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子安


 ゴールデンウィークの後半に横浜まで出向いた。行き先は子安のガンボスタジオ。此処への以前の訪問は2019年12月の年の瀬が押し迫ってきた頃で、映画『河童の女』(監督 辻野正樹)のサウンドトラック制作の為に、北山ゆう子さんのドラムス、パーカッション、コーラスを録音する作業だった。その一週間後にはMA(マルチ・オーディオ、映像と音の編集)を控え、他の仕事も抱えながらも出来上がった曲からミックスして、辻野監督に送り一つずつM数(曲数)クリアしていくという、なかなかにタイトな年末だったとの覚えがあるが、その直後の新型コロナということが無ければ、おそらく記憶もそう鮮明では無かったことであろう。映画は年明けすぐに渋谷で0号試写があり、その後ゆう子さんと妻の李早と私の三人で台湾料理店の麗郷で飲んだのがコロナ禍直前の最後の何気ない会食だったのかも知れない。その2020年1月はストラーダで初めて関西で演奏したり、Jagatara2020に参加した時でもあった。あれから2年超、か。 
 子安に電車に来るのは、随分久しぶりだった。あの駅前の一度も入ったことがない蕎麦屋も営業していた。

 さて、今回の要件は私がプロデュースを担当したスーマーの2014年リリースのファーストアルバム『ミンストレル』がガラボックスとの共同企画・制作によってアナログ化されることになり、その為のリマスタリング作業である。但し今回はプロデューサーという役割では無く、オリジナル版を作った責任者というのもあるが、ガンボスタジオ川瀬さんのマスタリングも実感したく、確認みたいなものだ。

 スーマーとの出会いはそんなに古くはない。酔っ払っていたわりにはよく覚えている。ロンサム・ストリングスが中村まりさんと初共演した後だったと思うが、その頃だ。吉祥寺MANDA-LA2に中村まり、そして対バンは福岡史朗のライヴを観に行った。その日は午後そんなに遅くない時間から吉祥寺で飲んでいた。今は無きサウンド・カフェ・ズミでワインを飲みながらドン・アイラーやチャーリー・ヘイデンの珍しい録音を聴かせていただいたりと、見下ろす井の頭公園が新鮮で長居もしたが、盃も重ねた。それでもライヴまで時間があったので蕎麦屋に寄ってまた飲んだ。しかし、その酒量でも十数年前はまだほろ酔い程度だった。この話のその後は以前の「酒場にて 吉祥寺」で書いた話なので割愛するが、要するにMANDA-LA2でも焼酎グラスを重ね、終わってからも吉祥寺駅前の屋台で飲み続けたわけだ。当然泥酔に至り、その場の皆に迷惑をかけたのだが、そのうちの一人が観客として訪れていた初対面のスーマーだった。だがスーマーのパフォーマンスに直にふれたのは、それからしばらく時が経ってしまっていたとある夜だ。国分寺のギーという数回足を運んだことのあるライヴハウスで弾き語り2組の出演だったが、お客さんも数えられるほどだった。しかし登場のその落ち着きに期待が高まった。確かボビー・チャールズのカバー「I must be in a good place now」でステージは始まったと記憶する。独特なアルペジオと音色だが、それは的確で同時に安心感とその場の空気をリラックスを携えながら集めていく。そして歌声を聴いた瞬間に頰が緩んでうなずく、酒が進む歌、酒場の声だ。もちろんこの夜も盃は重ねたが、ほどよい量で終電に乗った。それからスーマーとのデュオに至るまでは、そんなに時間はかからなかった。試しに下北沢 leteでやってみようというのが始まりで、その頃にライヴを始めた吉祥寺ハバナムーンや阿佐ヶ谷SOUL玉Tokyoではなかなかのハイペースでブッキングしていたし、横浜にもよく足を運んだ。そうこうしているうちに旅に出た。名古屋、京都、米子、隠岐、犬山と奴の愛車サンバーで駆け抜けた。
 月1~2回くらいだったが、コンスタントな活動が少し広がりだした頃、スーマーから正式なファーストアルバムを作りたいので、プロデュースをお願いしたい、との依頼があった。付き合いとしてはそう長くはないし、横浜や湘南方面には奴の古くからの仲間も多いことだけに意外だった。その場で一応返事はしたものの、少し考えてみた。おそらく仲間を暖かい和気藹々とした空気に溢れるのを避けたかったのだろう。ならば、私は自分のやり方を少し積極的にしてみようと思った。
 参加メンバー(敬称略)は横浜からは唯一スーマーのリクエストでもあり、私も大好きな椎野恭一(drums)にロンサム・ストリングス等の千ヶ崎学(bass)。このスーマー、椎野、千ヶ崎の三人がこの世に生を享けたのが同じ病院という偶然はなんだか私に力を与えてくれたような気がしたものだ。それからもちろんロンサムから、原さとし(banjo)、田村玄一(pedal steel guitar)。とても古い付き合いの栗コーダーカルテット等の川口義之(sax, harmonica)。これまた古く、田辺マモル君やあがた森魚さんのサポートの頃からだったかな、の藤原マヒト(piano, accordion, organ)。この頃から時々ライヴではご一緒したが録音では初めてだった高岡大祐(tuba)。そして少しゲスト的に中村まり(backing vocal, jaw harp)。録音終盤で目を入れてくれたのがパイレーツ・カヌーの河野沙羅(mandolin, backing vocal)。という布陣で2013年の暮れに8~9割の録音が終わった。その後少しのダビングとミックス作業を並行しながら、2014年春、録音の最後に鈴木常吉、安倍夜郎、桜井李早の賑やかしのコーラスを入れ、録音は全て終了した。
 私はエレキギターやブズーキ等も弾き、場合によってはアレンジも施した。それらはいつものことだが、悩んだのがスーマーの弾き語りの録音で4~5曲は拙宅で録ったのだが、パフォーマンスとマイキングの見定めには苦労した。当たり前だが、グズリ・レコーディング・ハウスの藤井暁さん、ガンボスタジオの川瀬真司さん、共に流石である。
 グズリでのスーマーと私のデュオの録音は映像が残っているが、これはCDのテイクと同じもので、千ヶ崎さんが偶然撮っていたものだ。後ろ姿の今は亡き藤井さんの姿も確認できる。そしてこのグズリ・レコーディング・ハウスも今は無い。

