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【アーカイブス#43】ダニエル・マーティン・ムーア *2012年12月

 この連載エッセイも今回で43回目となる。ほぼ毎月一回のペースで書いてきたので、期間で言えば3年半以上、あっという間だったように思える。
 その記念すべき一回目は、「聴かないとその日の体調がおかしくなってしまうベン・ソリーのアルバム」というタイトルで、2008年の夏に発表されたケンタッキー出身のチェロ弾きのシンガー・ソングライター、ベン・ソリー(Ben Sollee)のファースト・アルバム『Learning To Bend』のことを書いた。
 書き出しは、「古くからの友人で、2001年には二人で音楽についての対談集『友人のような音楽』という本をアスペクトから出したこともある永井宏さんが、『素晴らしい、素晴らしい、すごくいい』と前々から絶賛していたベン・ソリーのアルバム『Learning To Bend』を、ようやく手に入れて耳を傾けた。
これが素晴らしい。すごくいい。確かに永井さんがしつこいほど褒めちぎっていた理由がよくわかる。CDを手に入れてからというもの、毎日のように聴いていて、聴かないとその日の体調がおかしくなってしまう、それくらいの耽溺度になっている」というものだった。
 この素晴らしいミュージシャンをぼくに教えてくれた永井宏さんは、去年2011年4月12日に60歳を迎えることなくこの世から去ってしまった。あまりにも悲しくて残念でならず、ぼくは彼との突然のお別れがどこか信じられないままでいる。ベン・ソリーだけではなく、すごいミュージシャンを見つけると、いつもとても嬉しそうに、そしてちょっと得意げに電話をかけてきてくれた彼のことを今もしょっちゅう思い出している。

 43回目の今回はベン・ソリーが教えてくれたというか、彼のおかげで出会うことかできたシンガー・ソングライター、ダニエル・マーティン・ムーア(Daniel Martin Moore)のことを書いてみよう。
 ベン・ソリーはファースト・アルバムの『Learning To Bend』以降現在まで5枚のアルバムを発表し、ライブでも大活躍しているが、2010年に発表された二枚目のアルバムが同じくケンタッキー出身のダニエル・マーティン・ムーアとの共演盤『Dear Companion』(Sub Pop SPCD-855)だった。それでぼくはダニエル・マーティン・ムーアを知ることになった。
『Dear Companion』は、ケンタッキー、ウェスト・ヴァージニア、ヴァージニア、そしてテネシー州のアパラチャ山脈一帯で行なわれている石炭の露天掘りによって山が削られ、山頂がなくなり、木が倒され、汚泥が溢れ、その結果川の水が塞き止められたり、山火事が発生したりして、とんでもない自然破壊が行なわれ続けていることに抗議する運動に連帯して作られたアルバムで、売上げの一部がその運動団体であるアパラチャン・ヴォイセスに行くことになっている。ブックレットの文章には、「毎年この地域で用いられる爆発物の総量は広島に落とされた原子爆弾の58個分に匹敵する」と書かれている。

 もちろんアルバムの内容も自分たちの故郷であるアパラチャ地方を讃える歌や自然破壊に抗議する歌が中心で、アルバムの全11曲のうち4曲がベン・ソリーの曲、5曲がダニエル・マーティン・ムーアの曲、そして2曲が二人の共作となっている。
 アルバムのアーティスト名はベン・ソリーとダニエル・マーティン・ムーアの二人だけだが、実はプロデューサーのイム・イェームス(Yim Yames)ことマイ・モーニング・ジャケットやモンスターズ・オブ・フォークのジム・ジェームス(Jim James)もまたケンタッキーの出身で、彼はプロデュースだけでなく何人かのセッション・ミュージシャンたちと共に、ギターやバンジョー、キーボードやヴォーカルなどレコーディングにもしっかりと参加しているので、『Dear Companion』はケンタッキー出身の三人のミュージシャンが自分たちの故郷の山と自然を守るために立ち上がって作ったアルバムと言った方が正しいかもしれない。

『Dear Companion』でダニエル・マーティン・ムーアの曲や歌声、演奏に心を奪われたぼくは、すでに発表されていた彼のデビュー・アルバムを早速手に入れ、穏やかで静かな歌い方ながらも、情感豊かで説得力に溢れ、何よりも歌の大きな力を感じさせるその世界にすっかり引き込まれてしまった。
 ケンタッキー州コールド・スプリング出身のダニエル・マーティン・ムーアは、ウィキペディアによると発展途上国を援助するアメリカ政府派遣の民間団体の平和部隊(Peace Corps)にも参加していたこともあったようだが、自分でこつこつと作っていた4曲入りのデモ・テープを2007年1月にサブ・ポップ・レコードに送ったところ、レーベルの担当者に気に入られ、一年半もの歳月を経て、2008年10月にそれが発展したデビュー・アルバム『Stray Age』(Sub Pop SPCD-760)が発売されることになった。
 ダニエルのホームページのディスコグラフィーのページを見ると、『Stray Age』が発売される直前の2008年9月に60枚限定の手作りによるEP『DMM EP』を発表していて、そこには『Stray Age』の1曲目から3曲目までと『Dear Companion』の中で歌っている「Flyrock Blues」の4曲が収められている。『Stray Age』の収録曲は同じ録音のようだが、「Flyrock Blues」は自宅録音で、もしかするとこれがサブ・ポップに送ったデモ・テープの中の一曲なのかもしれない。

