『You’ve Never Seen Anything』(2003)、『Speechless』(2005、インストゥルメンタル・アルバム)、『Life Short Call Now』(2006)、『Slice O’ Life』(2009、2枚組のライブ・アルバム)、『Small Source of Comfort』(2011)と6枚のアルバムをコンスタントに発表し続けているが、そのどれもが日本盤として日の目を見ていないように思う(ところが大晦日に五十嵐正さんから指摘があって、『Anything, Anytime, Anywhere』はMSIから、『You've Never Seen Anything』は日本コロムビアから、いずれも五十嵐さんのライナー付きで発売されたということだ。まったく知らなかった。もっとアンテナを鋭くすべきでした。申しわけありません)。

 もちろん今の時代、日本盤にならなかったからといって昔のように日本では知られないままでいたり、入手が困難だったりということはまるでなく、熱心なブルースのファンたちは新しいアルバムが出るたびに輸入盤でちゃんと手に入れてしっかり耳を傾けているだろうし、アルバムに関する情報もインターネットで探せばすべてわかるようになっている。とはいえ、そういう状況では新しい聞き手がブルースの音楽に出会うチャンスは少なくなってしまうだろうし、それに歌詞や歌の背景など、とても興味深いことがたくさんある彼の作品はやはり日本語の解説や対訳付きで発売されたらいいのにと願わずにはいられない。
 それにしてもブルース・コバーンのような「大物」までもが、日本のレコード業界ではまったく顧みられなくなってしまったというのは、何とも寂しい話だ。レコード会社の担当者と、「面白いね」、「素敵だね」と大喜びしながら、ブルースの日本盤の解説や対訳を手書きで作っていた時代が、遥か遠くのまったく別の時代のように思えてしまう(実際にその通りなのだが)。

 湘南での午後と夜のライブからの帰り道、永原元さんの車で家まで送ってもらいながら、昔からのファンはよく知っていても、今の若い音楽ファンはもしかしてブルース・コバーンを知らない人が多いかもしれない、新たにブルースの素晴らしい音楽と出会う機会はあまりないかもしれないという思いにぼくは襲われた。そこで今回のグランドティーチャーはブルース・コバーンにすることにした。2011年に聞いた数多くのアルバムの中でも、ぼくの心を強く震わせた彼の最新アルバム『Small Source of Comfort』のことを書くことにしよう。

 2011年3月に発表された『Small Source of Comfort』は、今現在のブルース・コバーンの多様な音楽性をありのままに伝える重層的な内容のアルバムだ。旅や風景が歌われた曲もあるし、鋭いメッセージが込められた歌もある。唯一無比のギタリストとしての彼を追い続けている人が大喜びするインストゥルメンタルも何曲も収められている。
 ブックレットに書かれたブルースのメッセージを読むと、最初彼は2006年の前回のスタジオ録音アルバム『Life Short Call Now』がリリースされた後、自分は何か別のことをやるべきだと思い、エレクトリックでノイジー、ゴングや空気ドリルを用い、ギターも思いきりディストーションさせた、どちらかというと音楽と呼ぶよりノイズと呼ばれるような作品を作りたいと考えていたようだ。そうした「暴力的」な「騒音」の音楽を作るには、どこか人里離れた場所に行かなければならない。ところがブルースは都会の中で暮らすことが多く、都会から都会へと長距離ドライブを繰り返したりして、そうした環境に自分を送り出すことがなかなかできなかった。
「結果的に、フォークっぽいアコースティック・ギターの歌や曲の作品集になった」と、ブルースはブックレットに書いているが、ぼくとしてはまさに今回のアルバムのような音楽をこそ、ブルースにいちばん望んでいる。もちろんフォークっぽい音楽といっても、ブルースは同じことを繰り返しやっていたり、自分の世界にあぐらをかいて完結してしまっているわけでもまったくない。毎回違ったことに、何か別のことに挑戦し続けているとぼくは思う。
 とんでもないノイズ・ミュージックでなくてよかったとぼくはほっとしているが、この最新アルバムが出た後のあるインタビューを読んでみると、ブルースはとんでもないノイズのアルバムを作る意欲を今もまだ持ち続けているようだ。不安でもあり、楽しみでもある。

