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真昼のアゲハ蝶


 お姉さん、私入っちゃダメですよねえ、このホテル、この辺じゃ一番厳しいって聞いてたので、無理に入るのもなあって思っちゃって。

 日は暮れていなかった。まだ、じゅうぶんに明るい時間、正面の自動ドアから姿勢良く入ってきた彼女はとても目立っていた。止めようか止めまいか、判断を迷いながら目だけはずっと彼女を追ってしまっていた。そうしたら、彼女とばっちり目が合った。私でも「それ」だと一目でわかる、派手なワンピースとピンヒール、ばさばさのまつ毛。目が合うと、すぐに悪びれずに自己申告したさっぱりした口調と人懐っこい笑顔、ああ、私、この人のこと、憎めない。一瞬でそう思った。

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 ビジネスホテルに勤めてはじめて知ったこと。デリヘルをこっそり「呼べる」か、それとも「呼べない」かをまとめたビジネスホテル一覧サイトがあること。このホテルは裏口がある、◯時〜◯時であれば余裕だ、など、あらゆるクチコミが書かれている。一覧サイトまでできるなんて、人間の向上心ってすごいんだなと密かに感心した覚えがある。

 私が勤めているホテルは、入館に厳しかった。デリヘルでなくても、宿泊者以外の外来客は客室には通さないというルールが徹底されていた。どうしても入室するときには追加料金を請求する。私の勤めていたホテルは、「呼べない」ホテルだったし、一覧サイトにも「厳しい」「ここは呼ばない方がいい」「呼ぶだけ無駄」などと書き込まれていた。

 それでも、チャレンジャーは現れる。裏口や外につながる階段から嬢を招き入れる者、いかにも恋人を装って堂々と手を繋いで上がろうとする者、何食わぬ顔で一般客風にフロント前を通過する者。それでもこちらには、雰囲気や空気感で大体分かる。見つけたらすぐに声をかけなければならない。自分と同じくらい、もしくは年下かもしれない嬢に声をかけるのは、何故か私にとってとても勇気のいることだった。

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 声をかけなければならないのにぼやぼやと迷っていたら先手を打たれてしまった。自己申告制だ。なんだこれは。彼女のさっぱりした表情に何故か力が抜けてしまう。「あいにくご宿泊者様以外の入室はお断りしております、申し訳ございません」お決まりの台詞を言いながら、なんだか彼女に申し訳ない気持ちになってしまう。呼ばれてきた無実の女の子。お洒落をして、まつげはバサバサで、目元のラメもキラキラで、でもメイクを落としたらきっととても幼いだろう女の子。人懐っこい笑顔とハキハキした話し方。ねえ、あなたはどんな気持ちで呼ばれてきたの?厳しいホテルだって知ってて、どんな気持ちで正面玄関から入ってきたの?自分と歳の変わらないスタッフに足止めされて、今、どんな気持ちなの?
 彼女のせいじゃない。彼女は、仕事でやってきている。だから、私が咎めるべきは、彼女じゃない。やっぱり私は、ここに来る嬢に厳しい顔なんてできない。

 どう動くか、すぐに判断できた。言葉は滑らかに口から出た。彼女にこれから向かう部屋の番号を聞き、客室に内線を入れる。お連れ様がいらっしゃっているのですが、本日お客様は1名様でのご宿泊で間違いございませんか。ご面会はロビーにてお願いをしております。ここでもお決まりのセリフ。自分を呼んだ客へ内線を入れる私を、彼女が他人事のような顔で眺めている。「2名で泊まるよ、追加料金払うから、その子通してもらえますか」電話越しに観念した風の声で告げられ、ようやく彼女の入室が決まった。

 電話を切って、彼女に入って良いということを伝えた。彼女は、へえ、入れてくれるんだ、みたいな顔をした。そしてすぐに、「お姉さんに面倒かけてすみません!」とすまなそうな顔をする。ああやっぱり私はこの人を憎めない。こちらこそお待たせして申し訳ございません、と言いながら、自然と私も彼女と同じ表情になる。ぺこりっ、と私に頭を下げてエレベーターに向かう前、彼女は私に言った。お姉さんは私を止めるのが仕事でしょう、だからそんな申し訳なさそうな顔しないでください!本当はここ、いつも門前払いなんですよね?今日お姉さんで良かった!ありがとうございます!!

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 彼女がフロントへ下りてきたときも、まだ日は落ちていなかった。ありがとうございました!と笑顔で、やっぱり正面玄関から出て行く彼女。コツコツとヒールの音が耳に残った。後ろ姿、ミニのワンピースが揺れていた。アゲハ蝶みたい。ああ、きれい。かわいい。うつくしい。だから、ちょっとだけかなしい。


 時々考える。「ルールだから」という強い正義を武器に彼女たちを門前払いした方が良いのではないか、それがやり方としては正しいのではないか、と。もしそれができないのならば、はじめから彼女たちを見て見ぬふりして通せば良いのではないか、とも。彼女たちのためにも有無を言わさず断った方が良いのかもしれない、そんなおこがましいことを考える。それでも、「仕事の顔」をしてやってくる彼女たちを見ると、私はどうしても一言で切り捨てることができない。どうしてだろう、彼女たちが私の前に立つとき、いつかの自分を見ている気持ちになる。バサバサのまつげとピンヒール、派手なワンピース。武装して、闘いに来ている。社会に食われそうになって、食われまいともがいている。かわいいおんなのこ。でも、強くて美しいおんなのこ。憎めない。やるせない。

 仕事なんだもんって、私もあんな風に割り切れればよかったのかもしれない。眩しかった。あれこれ考えてしまう自分と対照的に、表情とことばに素直に全てがのってしまう彼女。クリスマスイブの昼間からデリヘル呼ぶなよ。でも現れたおんなのこは美しかった。真昼のアゲハ蝶。こんなふうに出会っても、彼女が忘れらない。どうしてだろう、強くならなきゃ、ぜったいに私も闘っていかなきゃと思った。何故かはわからない、敵の姿すら見えていないのに、負けたくないと思った。

 彼女のミニの派手なワンピース、あれってクリスマス仕様だったのだろうか。メリークリスマスイブ。イブなんだからあなたの仕事の邪魔したくなかったんだよ、あんなに戦闘態勢でのりこんできたんだから、ちょっと面倒でもなんとかしたくなっちゃったじゃん。なにが正解かなんて分からないけれど、彼女がありがとうございます!といってぺこっと頭を下げたときに見えたつむじが可愛らしくて、たぶんこれで良かったんじゃないかなと思えた。どうか私の知らないところで、たくましく健やかに笑っていてね。すごく綺麗だったよ、真昼のアゲハ蝶。これからもあっけらかんと笑ってて欲しいよ。まったく他人の私が願うことでもないけどさ。


#チーム午前二時 、12月12日


チーム午前二時:2020年12月3日、夜中に思いつきで突如発足。部員一人。夜中に起きている人は誰でも入部可能。フィクションもノンフィクションも雑談も日記もハッピーもネガティブも全部。内容も設定もブレブレ。クリスマス付近までは毎日投稿の予定。あくまでも予定。




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