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【アーカイブス#87】壁ではなく橋を。ビリー・ブラッグが今すぐ届けずにはいられなかった6曲の歌。*2017年12月

2017 年 11 月初め、インターネットで予約注文していた ビリー・ブラッグの新しい CD『Bridges Not Walls(壁ではなく橋を)』が届いた。この CD はビリーのホームページではミニLP という呼び名で紹介されていて、全部で 6 曲入り、収録時間が 22 分 52 秒の短い作品だ。同時代で最高のシンガー・ソングライターの一人としてぼくが敬愛してやまないビリーの新作なら、できることならミニ・アルバムではなく、新曲が十数曲は入った収録時間も一時間ぐらいはあるフル・アルバムで聞きたいところだ。しかし今回ビリーは訳あって敢えてミニ・アルバムというかたちで発表することに決めている。
アルバムのジャケットには小さなシールが貼られていて、そこにはこんなビリーの言葉が書かれている。「いつもと同じように、これらの歌は今目の前の世界で起こっていることを何とか理解しようとする自分なりのやり方だ。そして世界ではいろんなことが起こり続けている」この言葉どおり、ミニ・アルバムに収められているのは、今まさにこの世界で起こっていることにビリーがまっすぐ向き合って作ったり歌ったりしている歌ばかりで、そうした曲が 10 曲、15 曲と溜まるのを待ってはいられなくて、とにかく早く、今すぐみんなに届けたいと彼は思って、ミニ・アルバムというかたちを選んだのだ。

ビリー・ブラッグのミニ・アルバム『Bridges Not Walls』には、ビリーが書いた次のような新曲が収められている。
 オープニング・ナンバーの「The Sleep of Reason(思考停止)」は、マドリッドのプラド美術館を訪れたビリーが、そこに展示されているゴヤの 1799 年のエッチング作品「The Sleep Of Reason Produces Monsters」を見て、それにインスピレーションを得て作った曲。220 年ほど前のゴヤの作品を見て、ビリーが思い浮かべたのは、イギリスの EU 離脱国民投票やアメリカのドナルド・トランプの大統領選挙キャンペーンなど、今の時代の中で猛威を振るう虚偽とナショナリズムに満ち溢れたモンスター的な動き、あるいはモンスター的な人物。そしてそれに打ち勝つには、理性と社会的関心を持ち続けることだと歌っている。
「King Tide And The Sunny Day Flood(巨大な満ち潮と晴れた日の大洪水)」は、世界規模で起こっている地球温暖化現象に対して警鐘を鳴らしている歌。「Saffiyah Smiles(サフィーヤの微笑み)」は、2017 年 4 月 8 日、イギリスの極右団体「イングランド防衛同盟(EDL)」がバーミンガムで集会を開いた時、その団体のリーダーに微笑みながらも堂々と対峙した若いパキスタン系の女性サフィーヤ・カーンさんのことが歌われている曲。その中でビリーは、Solidarity、連帯とは、団結とは、結束とはまさにこのことだと強く訴えている。
「Not Everything That Counts Can Be Counted(大切なことがすべて大切に扱われはしない)」では、政治家の政策や信条が経済市場の動きに左右されてしまっている現状が歌われていて、政治家が自分を選んだ選挙民たちのことを考えているのか、それとも経済市場を優先しているのかと鋭く問いかけている。もちろんこの問題はイギリスだけのことでなく、ぼくらの国もまたしかり……。
「Full English Brexit(全英 EU 離脱)」は、Brexit、すなわち国民投票によるイギリスの EU 離脱のことが歌われている。イギリスの国、イギリスの国民を真っ二つに引き裂いたこの問題に対して、ビリーはミュージシャンは何か独自のことをやれるのではないか、それは決して政治的なメッセージを投げかけることだけではないと考え、この歌を作って歌っている。
以上の 5 曲が緊急発売のミニ・アルバム『Bridges Not Walls』に収められているビリー・ブラッグの新しい曲だ。 ビリーのホーム・ページを訪ねてみると、『Bridges Not Walls』の収録曲すべてが、歌詞付きのビデオで紹介されている。ビリーによる詳しいコメントの文章も掲載されている。それらはもちろん無料で見て、聞くこと、そして読むことができる。
ということは、CD でミニ・アルバムを買わなくても、ビリーの新しい歌がすべてビデオを見ながら聞けるということだ。しかしそれでラッキーと思うのはどうなのだろう?  ビリーの活動をサポートするためにも、ぼくは一人でも多くの人たちが 1000 円ちょっとのお金を出して、この CD をぜひとも買ってくれればと強く願っている。


ビリー・ブラッグの緊急ミニ・アルバム『Briges Not Walls』は 6 曲入りと書いたが、ぼくが紹介した彼の新曲は 5 曲だけ。そう、ミニ・アルバムに収められているもう一曲はカバー曲で、アメリカのシンガー・ソングライター、アナイス・ミッチェル(Anais Mitchell…Anais の 3 文字目の a は a の上に¨がつくフランス語のウムラウト)が 2006 年に書いた「Why We Build The Wall?(わたしたちはどうして壁を築くのか?)」という曲をビリーは取り上げて歌っている。

