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灰色の天国と虹色の地獄

冷房を消そうと立ち上がったら何かを蹴ってしまった。勢いよく転がっていったものは何だろうと目をやると単四電池だった。フローリングに単四電池が転がっている室温27度の部屋。きっと昼間に引越のための片付けをしている時に転がったのだろう。大学を卒業してから六度目の引越は、はじめて自分の意思でのものだと気づく。

7月。社会人になってはじめて無職になった。正しくは、現在有休消化中、だけど。何にも追われない生活は寂しくて物足りないかと思っていたけれど、そんなこともなかった。それに、思っていたよりも焦りはない。働いていた時は、いつだって得体の知れない焦りに苛まれていた。

Instagramを開くと古い友人が前撮りの写真をあげていた。入籍したんだっけ?と思ってその子のアカウントにとんでみると、数ヶ月前に「入籍しました」の投稿があった。この投稿、見逃していたんだなと思う。いつも美しく品とセンスのある写真を投稿しているこの友人を思いながら、私はいつも考えることがある。幸せになるべき人、夢を掴むべき人。背伸びして人と付き合うことをやめた私の生活は、随分と楽で怠惰になった。

なぜ仕事をやめたの?と聞かれると困ってしまう。この年齢だから、退職を告げた時「結婚するの?」という質問も多かった。近くで激務を支えてくれた人たちは、「大変だったよね、ゆっくり休んでね」と言ってくれた。「普通の女の子に戻りたくなったんだね」と言われた時はなんだか言い当てられた気持ちになってしまった。
仕事は楽しい反面、苦労も多かった。いつでも何かが起こったときに対応できるように、家でお酒は全く飲まなくなった。スマホの着信音が鳴るたびに心臓がギュッと捻られるような緊張感が常にあった。ストレスが重なって体に不調が現れたこともあったし、自分には抱えきれないと頭を抱えた問題もあった。頑張ることが当たり前で、成果を上げ続けることができるのか不安もあって、それでも評価されると嬉しくて、なんだか麻薬みたい(やったことないけど)だった。七年と数ヶ月、走った。だから少し休んでもいいかなと思ったのも事実だ。
だけど、本当は、仕事をやめる明確な理由なんてない。
きっかけはたくさんあった。でも、理由にはならなかった。色々を天秤にかけたとき、まだ続けてもいいかなと思えるだけのやりがいと楽しさはあった。働くことが好きだったし、周囲の環境や人にも恵まれていた。
退職を決めたのは一瞬だった。旅行先の空港の待合室。あ、仕事やめよう、と飛行機を眺めながら唐突に思った。その思いが浮かんだ次の瞬間には退職の心が決まっていた。私は真面目だ。だけど、とんでもなく行き当たりばったりで生きてきた。その集大成がこれだった。


自分のことは自分がいちばん分かっている。自分はどんなに休暇をとったとしても、仕事をしている以上、完全な安寧を得られない神経質な人間だと自覚していた。一旦全てを手放して辞めてしまわないと心を取り戻せないとわかっていた。何者でもなくなってから数日間、時間が静かに流れることを焦ることなく静かに受け入れていた。活字を読むことができるようになったし、集中して楽譜を追うことができるようになったし、音楽を聴いて体の奥から感動がわきあがる感覚がよみがえってきた。

生きているなと思った。
何もしなくても生きている実感って色んな瞬間に持つことができるんだなと思った。


人は「できない」ことに、たくさんの理由を持ち出す。時間がない、距離が遠い、年を取りすぎている、若すぎる、お金が無いから、家族が反対するから、男性だから、女性だから、結婚しているから、独身だから、自信がないから、向いていないから、才能がないから。理由があればあるほど安心する。少なくとも私はそうやって生きてきた。だから、理由になり得るものを一気に手放してみたいと思った。めちゃくちゃなことをしてみたくなった。これまでの私だったら絶対にしないようなこと、板についてきた仕事、慣れた環境、安定した仕事、つかんだポジション、そういうのを全て投げ出したくなった。自由に生きる練習をしようと思った。今本当にしたいことは何か、食べたいものは何か、心で決める練習をしたいと思った。


人は理由なんてなくても生きていけるんだよなと思う。なぜ、と問われれば理由を頑張って探そうとするけれど、本当の理由なんて特にない。そんなふうに歩いてきたから私の人生に脈絡がない。でも、それでも愛している。30歳、独身、無職。これまでに一度も想像しなかった未来、だけど想像よりも絶対に面白いであろう未来が、いま私の手の中にある。私のことは私が後悔させないよ。私には私を幸せにする責任がある。




ゆっくりしていってね