『Stray Age』は、ダニエル本人とベテラン・プロデューサーのジョー・チッカレリ(Joe Chiccarelli)との共同プロデュースで、2007年10月から翌08年の2月にかけてロサンジェルスのスタジオで録音されていて、レコーディングにはさまざまなミュージシャンが参加している(ぼくの大好きな女性シンガー・ソングライターのジェスカ・フープやザット・ドッグやザ・デセンバリスツのバイオリニストとして知られるペトラ・ヘイデンも!!)。
 しかしミュージシャンたちの演奏はどれもかなり控え目で、ぼくとしてはダニエルがギターの弾き語りで歌っている何曲かが特に気に入っている。ぽろぽろとギターを爪弾きながら、決して決して声を張り上げることなく、何とも朴訥な感じで歌っているのだが、その朴訥さがかぎりなく雄弁なのだ。そしてこの朴訥の雄弁さに、ダニエルを聞いた人なら誰もがきっとニック・ドレイクを思い浮かべてしまうに違いない。
 デビュー・アルバムに収められている11曲は1曲を除いてすべてがダニエルのオリジナルだが、その1曲がサンディ・デニー(Sandy Denny)の名曲「時の流れを誰が知る/Who Knows Where The Time Goes」というのも嬉しいかぎりで、もちろんダニエルのヴァージョンが聞く人の心を打たないわけがない。

 ダニエル・マーティン・ムーア、ベン・ソリー、そしてジム・ジェームスと三人のケンタッキアンで作った2010年2月の『Dear Companion』のリリースに続いて、2011年1月にはダニエルのソロ・アルバムとしては二枚目の『In The Cool Of The Day』(Sub Pop SPCD-860)がリリースされた。
 このアルバムは2009年8月にシンシナティのWVXUラジオを訪れてスタジオ・セッションをすることになった時、ダニエルがそこにあった古いスタインウェイのピアノを弾いて、自分が子供の頃、家の中で家族で歌っていた歌を思い出し、そうした歌やそれに繋がるオリジナル曲を集めてさまざまなミュージシャンたちと一緒にWVXUのスタジオや同じシンシナティにあるセイント・アンドリュース教会で録音された作品で、ウィキペディアでは“ゴスペル・アルバム”と形容されている。
 自作曲4曲のほかに、同じケンタッキアンのジーン・リッチーの「In The Cool Of The Day」やトラディショナルの「Closer Walk With Thee」や「Up Above My Head」、有名な讃美歌の「Softly& Tenderly」や「It Is Well With My Soul」、20世紀前半のゴスペル「In the Garden」、それに1920年代後半に活躍したフィドルとギターの二人組、グレイソン&ウィッター(Grayson & Whitter)の「Dark Road」など全部で11曲 が収められていて、シンガー・ソングライターとしてのダニエルだけでなく、古い曲を新しい解釈で鮮やかに甦らせる名インタプリターとしてのダニエルの魅力もたっぷりと味わえる作品になっている。

 これまでダニエルは単独で、あるいはベンやジムと一緒のケンタッキアン三人で、はたまたアイアン&ホワイト、スウェル・シーズン、マイ・モーニング・ジャケットのツアーのオープニング・アクトなどライブ活動もさかんに行なってきているが、2011年にはOl Kentuckという自らのレコード・レーベルをスタートさせ、そこからMaiden Radio、Joan Shelley、Ric Hardinski、Daniel Joseph Dorffといったミュージシャンたちのアルバムをリリースしている。
 そしてこのOl Kentuckから2012年5月に発表されたダニエルの最初のアルバムは、ジョーン・シェリーとのデュオ・アルバム『Farthest Field』(OK-005)で、ダニエルのオリジナル7曲とジョーンのオリジナル3曲をギター一本とそこにほんの少しの楽器の音が重ねられるだけの伴奏で、二人で一緒に歌っている。この作品もまた朴訥で静謐ながらも、耳を傾けていると美しい風景が自然と広がり、豊かな感情を沸き起こさせられてしまう、とても歌の力に溢れるものとなっている。
 そしてこの二人のデュエット・アルバムを何度も繰り返して聞くうちに、すでにOl Kentuckからリリースされているダニエルがプロデュースし、レコーディングにも参加しているジョーン・シェリーのソロ・アルバムの『Ginko』(OK-003)が聞きたくてたまらなくなってくるし、次なるダニエルのソロ・アルバムにも期待がふくらむばかりだ。

 懐かしきオールド・ケンタッキーから次々と登場して来る新しいミュージシャンたちとそこから届けられるふるきをたずねて新しきを知る「温故知新」の音楽。
 アメリカの音楽シーンでも中央や先端にばかり目を奪われ、何か新しいもの、次なるものは何かとたくさんの人たちが踊らされている状況があると思う。そして消費するために作り出されている軽くて安っぽい音楽を最新の流行だとありがたがられている。
 そんな中、こんなにもしなやかでたくましい動きが「片田舎」のケンタッキーから起こっている。ぼくが聞き続けたいのはまさにこうした真心からの正直な音楽だし、こうした音楽が生まれ続けるかぎり、ぼくはこれからもずっと音楽の中で生きていけると、期待と喜びとで胸を大きくふくらませることができる。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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