アナイス・ミッチェルは、1981 年 3 月ヴァーモント州生まれのシンガー・ソングライター。父親のドン・ミッチェルは作家で、娘の名前は彼が敬愛する作家のアナイス・ニンから取られている。アナイスはヴァーモントで育ち、まだ子供の頃に中東やヨーロッパ、ラテン・アメリカを旅し、その後ヴァーモント州にあるミドルバリー・カレッジで学んでいる。
アナイスが歌を作ったり歌ったりし始めたのは 17 歳の頃で、2002 年、21 歳の時にたった半日でレコーディングしたデビュー・アルバムの『The Song They Sang When Rome Fell』を発表。翌 2003 年にはテキサス州の有名なカーヴィル・フォーク・フェスティバルに出演して注目を浴び、2004 年にはシカゴのウォーターバグ・レコードからセカンド・アルバム『Hymns for the Exiled』を発表した。アニ・ディフランコがそのアルバムを聞いてアナイスのことをとても気に入り、その後アナイスのアルバムはアニが主宰するライチャス・ベイブ・レコードから発売れることになった。2007 年に『The Brightness』、2008 年にレイチェル・リース(Rachel Ries)との共作『Country E.P.』、2010 年に『Hadestown』と 3 枚のアルバムをライチャス・ベイブから発表している。

現在アナイスはライチャス・ベイブからワイルダーランド・レコードに移ったようで、2012年に『Young Man in America』、2013 年にジェファスン・ハマー(Jefferson Hamer)との共作『Child Ballads』、2014 年に『Xoa』(これまでの自作曲をギターの弾き語りでセルフ・カバーしたもの)と、3 枚のアルバムをリリースしている。
アナイスはとても甘ったるい愛くるしい歌声の持ち主だが、その歌声とは裏腹に、彼女が歌う歌はとても渋くて厳しいものが多い。フォーク・ソングのスピリッツをしっかりと受け継いだ硬派のシンガー・ソングライターだと断言できる。
アナイス・ミッチェルは 2006 年にフォーク・オペラ『Hadestown(ハデスの町)』の草案をアレンジャーのマイケル・コーニーやディレクターのベン・T・マッチスティックとの共同作業で書き上げ、推敲されたフォーク・オペラは 2007 年に初演された。そして 2010 年には『Hadestown』のアルバムがライチャス・ベイブからリリースされている。

『Hadestown』は、ギリシア神話のエウリュディケ(Eurydice)とオルフェウス(Orpheus)の夫婦の物語が、時代や場所を変えて(大恐慌時代のアメリカか?)展開されている。もともとのエウリュディケとオルフェウスの物語は、竪琴の名手のオルフェウスが冥界に行った妻のエウリュディケを連れて帰ることを冥府の王ハデス(Hades)に許されたものの、地上に戻るまでは決して妻を振り返って見てはいけないという禁を破ったがために、永遠に妻を失ってしまうというものだ。
アナイスのフォーク・オペラ『Hadestown』にも、エウリュディケやオルフェウスを中心に、ハデス(Hades)、ヘルメス(Hermes)、ペルセポネ(Persephone)、運命の三女神(The Fates)などギリシア神話の人物たちが登場する。アナイスのアルバム『Hadestown』ではアナイスがエウリュディケ、ヴォン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンがオルフェウス、アニ・ディフランコがペルセポネ、グレッグ・ブラウンがハデス、ザ・ロウ・アンセムのベン・ノックス・ミラーがヘルメス、そしてペトラ、レイチェル、タニヤのヘイデン三姉妹が運命の三女神をそれぞれ演じているというか、その役の歌を歌っている。

ビリー・ブラッグがミニ・アルバム『Bridges Not Walls』でカバーした「Why We Build The Wall?」は、アナイスのフォーク・オペラ『Hadestown』の中では、壁で囲まれた地下都市の支配者で、金と権力とをほしいままにしているハデスが歌っている。自分の王国を守るために壁を築いていると王者が歌っているのだ。
ところが 10 年後の 2017 年、ビリーがカバーしたこの歌はまた別の現実的な意味を持って聞く者の心に響いてくる。「どうしてわたしたちは壁を築くのか?/わたしたちは敵を寄せつけないようにと壁を築く/自分たちが安心していられるようにと壁を築く/敵とは貧困/壁が敵を排除してくれる/だからこそわたしたちは壁を築くんだ」
イギリスの EU 離脱、メキシコとの国境に壁を築くアメリカのドナルド・トランプ大統領、アメリカに尻尾を振るだけの日本の安倍政権、排除と差別を打ち出す小池百合子東京都知事など、彼らが 2010 年代後半の今やっていることを一言で言うならば、壁を作り、分断し、差別し、排除するということだ。テレビや新聞などでは、まさに壁を作ることしか考えていないトランプ大統領や安倍首相のような、こうした愚かな権力者たちのことが毎日のように面白おかしく取り上げられている。そして世界じゅうのみんなが心を通わせ、話し合いでお互いを理解し合い、平和で思いやりに満ちた未来になることを願ったりすると、何を馬鹿なことを言ってるのか、お花畑だと一笑に付される。今の時代はそんな空気が濃厚だ。
そんな世界的な状況の中でビリーはアナイス・ミッチェルが 10 年以上も前に作ったこの歌「Why We Build The Wall?」を取り上げて歌うことで、新たな疑問や鋭いメッセージをみんなに突きつける。自分たちの利害や権力欲のことばかり考え、橋を架けることではなく、壁を作ることばかり考えている権力者どもは何としてでも駆逐しなければならないと。
 ビリー・ブラッグの「今」を歌う歌が 6 曲収められた新作ミニ・アルバ『Bridges Not Walls』、まさに「今」ぜひとも買い求めて、それらの歌にじっくり耳を傾けてみてほしい。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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