ぐちゃぐちゃになった今日という日を振り返ってみる
呼吸の浅さ
なんとなく昨日くらいから「呼吸が浅くなってるな」と思いながら、何が言いたいの?と自分に声をかけてもうまく自分の声がキャッチできないでいた。
寝て起きたらまぁ大丈夫かな〜なんて、柔らかくみていたのだけど、今日の午前中もやっぱり呼吸が浅いなと感じつつも、声がキャッチできず。
苦しいなとか、辛いなとかは出て来るのだけど、なんとなくストンとこず。築き上げてくるようなエネルギーが落ち着かない。
パニックになって5年が経つけれど、どれだけ調子が悪くても外を歩くことで気持ちが切り替わったり、落ち着いたりというのが楽しみであったんだけど、今回は外に出て歩いていた時になってしまったから、歩くのもまだ怖い。「いつ外を歩けるようになるんだろう・・・」っていう考えもどんどん出てきて押し潰されそうになった。
とにかくぐちゃぐちゃっとしてしまったので、そのまま今日という日を振り返ってみる。
身体を動かしてみる
自分のいのちだったり、深い感情や思いだったり、「それを受け止めるにも身体のある程度の強さ(丹田の力)が必要だよ」っていうこともボディワーカーの人から前に聞いていたので
今日の午前中はちょっと身体を動かしてみようかなと、簡単なストレッチとか、身体を動かすことをやってみていたのだけど、動いている時はなんとなく大丈夫でも、動きが止まるとまた怖さが立ち上がって来る。
疲れているのかなぁと横になってみると、ますます身体のモヤモヤ感が立ち上がってきて怖くなる。noteを書いたり、身体を動かしてみたり、休んでみたり、色々やってみつつも、それでも落ち着かなかったので、不安が膨らんでしまう。
あまりにどかんどかんと始まったから、もうこれはダメだ・・・と、縮こまっていきそうになったんだけど、これはもう歌うしかないかも!とウクレレを出して、叫ぶように歌い続けてみた。それで大きな波は一旦落ち着いた。
歌いたかったのかな、叫びたかったのかな。わからないけど、エネルギーとして外に放出されて、すこしだけ楽になった。
自分の気持ちを受け止めること
何かしらパートナーと会話があったり、他の人と会話があったりして、それに対して違和感を感じて、正直になるとか、無理していい人をしないというのは、なんとなくわかりやすくなってきたけれど
昨日今日のように、別段何か出来事が無い時に湧き上がってくるエネルギーに対して、どうやって会話していいか?というのがすごく難しい。
また、叫んで歌って放出することは、なんとなく自分を冷静に観るというよりは噴出っぽさもあって、わーーーっと叫ぶより受け止めた方がいいような?みたいにも思ったけれど、結局叫んだら落ち着いて来たから、身体が求めていたのは歌うことだったかもしれない。
もう一度自分に聞いてみる
歌って少し落ち着いて、もう一度、今対話しているぬいぐるみを前にして自分の声を聞いてみる。
ただ自分を知ろうとしているのか、良くなろうとしているのか
ここはずっと、すごく自分にとって難しいことなのだけど、病気でいることに対して「それでいいじゃん」というところまでいくのはなかなか難しい。
ひととき思えても、不快感だったり息苦しさだったり、そういうものにぶつかった時に、小さいものなら「自分の声を聞けるチャンス」みたいな感じに思えるのだけど、ドカンと来る時ほど、不快感に耐えられなくて「病気でいる」ことを否定してしまう。辛いから治りたい。
だから、治るために、治すために、色んな手立てをやってしまう。自分のさっきの声を聞くと、それが辛かったのかもしれないな。
ただ本心を聞いて欲しい、変われ変われと言われるのは苦しい。価値観を押し付けられるのは嫌だ。人にはそう思うのに、自分自身にそうするのはわかっていても難しい。この不快な状況や、病気を治したくなってしまう自分がいる。
優しい目で自分を見られたら
焦りが出てきているのかもしれない。病気であることも、自分の中の闇も、怒りも、否定することなく優しい目でみられたらな。自分へのメッセージとしてただただ耳を澄ませることが出来たらな。