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【アーカイブス#76】シルヴィア・ペレス・クルス*2016年5月

 ぼくが今暮らしている東京都国立市のJR国立駅南口のすぐそばにある一軒家のギャラリービブリオで、2015年3月からだいたい二、三ヶ月に一度のペースで「中川フォークジャンボリー」というイベントを行っている。ライターの岡崎武志さんの企画によるトークとライブのイベントで、毎回ゲストを呼んで岡崎さんとぼくが聞き手となっていろんなお喋りをし、ゲストはほとんど歌い手なので、そのゲストに歌ってもらったり、ぼくが歌ったり、あるいは一緒に歌ったり、演奏したりする。岡崎さん企画のイベントだが、そこにギャラリービブリオのオーナーの十松弘樹さんやぼくも加わって、一緒に内容をあれこれ練ったりしている。すでに7回開催されていて、これまでゲストには、ariちゃんこと松田幸一さん、松崎ナオさん、中山ラビさん、村上律さん、浅川マキさんのギタリストだった萩原信義さんと浅川マキさんのプロデューサーだった寺本幸司さん、高田渡さんのお兄さんの高田驍さんと高田烈さん、高田渡さんのプロデューサーだった三浦光紀さんに来てもらっている。次回の第8回は2016年7月1日で、ゲストにはぼくにとっては子供の世代となるシンガー・ソングライターの小野一穂さんが歌ったり喋ったりしに来てくれる。「中川フォークジャンボリー」なんて何だか偉そうなネーミングだが、これはもちろんあの有名な「中津川フォークジャンボリー」をちょっといじったお遊びだ。

「中川フォークジャンボリー」の第7回が開催されたのは2016年4月21日のことで、その日は高田渡さんの命日の4月16日に近いこともあって、「高田渡の夜」というタイトルで、渡さんの二人のお兄さん、長兄の驍(たけし)さんと三兄の烈(いさお)さんをゲストにお迎えして、めったに聞くことができない渡さんの子供の頃の話をいっぱいしてもらった。渡さんは男ばかりの四兄弟の末っ子だ。
 その日は渡さんの1970年代のアルバム、『ごあいさつ』、『系図』、『石』、『Fishin’On Sunday 』などのプロデューサーだった、ベルウッド・レコードの三浦光紀さんにもスペシャル・ゲストで来ていただき、当時のレコーディング秘話もいっぱい話してもらった。

「中川フォークジャンボリー」は、イベントが終わった後、御座敷の同じ会場にテーブルを並べ、いろんなお酒を持ち込み、すぐ近所の西友ストアで仕入れたお惣菜やスナックをおつまみにして打ち上げをするというのが恒例で、その夜も打ち上げへとなだれ込み、ぼくは隣に座った驍さんや烈さんと、お互いにまだまた話し足らなかったことをあれこれと喋っていた。渡さんのお兄さんたちとは、2005年に渡さんが亡くなってから、追悼の集まりや「生誕会」と名付けられた五年ほど続いた年に一度の記念コンサートなどで何度もお会いしていた。二番目のお兄さんの蕃(しげる)さんだけはそうした場にあまり出てこられなかったが、ぼくは蕃さんには1970年代に渡さんと一緒にぼくらがいつも入り浸っていた吉祥寺のぐゎらん堂で何度かお会いしている。

 高田四兄弟の長兄の驍さんは、絵を描かれるし、大の音楽好き、そしてオーディオ・マニアでもあり、ぼくの知っている渡さんと同じく、とても「凝り症」で、ひとつのことに興味を持つとどこまでもどんどんのめり込んでいってしまう方だ。渡さんの1969年のアルバム『汽車が田舎を通るそのとき』のジャケットの絵は驍さんだし、ベルウッド・レコードのロゴマークの作者でもある。そして旅行も大好きで、これまで世界中いろんなところに行かれている。
 だから驍さんとお会いした時は、いつも音楽の話でとても盛り上がったりするのだが、4月の「中川フォークジャンボリー」の打ち上げの場でも、「素晴らしい歌い手がいるんですよ」と、ぼくがまったく知らなかったスペインの女性歌手のことを教えてもらった。それがシルヴィア・ペレス・クルース(Silvia Perez Cruz)だった。

