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【アーカイブス#59】チップ・テイラー *2014年5月

 チップ・ティラー(Chip Taylor)は、1970年代の初めから40年以上、ぼくがずっと聞き続けている大好きなシンガー・ソングライターで、その歌や生き方、音楽に対する姿勢からは教えられることが多々ある。
 チップ・ティラーは、本名がジェームス・ウェスリー・ヴォイト(James Wesley Voight)で、1940年3月21日にニューヨーク州南東部のヨンカーズという街で生まれているので、現在74歳。『真夜中のカウボーイ』や『脱出』の主演で有名な俳優ジョン・ヴォイトの弟で、有名な女優のアンジェリーナ・ジョリーはジョンの娘だから、彼女のおじさんでもある。

 1950年代の終り頃からチップはウェス・ヴォイトという本名でシンガーとしての活動を開始するが、その名を広く知られるようになったのはソングライター、チップ・テイラーとしてで、彼が1960年代半ばに書いた「ワイルド・シング/Wild Thing」は、ザ・トロッグスやジミ・ヘンドリックスに取り上げられたことによって大ヒット曲となり、もともとはエミー・サンズのために書いた「エンジェル・オブ・ザ・モーニング/Angel of The Morning」という曲もメリリー・ラッシュの歌で1968年に大ヒットした(1981年にはジュース・ニュートンにも取り上げられ、彼女のシングルはミリオン・セラーを記録した)。
 ソングライターとして注目を浴びたチップは、1970年代に入って、まずはアル・ゴーゴニ(Al Gorgoni)、トレード・マーティン(Trade Martin)とのトリオ、Gorgoni, Martin & Taylorでアルバムを発表し(チップはアルと60年代中頃にジャスト・アス/Just Usというデュオを組み、「I Can’t Grow Peaches on a Cherry Tree」という曲をヒットさせている)、すぐにもソロ・デビュー・アルバムの『Gasoline』が続いた。
 1970年代にチップは、ワーナーやCBS、キャピトルとメジャー・レーベルを転々としながら5枚のソロ・アルバムを発表し、恐らくはワーナー時代の1973年のアルバム『Last Chance』や1975年のアルバム『This Side of The Big River』を発表した頃が、いわゆる商業的な音楽シーンの中での活動のピークだった。しかし70年代の終わりに彼はミュージック・ビジネスの世界に嫌気が指し、歌うことをやめてプロのギャンブラーとして生きることを選んだ。

 15年ほどの活動休止期間を経て、チップ・テイラーは1993年からまた歌い始め、2001年にはテキサス州オースティンで毎年開かれているミュージック・コンファレンス、サウス・バイ・サウスウェストで出会った38歳年下のシンガー・ソングライターでヴァイオリニストのキャリー・ロドリゲス(Carrie Rodriguez)と意気投合し、しばらくの間ライブでもレコーディングでも二人で一緒に活動を続けた。
 2012年にチップはツアーでよく訪れていた北欧で、スウェーデンやノルウェーのミュージシャン、そして古くからの仲間のニューヨーク州出身のギタリスト、ジョン・プラタニアなどとザ・ニュー・ウクレイニアンズ(The New Ukrainians)というバンドを立ち上げ、彼らとの活動は今も続いている。

1971年のアルバム『Gorgoni, Martin & Taylor』も70年代のメジャー・レーベルからのチップ・テイラーのソロ・
アルバムもぼくは大好きだが、とりわけ気に入っているのは、音楽活動に復帰した90年代半ば以降のアルバムだ。もはやミュージック・ビジネスの思惑やナッシュヴィルの保守的なミュージック・シーンのさまざまなしきたりなど一切気にすることなく、チップはほんとうに自分の歌いたいことだけを歌い、やりたいことだけをやり、しかもそれをどこまでもしなやかに、したたかに、自由奔放にやり遂げている。
 かつて大ヒット曲を出した商業的ソングライターという過去を持っていれば、ついその栄光にすがり、そこから離れることはなかなか難しいようにも思う。しかしチップにはお金や順位で判断される音楽に対する未練は微塵もない。チップは今現在歌いたいことだけをのびのびと歌っている。たとえ70歳を越えていても、彼の新しい音楽はほかのどんなミュージシャンよりも若々しくて瑞々しいとぼくは思う。
 音楽活動再開後、チップ・テイラーは北欧をよくツアーしていると書いたが、2011年7月、彼はノルウェーで開かれるダウン・オン・ザ・ファーム・フェスティバルに出演するためにこの国を訪れた。そして彼がノルウェーに到着して一、二日後の7月22日、今も記憶に生々しい史上最悪とも言えるあの連続テロ事件が起こった。
 ノルウェーの首都オスロの政府庁舎が爆破され、その後ノルウェー労働党青年部の集会が開かれていたオスロ近郊のウトヤ島で銃が乱射された。極右思想の持ち主のキリスト教原理主義者、アンネシュ・ブレイビク(32歳)の単独犯行で、政府庁舎爆破で8人、ウトヤ島の銃乱射で69人と、殺された犠牲者は77人にも及んだ。
 もちろんダウン・オン・ザ・ファーム・フェスティバルは中止となったが、そのフェスティバルの出演予定者が中心となって、犠牲者の家族や友人たちのためにコンサートが開かれた。悲しみに深く沈むチップはそのコンサートの数時間前に新しい曲を書き上げて、ステージでその曲を初めて歌った。それが「This Darkest Day」という曲で、ノルウェーのシンガー、Paal FlaataやIda Jenshusと一緒にレコーディングされたその曲は2012年にリリースされたチップ・テイラー&ザ・ニュー・ウクレイニアンズのアルバム『F★★K ALL THE PERFECT PEOPLE』の最後にボーナス・トラックとして収められている。
 
