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「お茶さん」のこと

noteを書いていることは、友達にも家族にも恋人にも誰にも言っていない。noteでは「お茶さん」として書いている。仕事のことも恋愛のことも自分が体験したこともそこそこぼやかして書いている。でも殆どが「私」のノンフィクションだ。

「お茶」という名前は本当に何となくつけた。お茶が好きだったから。たまに「名字+名前」みたいな感じの名前をつければ良かったなって思うけれど、もう今は「お茶」に慣れてしまった。慣れてしまえば悪くない。

私は「お茶」として書いている。私の生活は「お茶」が代弁してくれている。今後「私」として書くことができる日が来るのかは分からない。もし「お茶」として書いている私を見つけてしまった私の知り合いがいたら、今はそっとしておいてください。よろしくお願いします。

いつか限界が来ることも分かっている。「お茶さん」として書くことができる範囲に限界があるのは分かっている。でも、まだ「お茶」を飛び出して「私」を名乗るのは難しい。

元々話し相手のいない寂しさと仕事のストレスと誰に伝えれば良いのか分からない感情を吐き出すために始めたのがnoteだった。ひっそりこっそり書いていた。でも、自分が想像していた以上にじわじわと読んでくれる人が増えて、ありがたい気持ちと同時にほんの少し戸惑いも感じ始めた。「私」の日常生活を「お茶さん」が代弁しているだけの文を読んでくれる人がいる。すごい。すごいし、うれしいことだ。でも、少しだけ、こわい。


「私」は現実でこんなに悪いことをした、こんなに汚い気持ちを持った、こんなに中途半端なことして誰かを振り回した、こんなに反省したいことがある、そんな現実の「私」を「お茶さん」はそこそこ正直に描写する。でも、「お茶さん」は書くだけで決して「私」を叱らない。現実の「私」は綺麗でもエモくも優しくもないけれど、「お茶さん」は「私」を淡々と書く。


これから先のことは何も分からない。書き続ける未来も、書くのをぱったりとやめてしまう未来も、どちらも想像できる。きっといつか「お茶さん」として書けなくなる日が来る。そしたらその時に違う道を考えようと思ってます。今は気楽に「お茶さん」として、「私」が健康で文化的に生きるためにひたすら書きます。今後ともよろしくお願いします。


お茶


ゆっくりしていってね