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【アーカイブス#64】マリアンヌ・フェイスフル *2014年11月

 マリアンヌ・フェイスフルが来年3月に日本に歌いにやって来る。彼女はデビュー50周年を記念して今年9月に新しいアルバム『Give My Love To London/ロンドンによろしく』を発表し、それに合わせてワールド・ツアーを行い、その一環として日本にもやって来ることになったのだ。招聘元のプレス・リリースによると、「18年ぶりの来日」という言葉が躍っている。

 そうか、もう18年前になるのか。今から18年前というと、1997年のことで、天王洲アイルにあるアートスフィア(現在は天王洲銀河劇場)で行われたマリアンヌのコンサートには、彼女の大ファンであるぼくはもちろん足を運んだ。1920年代後半から30年代にかけて、ヴァイマル共和政時代のドイツで、詩人のベルトルト・ブレヒトなどど組んで数多くの歌を作った音楽家クルト・ヴァイルの曲ばかりを取り上げて歌ったライブ・アルバム『20th Century Blues/シングス・クルト・ワイル〜ワイマールの夜(表記は当時の日本盤のまま)』が発売された直後のことで、コンサートもヴァイルの曲が中心に歌われる特別なものだった。
 そしてマリアンヌのこの来日時、ぼくはコンサートの日の前後に雑誌の取材で彼女にインタビューすることもできたのだ(この頃ぼくはまだ音楽の原稿を書く仕事をいっぱいやっていた)。インタビューはマリアンヌが泊まっているホテルのスイート・ルームで行われることになっていて、確かぼくの取材がいちばん最初で、午前中かお昼前の早い時間だったと思うが、約束の時間に部屋に行っても彼女はまだお休み中とのことだった。どれだけ待たされるのか、ちょっと不安になったが、一時間もしないうちに彼女はインタビューの場所へと隣の部屋から現れた。寝起きで、何のお化粧もしていないままだったので、かなりびっくりさせられたが、それでもマリアンヌは決して多弁ではなかったものの、インタビューの質問には親切丁寧に答えてくれたことを今も覚えている。

 マリアンヌ・フェイスフルの初めての来日公演は1990年6月、キリン・ラガー・クラブのコンサートだった。その時彼女は当時の重要な音楽パートナーでギタリストのバリー・レイノルズと二人だけでやって来て、東京では渋谷のクラブ・クアトロと芝公園のメルパルク・ホールの2か所でコンサートを行ったが、どちらもお客さんの入りはあまりよくはなかった。
 1990年6月といえば、ライブ・アルバムの『Blazing Away』が発売されたものの、ハル・ウィルナーがプロデュースを担当し、マリアンヌがボブ・ディランやトム・ウェイツなどの曲をカバーしたり、大ヒットした1964年のデビュー曲「As Tears Go By」をセルフ・カバーしたりして少なからず話題を集めた1987年のアルバム『Strange Weather』からはかなり時間が経っていて、衝撃的なカムバックを果たしたアルバム『Broken English』もすでに10年以上も前のことで、なかなか厳しいタイミングでの初来日だったのではないだろうか。
 そしてぼくの記憶に間違いがなければ(最近は耄碌することはなはだしくて不安なかぎりだか)、2015年3月のマリアンヌ・フェイスフルの赤坂ACTシアターでの来日公演は、1990年、1996年に続いて三度目となる。

 マリアンヌ・フェイスフルは1964年にフォーク・シンガーとしてロンドンのコーヒーハウスで歌い始めたが、同じ年にローリング・ストーンズのマネージャーでプロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムに見出され、その年の夏にローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズ、そしてアンドリューの三人が共作した「As Tears Go By」でデビューした。この曲は全英チャートのトップ10に入るヒットとなり(翌年ローリング・ストーンズもレコーディングした)、続けて発表したシングル曲「This Little Bird」、「Summer Nights」、「Come and Stay With Me」などもことごとく話題を集め、たちまちのうちに彼女はイギリスの音楽シーンの大人気者、いわゆるアイドルとなった。
 また1967年頃から役者として舞台や映画での活動を始め、1968年の映画『あの胸にもういちど/La Motocyclette/Girl on a Motorcycle』(ジャック・カーディフ監督)でアラン・ドロンと共演して、女優としても注目を浴びるようになった。
 マリアンヌは1965年にアーティストでギャラリーのオーナーのジョン・ダンバーと結婚し、すぐに男の子をもうけたものの、ジョンのもとを去ってしまう。そしてミック・ジャガーの恋人となり、ドラッグに手を出したり、ミックとの間にできた子どもを流産したりと、そのスキャンダルででも、彼女はとてもよく知られるようになった。

