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町田

 7月は半ばからほとんど家で制作作業をしていた。外に出ることもなく一週間程は缶詰状態で主に一曲の制作なのだが、これがかなりスロウペース。7月下旬公開のテント芝居『野戦之月 / 怪談 荒屋敷 セル』のテーマ曲の音楽制作なのだが、私は一向に曲が出来ず、結局今回も2019年の前作同様、私の妻でもあり、ここ15年のこのテント芝居のテーマソングを歌っている桜井李早の作曲となった。作詞は野戦之月の首謀者で脚本も役者も担当する桜井大造さんの手によるものだ。その作詞がいつもかなりギリギリなのだが、今回は7月第二週くらいに届き、おっ、思いの外時間があるな、と油断してしまったのかも知れない。ようやく納得する曲が出来、構想やアレンジを考え、簡単なデモで仮歌も入れて、ひとまず野戦之月に送信。ここでとりあえず一安心だが、ここからがこちらの正念場で缶詰状態になった次第だ。音楽は野戦の月楽団、原田依幸とクレジットされているが、ここ数回は原田さんのピンと張り詰めながらもどこか穏やかなピアノソロが2曲くらいと大熊ワタルさんによるちょっとコミカルなサブテーマ的な挿入歌、そして私が担当する最後に役者全員で歌うテーマ曲、というのが芝居の為だけに録音されたものである。野戦の月楽団、となっているが、もはや短期間でのスケジュール組みが難しく、少人数で仕上げることが多くなり、私の場合はここ10数年自宅で完成させるスタイルになってしまった。

 テント芝居集団「野戦之月」と私の関わりは1994年の旗揚げからである。その時から常に新作ではテーマ曲を作ってきた。インストゥルメンタルだったこともあるが、だいたいいつも途中までの台本に歌詞が添えられているものが送られてくる。詩先の楽曲はあまり経験したことはないが、ここではいつもそうだ。そして気がつけばもう四半世紀も経っていた。最初の’94年の『幻灯島、西へ』の時はよく覚えている。緊張していたのだ。これで良いのか、という不安はもちろんあったし、演奏者は当時関わり出したばかりの篠田昌已さん所縁の方々。譜面はきちんと書いたつもりだったが、ロクな説明も出来ず、皆がそれぞれの解釈で音を集めてくれ、台本のイメージに沿ったものが出来た。と思っていたのだが、実際のテント芝居を観たら、もうそれは遥かにとんでもないもので、エネルギーや表現が多方面に渦を巻き、何に圧倒されたのかもわからない3時間だった。最初はただ口を開けてポカンと驚き、一時も目を離せない見世物小屋のようでもありながら、時折の哲学的とも言える長台詞に感銘を受けたり、下らないジョークに妙に固執した親しみやすさも逃さない、そして終いには火と水で舞台は崩壊する。そこでテーマ曲が大音量で流れたのだった。こんなものは経験したことが無かった。終演後にいただいた炊き出しと酒の味と共に、アンダーグラウンドというものの極め付けが私に植えつけられたのだ。その舞台のクライマックス、もう火が燃えている上で舞踏家の岩名雅記さんがゆっくり歩いていく、それは言葉では表せない美しさで、その下では泥だらけになった出演者が蠢いていて、もう本当に、なんじゃこりゃ、という衝撃だった。その後、岩名さんとはデュオでツアーもしたが、後にフランスに渡った彼は昨年亡くなってしまった。
 翌年の『バンブーアーク』もまたアナーキーだった。中野駅前程近くに、竹で作った大きなテントを建てたのだ。またその周りの幟も鮮やかで、中野サンプラザの前ではためいているのが中央線からもよく見えた。音楽にとってはこの公演は特別で、スケジュールに余裕があったのか劇中曲を全て野戦の月楽団で手がけたもので、この為の新録だった。そしてそれはすぐにCD化された。(『幻灯島、西へ』も当時はカセットリリースで、後に以下の’94~’99に集約)その作品を皮切りに野戦の月関連の現在入手出来るCDは以下の三作品。

 野戦の月 ’94~’99
 野戦の月楽団 / Snare & Slave Blues 03+06
 野戦の月楽団 / 怒りの涙 2007~2009 野戦之月海筆子 オリジナル劇中音楽集

 それ以降のものは幾つかは私のサウンドクラウドにて。

 (集団名の細かな変化があるが、当初は『野戦の月』。その後、台湾や中国等の公演もあり、その土地の役者も参加し『野戦之月海筆子』。そして現在は『野戦之月』である。)


 2014年以降の音源も結構溜まってきたので、そろそろ作品化も考えようかとは思ってはいる。

 野戦之月に関していろいろ書き始めると、数々のエピソードとその場所が思い浮かぶが、それは到底ここでは纏めきれないし、今回はそれがテーマで書き始めたのではない。だいたいコロナ禍で、この連載「酒場にて」は再開したのであるが、今年に入って外で酒を飲んだのは指折り数えての片手で足りるくらいなので、酒場の話は今回もない。