『Small Source of Comfort』は、ブルースの昔からのカナダでの音楽仲間、コリン・リンデンをブロデューサーに迎え、カナダのオンタリオとアメリカはテネシーのナッシュビルのスタジオで録音されていて、レコーディングにはジェニー・シェインマン(バイオリン)、ゲイリー・クレイグ(ドラムス)、ジョン・ダイモンド(ベース)のブルースの現在の主要な音楽仲間三人のほか、ティム・ラウアーがアコーディオンで、セリア・シャックレットがハーモニー・ヴォーカルで参加し、ブロデューサーのコリン・リンデンもさまざまな楽器を弾いたり、ハーモニーを聞かせたりしている(コリンもまたカナダのシンガー・ソングライターの一人なのだ)。またカナダのウィニペグのバンド、ウェイリン・ジェニーズ(Wailin’ Jennys)のメンバーだったアナベル・クボステックが、ブルースと一緒に2曲を共作し、レコーディングでも一緒に歌って演奏している。

 前述したように『Small Source of Comfort』は、さまざまなスタイル、さまざまな内容の音楽が収められた重層的なアルバムだが、その中でもぼくが強く心を惹かれたのは、以前からもそうだったが、ブルースが今の世界の中のできごとに絡めて鋭いメッセージを発している幾つかの歌だ。
 メッセージ・ソング、ブロテスト・ソングという呼び方は、とても古くさく、気持ちの悪い手垢もついてしまっているかもしれないが、ぼくは数多くいるシンガー・ソングライターの中でも、ブルース・コバーンは単なるメッセージだけに終わることなく、瑞々しく力強い音楽にのせて、世界のありようや人々の心の動きについての歌を作って歌える、稀有な「ブロテスト・シンガー」の一人だと確信している。

『Small Source of Comfort』の中に収められた「Call Me Rose」は、リチャード・ニクソンが生まれ変わってみれば、二人の子供を抱えて低所得者向けの公営団地に暮らすローズという名前のシングル・マザーになっていて、弱い者の立場、持たざる者の現実を思い知らされるというとんでもなく強烈な内容の歌だ。
 そしてアルバムの中でぼくが最も心を動かされたのは「Each One Lost」で、この歌は2009年にドバイのNATO軍の基地でブルースが遭遇したできごとがもとになっている。ブルースたちはカナダからアフガニスタンのカンダハルに駐屯しているカナダ軍の基地を訪れる途中、ドバイのNATO軍の基地で飛行機を乗り換えていて、彼らがカンダハル行きの飛行機に乗り込もうとした時、その日アフガニスタンの戦闘で戦死した二人の若いカナダ軍兵士をカナダに送り返す飛行機が到着した。そしてブルースたちは、滑走路で急遽行なわれた葬儀に参加して、ふるさとに帰る二人の兵士を見送ったのだ。その時に抱いた思いがブルースの心から離れず、帰国してから彼は「Each One Lost」を書き始めたのだが、トラディショナルをベースにしたようなあたたかく優しいメロディにのせてブルースはこんなふうに訴えかけている。
「失われた一人一人は/あらゆるみんなにとっての喪失/失われた一人一人は/きみやぼくの命そのもの」

 歌い始めてから40年以上、今もほんとうに誠実で美しく逞しい歌を作って歌い続け、充実した内容のアルバムを作り続けているカナダのブルース・コバーン。昔よく聞いていた人も、そんな人知らなかったという人も、ぜひとも今のブルース・コバーンを聞いてほしい。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

midizineは限られたリソースの中で、記事の制作を続けています。よろしければサポートいただけると幸いです。