 ぼくはまずはネットで検索をし、シルヴィアの歌がYouTubeにいっぱいあがっているのを知った。みんながよく知っている曲では、1950年代のメキシコのウァパンゴ(民族舞踊曲)の「Cucurrucucu Paloma/ククルクク・パロマ」やエディット・ピアフの「Hymne a L’amour/愛の讃歌」、ジャック・ブレルの「Ne Ma Quitte Pas/行かないで」、ホーギー・カーマイケルの「I Get Along Without You Very Well」 、そしてスペインの詩人ガルシア=ロルカの詩とレナード・コーエンの曲「Take This Walz」とが結びついた「Pequeno Vals Vienes」、1930年代後半のスペイン市民戦争の歌「Gallo Rojo, Gallo Negro」、ヘンリー・マンシーニの「MoonRiver」へと繋がっていくシルヴィアのオリジナル曲の「Iglesias」、 ラヴィッド・ゴールドシュミット(Ravid Goldschmidt)のハングドラムとダニー・キーン(Danny Keane)のチェロと一緒に歌われる「Loca」などなど、シルヴィアの歌の映像や音はYouTubeにほんとうにたくさんあって、見ていくと(聞いていくと)きりがなく、そのどれもが強烈で心奪われるものばかり。
これはほんとうにすごい歌い手を教えてもらったぞと、ぼくは驍さんへの感謝の思いでいっぱいになり、シルヴィアの存在をまったく知らなかった自分の寡聞も強く恥じ入り、手に入る彼女のアルバムをすぐにもせっせと買い求めて行った。
 
 これまでに発表されたシルヴィア・ロペス・クルースが関わっているアルバムは、コラボレーション・アルバムなどを含めてこの10年間で13枚ほどあったが、まずは彼女のソロ・アルバムから集めて行くことにし、これまでにぼくは5枚のアルバムを手に入れた。
 ギタリストのラウル・フェルナンデス(Raul Fernandez…ここでのクレジットはラウル・フェルナンデスだけだが、後にシルヴィアのアルバムを一緒に作るラウル・フェルナンデス・ミロのことで、彼はRefreeという別名でも活動し、アルバムを多数発表している)のディレクションによる2007年のアルバム『Immigrasons』、スペインのジャズ・シーンの重鎮ベーシスト、ハビエル・コリーナとそのピアノ・トリオ+αと一緒にキューバ歌謡創生期の巨人たちの名曲などを歌った2011年の『En La Imaginacion/エン・ラ・イマヒナシオーン』(このアルバムは輸入盤に長嶺修さんの解説が付けられてアオラ・コーポレーションから日本発売されている)、2012年の初めてのソロ・アルバムと言える『11 De Novembre』、ギタリストのラウル・フェルナンデス・ミロ(Raul Fernandez Miro)と一緒に作った2014年の二枚組アルバム『Granada(Edicion Especial)』、そして2016年の『Domus』の5枚で、最新作の『Domus』はシルヴィアが主演したエドゥアルド・コルテス(Eduard Cortes)監督の映画『Cerca De Tu Casa』の中で流れている音楽が収められているもので、その音楽はすべて彼女が作曲し、さまざまな楽器を演奏して歌っている。

 先に列挙したぼくがYouTubeで見た(聞いた)シルヴィアの曲を見てもわかるように、彼女のレパートリーはほんとうに幅広く多岐にわたっていて、奥深く、ひとつのジャンルやスタイルにはまったくこだわっていない。当然彼女はどんな生い立ちなのだろう、どうやって歌の世界に入ったのだろうかと興味は募るばかりだが、インターネットで調べてみてもスペイン語で書かれているページがほとんどで、何とか理解できる英語での情報がまだまた少なかったりする。英語版のウィキペディアを参考にして、シルヴィアの経歴を簡単に紹介してみることにしよう。
 シルヴィア・ペレス・クルースは、1983年2月15日、スペインはカタロニアのパラフルジェイ生まれ。両親共に歌手で、彼女は母親からサキソフォンやピアノを学び、それだけでなくダンスや彫刻も教わった。そしてバルセロナにあるカタロニア・カレッジ・オブ・ミュージックに進み、そこでもサキソフォンやピアノを学び、ジャズ・ヴォーカルで学位を取得している。カレッジ在学中にシルヴィアはほかの三人の女性たちとラス・ミガス(Las Migas)というフラメンコ・グループを結成し、伝統にとらわれることのない新しいタイプのフラメンコ・ミュージックを追求した。そしてシルヴィアの存在はスペインの音楽シーンの中で注目されるようになっていった。

