カナダのSSW、アイザック・ヴァレンティンが連載スタート!ノバスコシアでの生活を綴った日記「ア・ガイド・トゥー・ノーウェアー」第1回
トラクターの音が聞こえ、湿った雪に覆われた道路を走る姿が見えた。海はまだ凍っておらず、入り江や湿地帯は水かさが増していた。私はトラックの荷台に積まれた箱をよじ登る。トラクターが私道の長い坂を登り、タイヤが泥に深い凸凹をつける。
白髪の男がタクシーから降りてきた。彼は強いウェールズ訛りで「ジョン」と名乗った。周辺の牧草地、そして最近までこの家の所有者でもあった。彼は離婚を機に私たちに家を売ることになったのだが、新しい隣人ということで歓迎し、私を「坊や」と呼んだ。腰から下は牛の糞にまみれている。私たちは、風の音とトラクターのアイドリング音の中で、大声で話さなければならなかった。私はモントリオールから来たばかりで、2週間の隔離が義務づけられているため、彼が私に話しかけるのは厳密には違法である。
4日後、私は村にタバコを買いに行くため、8キロほど風を切りながら自転車を走らせた。
その家は、パートナーのアリソンの母親のものだった。彼女の引っ越しは私たちと同じ時期だったので、手伝ったのだ。プリンスエドワード島で古い農家を借りる予定だったが、ケベックで3日間吹雪に見舞われ、政府は州境を封鎖した。
暖房のない地下室で、木の板と4つのゴム容器から机を作り、自分の選択を後悔しないようにした。
* * *
アリーと私はノバスコシアで、冬の間ずっと住む場所を探した。吹雪の中を何時間も運転して、半分地面に沈んだ家を見に行った。銀行からは「自営業だから」と何度も断られ、その家を一度も見たことない金持ちのオンタリオ人たちに横取りされた。その頃、このように多くのオンタリオ人がノバスコシアで家を買っていたのだが、状態がとても悪いものがほとんどで損をしたと言える。
結局、アリーの母親の家から30分離れたところに引っ越すことになった。いずれも、「middle of nowhere」(何もない場所)で、彼女のはリバー・ジョン(River John)、僕らのはピクトゥー(Pictou)という名前だ。発音は 「Pig Toe」(豚のつま先)に近い。ミクマク族の言語で爆発するガスという意味だ。町に面した巨大なパルプ工場は3年前、政府によって閉鎖されたが、いまだ政府と法廷で争っており、彼らが勝てば工場による大気汚染がまた始まりかねない。そのため、不動産価格が安く、競争も少ない。
湾の向こう側に見える赤と白の漫画のような煙突は、アバクロンビー発電所を示している。さらに内陸に入ると、スコッツバーン製材所の絶え間ない騒音が聞こえてくる。風車が点在する丘の向こうには、ステラトン坑道がある。ニューグラスゴーのウォルマートに面しており、文字通り岩と岩の間に立たされたような場所だ。
この郡は2,800平方キロメートルにもなる土地に4万人ほどが散り散りに住んでおり、1平方キロメートルあたり15人いる。ほとんどは森に隠れているが、そのうち約2,000人が私たちの隣人だ。町の4分の3が55歳以上。アリーも私も、この11月で30歳になる。
ここに住んで2年になるが、まだ同年代の人に会ったことがない。
* * *
これを読んでいるあなたは、日本人の可能性が高いかと思う。今回の連載は友人であるミディの関の助力のもと、実現した。英語版もメールマガジンとして配信されているので、なんだか、2人が同時に話しているような感じがする。
関は、ノバスコシア州の田舎に住むことについて、日本の読者のためにシ連載を書いてみないかと聞いてきた。私は、相違点よりも類似点の方が多いかもしれないと直感し、「はい」と答えた。
というのも、地図で見ると、日本とノバスコシアは形がとてもよく似ている。私たちのケープ・ブレトン島は、あなた方の北海道。東京とハリファクスは、規模は大きく異なるものの、いずれも中心都市だ。南の海岸は暖かく、眠くなる。韓国は私たちにとってのメイン州(アメリカ)だと言える。しかし、北朝鮮がどこに該当するのかは聞かないように。ニューブランズウィック出身の人たちがいるかもしれないので。
日本でピクトーに該当する場所は出雲崎ではないかと思う。いずれも島(ピクトー島/佐渡島)に面した小さな漁師町であり、林業と鉱業で成り立つ大きな町(ニューグラスゴー/新潟)の近くにある。ハイウェイを北上すると、海岸線に同様のコミュニティが点在する:アンティゴニッシュ/秋田、ポート・ホークスベリ/函館、そしてシドニー/札幌だ。
モントリオールからピクトーまでは直線で800km、福岡から出雲崎までの距離と同じだ。私たちがモントリオールを離れたのは、福岡正信の『自然農法 わら一本の革命』を読み、出雲崎出身の禅僧、良寛が「さとり」と呼んだかもしれない瞬間を体験したから。私は、自分で食べ物を作り、コンピューターの画面を見る必要のない、田舎でのシンプルな生活を思い描いていたのだ。
しかし、それは冗談だった:アリソンとの間に子供が生まれ、私は週に40時間以上コンピューターに向かい、生活を維持し続けている。
でも、裏庭があるので、この春は何か植えようと思っている。
* * *
これを書いているのは3月の終わりで、冬はもうすぐ過ぎる。しかし、あと3ヶ月は曇りと雨が続き、雪吹雪にも1、2回は見舞われるだろう。薪が足りなくなりそうだが、マイナス30度の寒波が来ることは今のところなさそうだ。
このような話題はあまり楽しいものではないかもしれないが、この地方では話題の中心は天気だ。金持ちでも貧乏人でも、年寄りでも若者でも、ここでは誰もが同じ天候に見舞われるのだ。
昨年9月にハリケーン「フィオナ」が襲来し、風景が大きく変わった。何カ月も停電した人もいた。私の友人は、家の屋根が全部吹き飛ばされたので、何人かで新しい屋根を作った。また、別の友人のフェンスを直したところ、この春の庭づくりの指南をしてくれることになった。この物語の冒頭で登場する農家のジョンは、私にチェーンソーを貸してくれたが、いつ返すのかについては聞かなかった。
天候が無差別であることを知っているからこそ、誰もが助け合うのだ。隣の家の木が倒れて、私たちの窓を突き破ったのだが、その逆もあり得た。後片付けの間、私たちはそのことについて一度も話題にしなかった。このような瞬間、私有財産という概念は消え去り、集団的所有が出現する。
ただ、それを実現するためには、大災害が必要なのが残念だ。
* * *
友人のマーグから電話があり、今夜は雪が降るというので、準備したほうがよさそうだ。これからの季節、ここでの生活を読者のみなさんに見せるのが楽しみだ。気軽に返事もください。
では、また次回!
IV
この記事が参加している募集
midizineは限られたリソースの中で、記事の制作を続けています。よろしければサポートいただけると幸いです。