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震災を経験していない宮城在住の防災士

今回は「40点の防災」特別編です。

東日本大震災から10年。改めて、東日本大震災でお亡くなりになった方々の魂の安寧を祈念するとともに、10年間復興に尽力されてきた皆様のご苦労に少しでも想いを寄せたいと思っています。

さて、今回「40点の防災」としてこの記事を書くのには理由があります。

私は、岩手県一関市の生まれ、大学と社会人の2年間を仙台で過ごしました。2000年から2014年まで名古屋に住み、その後仙台に戻り、防災士となり「防災にあまり関心のない人にも届く防災」をテーマに活動しています。

・・・そう、私は宮城在住ですが東日本大震災を経験していないのです。


「震災での経験を教えてほしい」が一番つらい

確か西日本豪雨の時だったと思います。被災された方に向けての「一般的な情報」をツイートしていたところ、数件、

東日本大震災での被災経験からの教訓を教えてください

というメッセージをいただきました。「すみません、当時は宮城に住んでいなかったので経験がないんです」と伝えるとそっぽを向かれました。

宮城に住んでいる防災士なら、そういう知識はあるだろうと思うのは当然のことだと思いますし、私が当時仙台に住んでいなかったことも別に罪なことではないので誰も責められることはないのですが、そのときは何か辛い思いがしました。


防災士の飲み会で話についていけない

時々、防災士の勉強会に参加します。で、そのあとは「懇親会」という名の「飲み会」があります。9割方私は圧倒的な最年少で、一番歳が近い方でも5歳以上違う。

普段、飲み会でも酒は飲まないのですが、このときだけは飲むようにしています。ビールジョッキ2杯で限界ですが。いや、断れないでしょ(笑)。それに飲まないと話に入れないし。

当然、東日本大震災の時の話になります。だんだん、話についていけなくなります。話が細かくなりすぎて。それでも、「そういう経験をしたんだな」という勉強にはなるので完全に無言になって話を聞いています。


もちろん、被災体験は学んでます

自分が被災体験がない以上、実際に被災した方のお話を聞くしかないので、語り部ツアーなどに参加しています。

南三陸町や石巻市を巡る1泊2日の「語り部ツアー」にも参加してきました。南三陸町の「旧防災庁舎」や民間遺構の「高野会館」、石巻市の「大川小学校」などを巡り、当時どういう状況だったか詳しく説明を受けました。

仙台で知り合った親友やパートナーにも色々と話を聞きました。もちろん実家の母親からも詳しく聞きました。

それはパソコンに打ち込んでデータに保存・・・ではなく、「クイズ企画」の一環として公開しています。

資料も読んでいます。小難しい論文とかも含め。震災関係のテレビ番組はできるだけ見るようにしています(最近津波映像を見るのがキツくなってきましたが)。


震災を経験していない者として

「経験を共有することは、経験をしたのと同じことになる。それが教育」

私が大学の卒業論文で題材にした教育学者ジョン・デューイの思想です。私も、東日本大震災に関しては名古屋で知った情報と、その後の大型連休に帰省して友人と見て回った津波被災地域の光景くらいしか分かりません。

それでも、伝えられることはないわけではないですし、これからも増やしていこうと思っています。


ある意味、「仙台に住んでいる防災士」として僕は「40点」だと思っています。ただ、引き続き被災体験を学んでいくことはできますし、防災に必要なのは被災体験を伝えることだけではないとも考えています。

10年前と比べ、社会情勢はだいぶ変わりました。そして、現在の「コロナ禍」を経験したあとの社会は劇的に変化しているのではないかと予測しています。

10年前の出来事を体験した方と同じ様に伝えるのはどう逆立ちしても無理だとは思いますが、この10年、そしてこれからも変わり続けていく社会環境のの中で、「今、震災の教訓として伝えるべきは何か?」ということをきちんと届けられる(発信だけでなく)人を目指していきたいと思います。

2021.3.10 防災士 後藤 智之


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