 さて。
 もともと家にいるのは全く苦ではないので、作業は粛々を牛歩で進むが、今回は何故か苦しい。もちろん暑さもあるだろう。機材の熱がこもるのでクーラーは全開だが思考は鈍る。録音とアレンジが同時進行になり、12弦ギターとマンドリンをとっかえひっかえになる。ここまでくると聞こえ方が重要なので、もはやミックスまでほぼ同時進行。だが発見もある。昨年手に入れた’70年代のヤマハのリズムボックス付きのミキサーが良い味を醸し出していて、使い勝手がマッチした。これのおかげでスティール・ギターはアンプを使わずに夜中でも録音できたこともあり、ようやく見えてきた。翌日ベーシック+αくらいまで進んだところで、大熊さんからの曲が届く。ギターを録音して関島岳郎さんに送る。もともとは私がこちらの曲もミックスする予定だったのだが、余裕がなく関島さんにお願いしたところ、お引き受け願えた。感謝、助かった。そしてテントでのゲネプロの前の日に、納品。なんとか間に合った。

 そんな仕事を終えた翌日の午前中に町田に向かう。街中では無く郊外の里山にある山崎ギター工房に頼んでおいたパーツを受け取る為に、まずは五日市街道を抜け新府中街道に入る。最近整備された道でロードサイドの大型店舗が多く駐車場に入る車で少しの渋滞があるが、難なく甲州街道を抜け関戸橋を渡り、あとは鎌倉街道をひたすら行けば良い。永山駅あたりからの南下はいつも空いていて快適に走れる。そんな道が空いている状態だったからなのか、ようやく道路に印字された TOKYO2020 のオリンピックのマークを確認する。そうだ、数日前にオリンピックは始まっていたのだった。開催反対の署名はしたが、それは叶わなかった。ただ私はコロナうんぬんに関わらずもう何年も東京オリンピック招致反対を掲げる都知事選の候補者に一票を投じてきた。あれは常にギリシャでやれば良いのではないか。しかも今回は無観客で大赤字、都が補填なのか。税金だよ、どうかしてる。
 どうやら走っている道は東京から静岡への自転車ロードレースのコースとところどころリンクしているようで、既に競技は終わっていたが、公園がある沿道あたりは観戦する方には絶好のポイントだっただろう。そして大きな尾根沿いの南多摩尾根幹線道路を越えると、TOKYO2020のマークは消える。
 それにしても今回のオリンピック開催前はとんでもないゴタゴタであきれるばかりだが、ツイッターで炎上してスポーツ新聞で叩かれたのはよく知る酒が入るとすぐに酔っ払う音楽家だったし、そういえばラーメンズのサントラでギターを弾いこともあったな、なんて悪い意味で身近に感じてしまったのも事実だ。件のいじめインタビューはインターネット上で恣意的に編集されたもので、確かに元記事を読むと印象が違うが、だけど俺たち友達だったよな、みたいな編集とオチは全くタチが悪い。それからサイモン・ヴィーゼンタール・センターだが、原爆投下もパレスチナ空爆も認めている団体ではあることは、書き添えておく。

 車は里山に入り、工房に到着。窓から覗くと山崎氏は黙々と作業をしている。彼は世間で何が起きようとも、ここで作り続け、直し続けているに違いない、そういう信念がこの小さい工房には溢れていて、此処に来ると身が引き締まるのだ。昔から何度かお願いしたことはあったが、こと昨年からは頻繁に大変世話になっている。特に長年懸案していたフェンダー・ジャガーのリフィニッシュを見事に仕上げてくれ、最近では一番持ち出す機会が多いエレキギターとなった。そしていつも彼が目下作業中の出来つつある楽器を見るのがとても楽しいのだが、今回は調整中のスリーエスの000が良い鳴り。ちなみに山崎氏は知久寿焼さんのギターを手がけていることで知る方も多いだろう。あの微妙に丸い小さいギターで、生音とライン音の印象が全く違わないという稀有な楽器だ。ウクレレもギターももう相当数の制作をこなしているはずだが、毎回初めての一本を作るような気概が清々しい。そんな過去のオーダー楽器たちはサイトで見ることができる。オーダー主からの変わった注文も少なくないようだが、今年の初めに彼が手がけたオーソドックスなテレキャスターは完成直後に弾かせてもらった。いつまでも弾いていたくなるとても軽量なものだったが、ここはオーダー主に気を遣い、軽く音出しをする程度にした。ピックアップは私も何度か修理でお世話になった、西東京市の名工、岸本氏のグリニングドッグ製。しかし、テレキャスターが最初からこんなに音作りしやすくて、弾きやすくて、良いのか?なんて変な愚痴でもこぼしたくなるような完成度の高い一本だった。

 今回は大した用事ではなかったので30分ほどの滞在で今度は里山を登って街道に抜ける。またもやTOKYO2020のマークだ。帰宅してニュースをつけると自転車ロードレースの沿道観客への取材だった。一人の老人が興奮して、もうオリンピックなんて生で見られないから、と答えていた。競技ではないオリンピックなのだ。そういえば、一昨年だったか、私の父が再びの東京オリンピックを見るまで死ねないな、なんて言っていて、私はなにそれ、といって窘めたが、それ以来両親には会っていない。まあ父もアスリートみたいな職業ではあったからな、と、とりあえずは治めた。

 市井は緊急事態だが、オリンピックは行われている。医療体制は逼迫で、救急車たらい回し7時間なんていう話も聞いた。近所の中華料理屋で久しぶりに餃子を頼んだのだが、一杯のビールすら飲めない。その店のテレビでは金メダルの話。選手がメダル取れなくてごめんなさい、と謝っている。そりゃおかしい。国の期待を一身に背負っていると過信し過ぎだ。もちろん皆がそうではないと思うが、これじゃあ国威発揚の駒だよ。ああそうか、もはや国は国民とは別なのか。

 うむ、缶ビールでも開けるか。

桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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