 さてマスタリング。ここで少し悩む。予算は限られているが、やはりここは第三者に頼みたい。そこで高橋健太郎さんに連絡を取ったところ、横浜に引っ越したという。しかもスーマー宅の最寄り駅と同じという偶然。私は自分の感がうまく働いた気がした。マスタリングの方向性について健太郎さんに何か言ったかどうかは覚えていないが、もしかしたらLonesome Strings and Mari Nakamura / Folklore Session より少し派手に、くらいは口走ったかもしれない。ただ1、2曲目の感触で確信が持てた。私としては、独りで聴くフォークシンガーのアルバムではない方が良いと思っていた。もちろん弾き語りに近い曲も数曲あるのだが、ボニー・レイットのギヴ・イット・アップやボビー・チャールズのベアズヴィルのスイカとかの感触が欲しかった。この酒場声が独りで聴くだけではない、いやむしろ、そこに居合わせた見知らぬ人々により自然に入り込んでいくような親しさを少し演出したかったのだ。そういう意味でこのマスタリングはそこを巧みにフォローしてくれ、こうして『ミンストレル』は完成した。

 そして8年経った現在、『ミンストレル』がオリジナルとは形を変えてアナログ化されることになった。10インチ3枚組というスタイルで片面の収録時間の都合もあるが、曲順は大幅に変わっている。更にリマスタリングCDも同梱。9月中旬の発売だが、すでに予約は始まった。詳細は以下。

 前作『泥水は揺れる』のアナログ盤は発売記念ライヴの際は既にほとんど在庫が無くなっていたことは記憶に新しい。なので今回は予約を強くお勧めする。

 このアナログ盤、今回のマスタリングはガンボスタジオの川瀬さん。プリマスタリングの音源が事前に送られてきたのだが、空間が身近になっているように感じた。どちらかというと私自身のミックスの不備をさりげなくカバーし、落ち着かせた感じだ。8年前には録音にも携わっている川瀬さんなので、その時間の経過も的確に反映されている。なんら要望は無かったが、やはりガンボスタジオに足を運んで良かった。
 作業は概ねスムースに進み、自分がかつて気になっていたEQのポイント等の教えを請う。
 まさに “another scape of~” と呼べる音で、しかも10インチ3枚組は些かレコードをひっくり返す手間が多いが、それすら楽しくもなるだろう。オリジナル盤が酒場用なら、これは部屋飲み用。一人酒が進むはずだ。

 さて作業がほぼ終わり、コピーを待つばかりだが、おもむろに川瀬さんが一升瓶を持ってきた。連休中で近くの店を探すのも面倒なので、ここで久しぶりの乾杯だ。

 所謂日本酒だが宇宙深海酒と記されている。酵母が宇宙を旅し、その後深海に沈められ、それを発酵させた酒だ。壮大な無駄にも思えるが、壮大すぎて笑う。そして高価なものだと知り驚く。しかしこういう場では、まあどんなものでも美味い。ビールやつまみも調達してもらい、コントロールルームが今晩の酒場となった。なんだかんだ飲みつつ話題を欠かない宇宙深海酒だったが、結局すぐに空いてしまい、もう一本川瀬さんが出してきた。なんでこんなに酒があるんだ、このスタジオは。で、酔鯨。

 美味しい。いや、こんなに美味く無くても、いいのだ。とすら言いたくなる。
 かれこれ二時間近くちびちび飲む。多少酒が入りながらもスタジオの新しいモニターで違う音源も聴いてみる。そしてもう一杯だが、さて、そろそろ終電が近い。コップを空け、一人先にお暇した。

 子安駅では2~3本の通過列車の後、各駅停車が入線した。然程酔っていなかった、というか全くと言っていい程だ。やはり高級な酒だったことを認識して、本を読み始めた。頭が冴えてきたが、肝心なことを忘れていた。この先の駅で急行に乗り換えなければならなかったのだ。やはり酔っていたか。各駅で品川着は既に時遅し、高田馬場から歩いて帰ったが、夜の散歩にはちょうど良い気候だった。だが、四時間弱か。この話はまた今度。

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 最後にスーマーの現在を伝える『寒弾SONGBOOK Vol.7』も紹介しておこう。彼の月刊紙「寒弾(KANBIKI)」の定期講読の方々への未発表付録の音源集だが、上記通販やライヴ物販で購入できる。ドキュメント風で荒削りだが、新曲は新しい側面ものぞかせ、シンプルながらバラエテイに富み、それらが持っていたいと思わせる美しい装丁に包まれている。親しみやすさはそのままにダンディなのだ。きっとここ数年の旅で、この子安での夜のようなちょっと高級な酒を嗜んでいるからに違いない。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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