 アオラ・コーポレーションから発売されている『エン・ラ・イマヒナシオーン』の中の長嶺修さんの解説書では、シルヴィアに関することがもっと詳しく書かれている。それによると、彼女の父親はカストル・ペレスはカタロニアに根づいたハバネラの分野において、ポルト・ボといったグループなどで録音もある著名な音楽家で、彼の誕生日の11月11日がシルヴィアの2012年のソロ・アルバムのタイトルになっている。
 またラス・ミガス結成後、2011年の『エン・ラ・イマヒナシオーン』に至るまでのシルヴィアの活動については、次のように書かれている。
「(20)10年に(ラス・ミガスで)発表したアルバム『レイナス・デル・マトゥテ』で、カタルーニャのグループらしく、フラメンコを基調としながら、ファド風のナンバーやハバネラ風味なボレロといった他の音楽をミックスしたサウンドを展開している。
 ラス・ミガス以外にも、シルビアはいくつかのユニットに名を連ね、いくつものアーティストの録音にゲストなどとして参加してきた。例えば、カタルーニャ・フォークを演じるチャルパや、ハングトラム奏者ラヴィド・ゴールドシュミットとのデュオ、ジャマではアルバムもリリースしているし、ジョアン・ディアス・トリオとの08年作『ウイ・シング・ビル・エヴァンス』でフロントを務めたり、大物キコ・ベネーノの13年作『センサシオン・テルミカ』で1曲歌声を披露したり、エリセオ・パラを伴ったイベリアン打楽器オーケストラのコエトゥスや、カタルーニャ圏におけるアル・アンダンスの音楽的残照に焦点を当てるレソンス・デ・ラル・アンダルス、ギタリストのトティ・ソレールらとのコラボレーションなどなど、フラメンコ、ジャズ、フォーク、ポップ・ロック、実験的な試みに至るまで、多ジャンルにわたるマルチな活躍ぶりなのだ」
 スペイン音楽にまったく疎いぼくには知らない人名ばかりだが、シルヴィアの歌に導かれるがまま、これからひとつずつゆっくり、じっくり辿っていきたいと思っている。

 シルヴィア・ペレス・クルースの歌の素晴らしさに関しては、「とにかくどの曲でもいいから一度聞いてみてください、そうすれば彼女がどれほどすごいのかたちどころにわかります」と言うしかないのだが、それはあまりにも無責任な書き方だし、逃げているし、かつて音楽ライターとして仕事もしていた身としては立つ瀬がなくなってしまう。
 シルヴィアはただ歌がうまい歌手というだけではなく、揺れ動く感情、湧き上がる思いをひとつの歌の中に見事なまでに注ぎ込んで歌う。まずはその豊かで、恐ろしいまでの表現力に圧倒される。解釈のすごさというか、とりわけすでにある歌、有名な歌を大胆に捉え直し、完全に自分のものにして歌っていることにも驚かされる。これはやっぱりとにかく聞いてほしいと言うしかないか。

 ぼくがこれまでに聞くことができたシルヴィアのアルバムの中でいちばん気に入っているのは、ギタリストのラウル・フェルナンデス・ミロと一緒に作った2014年の二枚組アルバム『Granada(Edicion Especial)』だ(通常のものはCD一枚で、収録曲数も6曲少ないので、絶対にスペシャル・エディションをお勧めする)。


 ジャズ・トリオと一緒にキューバ歌謡を瀟洒に歌うシルヴィアもいいが、ラウル・フェルナンデス・ミロのパンクで刺激的なギターと一緒に変化に富む歌を聞かせる『Granada』の彼女は最高だ。ぼくがまずはYouTubeで見て心を奪われた、「Hymne a L’Amour」も「I Get Along Without You Very Well」も「Gallo Rojo, Gallo Negro」も「Pequeno Vals Vienes」もすべてこのアルバムに入っている。パブロ・カザルスのチェロ演奏で有名になった「El Cant dels Ocells/鳥の歌」も歌われている。
 とりわけ素晴らしいのが、ガルシア=ロルカが1920年代の後半にニューヨークを訪れた時に書かれた詩を集めた詩集『ニューヨークの詩人』の「ニューヨークからの逃亡」の中に収められている「Pequeno Vals Vienes/短いウイーン・ワルツ」にインスパイアされてレナード・コーエンが作った「Take This Walz」を、シルヴィアがもともとのロルカの詩で歌っている「Pequeno Vals Vienes」で、これはほんとうにすごい、素晴らしいの一語に尽きる。
『Granada』のスペシャル・エディションにはオリジナル・ヴァージョンとアコースティック・ヴァージョンの二つのヴァージョンが収められているので、ぜひとも耳を傾けてほしい。それにYouTubeにアップされている「Pequeno Vals Vienes」のシルヴィアとラウルの二人の演奏もとてつもなくすごいので、ぜひ見てほしい。
 結局は、素晴らしい、すごい、とにかく聞いてほしい、とにかく見てほしい、だけの情けない文章になってしまった。ごめんなさい。

 これからもぼくはシルヴィア・ロペス・クルースの歌をいっぱい聞いていく。彼女のオリジナル曲もいったいどんなことを歌っているのか、スペイン語を勉強したり、スペイン語がよくわかる人に教えてもらったりして(こっちになる可能性が高い)、歌詞を確かめしっかり聞き込むことにする。
 それにしてもシルヴィア・ペレス・クルースはほんとうにすごい歌手だ。またしても言ってしまうけど、とにかく一度聞いてみてほしい。そしてぼくはこんな素晴らしい歌い手を教えてくださった高田驍さんへの感謝の思いでいっぱいだ。ほんとうにとんでもない人を教えてくださいましたね。まさに宝です。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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