 しかしぼくとしては、1960年代のマリアンヌ・フェイスフルの音楽にはそれほど興味がなかった。ミックとのゴシップもどうでもよかった。映画『あの胸にもういちど』は、公開時に見て、裸にレザージャケットだけを身につけてバイクに乗る彼女の姿に胸をときめかせていたが、だからといって彼女のアルバムに改めて熱心に耳を傾けることはなかった。
 ぼくがマリアンヌ・フェイスフルの音楽に強く心を惹かれるようになったのは、彼女が1979年にアルバム『Broken English』で衝撃的なカムバックを果たしてから、すなわち清純な歌声から低くしわがれた声に変わり、音楽スタイルもフォークやカントリー調からパンク・レゲエのようなものになり、自分でも曲作りに積極的に関わるようになり、いわゆるシンガー・ソングライターの仲間入りをするようになってからだ。
 イギリス人のギタリストでソングライターのバリー・レイノルズが重要な役割を果たしているアルバム『Broken English』で、ぼくはマリアンヌの暗く、重く、鋭く、深い、それでいてどこまでも正直な歌の世界に強く引き込まれ、シンガー・ソングライター、マリアンヌ・フェイスフルのまさに虜となって、それ以降のアルバムはずっと熱心に耳を傾け続けている。

 1979年の『Broken English』以降、マリアンヌはクルト・ヴァイルの作品を取り上げた特別なアルバムやライブ・アルバムも含めて、今年2014年のデビュー50周年記念アルバム『Give My Love To London』まで、35年間で14枚のアルバムを発表している。
 クルト・ヴァイルの作品や有名な曲から珍しい曲までさまざまな歌を取り上げて独自の解釈で歌うカバー・アルバムも素晴らしいが、やはりぼくが夢中になってしまうのは、ソングライター、マリアンヌ・フェイスフルの魅力も輝いているアルバムで、そういう意味で最新作『Give My Love To London』の中の彼女のオリジナル曲はほんとうに傑作ばかりで、ソングライターとしてひとつの高みに昇りつめたかのような印象を受ける。
『Give My Love To London』には、11曲が収められていて、そのうちマリアンヌが曲作りに関わっているのはほぼ半分の6曲で、そのほかはレナード・コーエンの「Going Home」やエヴァリー・ブラザーズの「The Price Of Love」、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズの「Sparrow Will Sing」、ニック・ケイヴの「Late Victorian Holocaust」、そしてホーギー・カーマイケルのスタンダード・ナンバー「I Get Along Without You Very Well」と、実にバラエティ豊かな曲が取り上げられて歌われている。
 マリアンヌのオリジナルは、最近のアルバムではずっとそのやり方だが、マリアンヌが書いた歌詞に彼女よりもうんと若い世代のミュージシャンたちが曲をつけるというもので(中には曲が先のものや彼女が曲作りにも参加しているものがあるかもしれない)、今回はスティーヴ・アール、エド・ハーコート(このアルバムで素晴らしいピアノを披露している)とディミトリ・ティコヴォイ(PJハーヴェイとの活動でよく知られるロブ・エリスと二人でこのアルバムのプロデュースを手がけ、演奏にも参加している)、トム・マクレー、アンナ・カルヴィ、ニック・ケイヴ、パトリック・レナードといった人たちと一緒に曲を作っている。

 アルバムのタイトル曲のせいもあるのだろうが、このアルバム『Give My Love To London』を聞いていると自然とロンドンの風景が浮かび上がってくるが、マリアンヌは自分が生まれ育ったロンドンの今の姿をただ懐かしく見つめているだけではなく、現在の中に虐殺や圧政のあったこの世界の過去も、そして再び同じことが繰り返されるかもしれない未来をもしっかり見据えているように思える。
 とりわけ「あなたのあさましくちっぽけな心から生まれたまことの嘘」(「True Lies」)や「あなたたちは自分たちが楽しむために人を殺す/そんなことをする必要はまったくないのにいつになってもやめられそうもない/愉快な思いをしたいためだけにお互いに殺し合う/抽象的でばかげた口実をでっちあげて」(「Mother Wolf」)などと歌われるマリアンヌの歌詞は、的確で洞察力に満ち、賢明にして鋭利で、恋愛における心の動きを歌っているようでいてこの社会のあり方を歌っているようでもあり、歴史や政治を歌っているようでいて個人の心の中の葛藤を歌っているようでもあって、聞き返すたびに新たな発見があり、新たな感動を覚え、ぼくの心は激しく震えてしまう。

 デビュー50周年、今年の12月29日で68歳になるマリアンヌ・フェイスフルの18年ぶりの来日公演。どうやら東京での二日間だけのようだが、ぼくが最も気に入っているシンガー・ソングライター、マリアンヌ・フェイスフルのめったに実現することのない来日公演ということであれば、これは絶対に見逃すわけにはいかない。チケット代がS席12000円とかなり高くてびっくりしてしまったものの、ぼくはチケット先行発売日時の11月8日の午前12時ちょうどにチケットぴあのサイトにアクセスして、チケットを無事手に入れることができた。お金というのはこういうほんとうに大切なことに使うためにこそある。
 早く来い、来い、2015年3月18日と19日。
 Give My Love To Marianne。
 Welcome To Tokyo Marianne。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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