 そして2013年には、今のところチップ・テイラーの最新アルバムとなる『Block Out The Sirens of This Lonely World』(Train Wreck TW-047)が発売された。ノルウェーのハルデン(Halden)にあるアスレティック・サウンド・スタジオでザ・ニュー・ウクレイニアンズと一緒にレコーディングされていて、通常盤はCD一枚で12曲入りだが、ぼくが手に入れたデラックス・エディションはCD二枚組で、二枚目のCDには別の新たな曲が4曲、ヴァージョン違いも含めて全部で5曲が収録されている。
 このチップ・テイラーの最新作がほんとうに素晴らしい。恐らく彼の最高傑作ではないだろうか。アルバムに収められている多くの曲は、2011年7月22日のノルウェーの連続テロ事件が大きく影を落としていて、チップの歌は事件を直接的に歌ったりしてはいないが、もっと深いかたちで人の悲しみや慈しみ、生と死、運命や愛を歌い上げている。ザ・ニュー・ウクレイニアンズのGoran Griniのキーボード、ジョン・プラタニアのギター、そしてBjon Pettersson(ベース)とMagnus Olsson(ドラムス)のリズム・セクション、それに曲によってペダル・スティール・ギターやチェロ、フレンチ・ホルンなどが加わったシンプルな演奏をバックに、チップはどこまでも深く豊かな低音で、一言一言言葉を噛みしめて語りかけるように歌い、彼が心の中に抱えきれないあまりにも大きな思いが切々と伝わってくる。

 例えば「God Bless Norwegians」という歌の一番は、ノルウェーのハルデンの部屋にいて、そこから二人の子どもを車に乗せ、二、三分ほどしてから走り出す母親のことが歌われているのだが、チップは「彼女はきっと泣いていた」と続け、それから「アメリカ人に神の祝福を、ノルウェー人に神の祝福を、わたしたちみんなに神のご加護を、こんな時代には」というリフレインに繋がって行く。
「That’s How I Love You Tonight」では、「泣けばいい、涙を流さずにいられない時は、心の中の傷がすべて消え去るまで」というリフレインが印象的で、後半ではその涙が喜びの涙に変わることを願っている。
 タイトル曲の「Block Out The Sirens of This Lonely World」では、イングリッドやエリン、ティリーといった北欧によくある人の名前が呼びかけられ、トロンヘイムやマルモなど、ノルウェーやスウェーデンの地名も登場する。そしてSirenは、警笛のサイレンと海の精のサイレンとをかけているようで、そのSirenはやがては同じ響きのSilenceという言葉に取って代わる。
 アルバムの歌の多くは、悲しみや痛みに包まれているが、チップ・テイラーならではのユーモアもあちこちにちりばめられていて、このとんでもない時代や世界に立ち向かおうとする彼のポジティブな思いがしっかりと伝わってくる。聞くたびに勇気が湧き、前向きな気持になれるほんとうに素晴らしいアルバムだ。

 話はかなり脱線するが、2013年夏に出版された森達也さんのエッセイ集「『自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか』と叫ぶ人に訊きたい  正義という共同幻想がもたらす本当の危機」(ダイアモンド社)の中に、2011年7月22日のノルウェーの連続テロ事件に触れた「テロが起きても厳罰化や死刑制度の復活を望まない国」という文章が収められている
 そこではノルウェーに住む日本人の現地コーディネーターの女性からと大阪に住むノルウェー人の女子大生からの、二人の女性のメールが紹介されていて、その中で彼女たちはノルウェーではあれだけとんでもないテロ事件が起こったのに、テロに対して暴力で立ち向おう、死刑制度を復活して犯人に報復しようという流れには決してなっていないことが伝えられている。ノルウェーの多くの人たちは、怒りや、憎しみ、不安に盲目になって自分たちも暴力に走るのはまさにテロリストたちの思う壷で、ストルテンベルグ首相が語ったように、「さらに民主主義と人道主義を推進し、開かれた社会を作ることがテロへの解答だ」という考えに共感を示しているというのだ。
 そしてチップ・テイラーの最新作の『Block Out The Sirens of This Lonely World』からも、ぼくはテロ事件の後で多くのノルウェー国民が共有するようになった人道主義への強く確かな思いとどこかで響き合っているものをしっかりと感じ取ることができる。

 最後になるが、チップ・テイラーは2011年1月にトムズキャビンの招聘で来日して、東京、横浜、名古屋,大阪、京都の五都市でライブを行っている。トムズキャビン名物の「聴かずに死ねるか」シリーズでやって来たのだが、ぼくは全公演が自分のライブと重なっしまい、どこにも見に行くことができなかった。だからまだまた死ねない。チップの再度の来日公演を切望します!!

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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